2014年4月29日火曜日

カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』

学部スタジオ授業の準備/課題の一環ではないけれど、学生にオススメしたことだし、久しぶりに読み返した。
普段あまり意識しない自分の処世術みたいなものの多くは、やっぱり、カート・ヴォネガットを読んで学んだものが多いなあ、と思いだした。
「なに一つなおざりにはすまい」(264)のくだりとか。

さて、誰か読んでくれるかな。

チャンピオンたちの朝食
カート ヴォネガット ジュニア 浅倉 久志
B00JFOF2S2


















「 五十歳の誕生日を目前に控えて、わたしは同国人のくだすいろいろのばかげた決定に、ますます腹が立ち、不可解でならなかった。そしてある日とつぜん、わたしは彼らを哀れに思うようになった。それほど不快きわまる行動をし、それほど不快きわまる結果を招くのが、彼らにどんなに悪気のない、自然なことであるかを、理解したからである。――つまり、彼らは物語の本の中で創作された人びとのように生きようと、ベストをつくしているのだ。なぜアメリカ人があんなにしょっちゅう、おたがいを銃で撃ち殺すのか、その理由はここにある――それは、短篇でも一冊の本でも、小説を終わらせるために便利な文学的手法の一つなのだ。
 なぜこんなに大ぜいのアメリカ人が、政府からまるで使い捨てのティッシュ・ペーパーのような扱いをされているのか? それは、小説家が作り物のお話の中でいつも端役をそんなふうに扱うからである。
 その他いろいろ。
 なにがアメリカをこんなに危険で不幸な国、実生活でなにもすることのない人びとの集まった国にしているか、いったんそれを理解したとき、わたしはストリーテリングを避けようと決心した。人生について書こう。どの人物にも、ほかの人物とまったくおなじ重要性を与えよう。どの事実にもおなじ重みを持たせよう。なに一つなおざりにはすまい。ほかの作家たちには、混沌の中に秩序を持ちこませておけ。わたしは逆に、秩序の中へ混沌を持ちこもう。自分ではそうしたと思う。
 もしすべての作家がそうしたなら、文学を職業としていない市民たちも、われわれをとりまく世界に秩序などないこと、むしろわれわれは混沌の要求するところに順応していかなければならないことを、理解するようになるだろう。
 混沌に順応することはむずかしいけれども、それはできる。このわたしが生きた証拠だ――やればできる。」(264-265)

0 件のコメント: