2012-09-07

ZKMのサウンドアート展のメモ

けっこう長時間見て思ったのは、あたり前のことだけど「サウンドアートと音楽は必ずしも必然的な関係性は持たない」ってことだと思う。
僕は「サウンドアートと音楽との間には必然的な関係性があるかもしれない」と思っていたのだろう。

以下、長めにメモ。
まだカタログができていないらしいので、作品名を参照できないので、まだ、ただのメモ。
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◯サウンドアートの類型化
できそうだけど、作品数が多すぎてすぐにはできなかった。
カタログもまだできていないらしいし、忘れる前にカタログ見ながら考えてみたい。

音を視覚化するもの(今回の展示ではどれだろう?)
音という自然現象のポエジーを利用するもの(ルシエなど)
音の珍しい聴き方を提案するもの(ベッド全体がスピーカーになっていた、あれ)
音をメディアとして用いるもの(ロルフ・ユリウスやカールステン・ニコライなど)
などかな?

音楽との関連性をまったく想起させない作品が多かったのも面白かった。
とりあえげている作品はたしかに多様で数も膨大だけど、色々縮約していくと、たしかに「サウンド・アート—音というメディア」展(2000年1月、ICC)くらいの作品数になる気がする。あれがかなり先駆的だったのが実感されて、驚く。

◯サウンドアートと「テクノロジー」
基本的にやはり、音響テクノロジーを使うことによって可能となる表現しかしていないものは、あまり面白くない。私たちが日常的に使う音響テクノロジーの別の在り方を提示してくれるものは面白い。「テクノロジーの可視化」という点で、最近のアルスエレクトロニカの流れとの共通点を想起しても良いし、やはりポール・デマリニスのことを考えるべきかもしれない。

サウンドアートと音楽は必ずしも必然的な関係性は持たないかもしれないが、サウンドアートの登場は、テクノロジーが使いやすくなってきた状況と必然的な関係性を持つに違いない。
テクノロジーを簡単に使えるようになったからこそ「サウンドアートと呼ばれるような作品群」は群として姿を現せたのだろう。
なので、テクノロジーを利用する私たちのあり方をテーマとしないものは、「サウンドアートとしても」面白くない(ドキュメンタリーとしては面白そうなものもあった)。
(だからこそ、アルヴィン・ルシエ、ジャネット・カーディフや、ロルフ・ユリウスの面白さが際立つのだろう。)

◯日本の場合
このまま輸入する意味はないだろうけど、実際に誰がどんな作品を作っている(作ることができる)んだろう。
テクノロジーをテーマとするものはやたら金がかかりそうだ。
アルヴィン・ルシエのようなスマートで粋な作品が増えると良いなあ。

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