2014年9月30日火曜日

Speaking Sculpture展@ギャラリーノマル

I've learned that Art is very expensive and that an increasing number of (visual?) artists are using sound in Kansai area.

大阪は深江橋まで初めて行った。
アートは高いこととと、関西で、音を使うアーティストが増えつつあるらしい、ということを学んだ。

藤本由紀夫さんの作品は、normalbrainの数百曲をランダム再生する、というもの。一曲一曲、たいそうな展開もないし、聞いているとかなり面白いのだけど、全曲入ったUSBが59800円だそうです。
今村源さんの≪ヒビクわたし≫がステキでした。発泡スチロールみたいなものでできた人体が逆さになって時計回りし、その身体に取り付けられた針金が床を擦り、その振動が発泡スチロールの身体を共鳴させるもの。「音を知覚するまでに至るプロセス=どこからどんな風に音が発せられているかに気付いて再確認するプロセス」に発見の面白さがあるし、音が発生するメカニズムが分かった後も、微かな音に耳をそばだてるのは面白い。
名和晃平さんの作品は、顔のところに取り付けられたスピーカーから聞こえるかどうかの微妙な音量で、外国語の会話が再生される、という作品。自宅に置くならこういうのが良いのかな?
中原晃平さんの作品は、石とかダンボールとか画用紙にデタラメな平仮名を書き付けた作品。ある種の「原始のことば」みたいなものの表現を狙ったのかもしれないけど、自宅に置けるものじゃないなあ。

ギャラリーノマルは25周年だそうです。
オーナーはスピーカー作ったり版画工房したりもしてるそうです。
男前でした。

参考までに、と思って、今村さんの作品の値段を聞いたのだけど、まあ、アニキが一昨日買ったばかりのレクサスよりは安い値段だったけど、でも、どんなひとが買うのだろう?と思った。
買うひとはけっこういるんだろうけど、僕は今まで、アートを買う人に会ったことがないなあ。
僕には手が出ないし。
アートってなんで高いんだろう。
Why can Art be so expensive? 




2014年9月23日火曜日

山下残『そこに書いてある』@青山スパイラルホール

| 山下残 | zan yamashita:
日本ろう者劇団による合唱がサイコーに素晴らしかった。
しかしまあ、確かに、野村誠さんと匂いが似ている
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DANCE NEW AIR » そこに書いてある:
”京都を拠点に活動する山下残の代表作のひとつ『そこに書いてある』が発表から12年の歳月を経て、やっと東京に初お目見えする。2002年の伊丹アイホールでの発表から、京都、ブリュッセル、イスタンブールを経て、今回は、昨年ソウルにて発表された韓国を代表するアン・エスン・ダンスカンパニーとの再創作の上演だ。舞台は、観客に渡された一冊の本に従って進む。本の中には、単語、ことばの連なり、図解、棒線で描かれた絵などが書いてあり、それらは舞台上のダンサーたちへのコマンドでもある。ページをめくる毎に楽しさと意外性にみちた世界が現れ、観客を言葉とイメージの世界に誘う。「言葉」と「身体」の問題にこだわり続ける山下にしか作れない必見作品。(久野敦子/公益財団法人セゾン文化財団プログラムディレクター)”
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山下残『そこに書いてある』を見た。感想はまた後で記すとして、とても良いコンテンポラリーダンスでした。 で、最後に、べえが歌ってた! 引越しの歌を歌ってた。暮らしと夢は続いていくのだ。
いいね (1)  コメント (0) 2014年09月23日 17:09:16

2014年9月21日日曜日

中華菜館同發新館で侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督『童年往事 時の流れ 』(1985)

同發新館で映画を見た。

何も起こらないなあ、と思いながら見ていたのだけど、最後の三分間で傑作になった。
第二次世界大戦後の台湾の一家族のお話なのだけど、劇的な物語はまったくなくて、日常が淡々と過ぎ、父も母も祖母も亡くなったりしていく。小学生だった主人公の「あは」は大学受験の年齢になる。「あらすじ」ってこれくらいかもしれん。
あまりに何も起こらないので途中何度か眠りそうになったけど、「20世紀中頃の台湾の庶民生活の描写」に対する興味で見ていたら、最後の三分間で大変感動した。途中、祖母と散歩するエピソードがあって、何のことか分からなかったのだけど、そういうことだったのか、と。

激動の第二次世界大戦後の台湾史にほとんどまったく言及していないよなあ。
高校の歴史って、第二次世界大戦後のことはあまりやらないと思うので、高校で世界史か日本史やったくらいでは、この映画の歴史的背景は理解できないのではなかろうか。
僕もまだよう分からんし。

童年往事 時の流れ - Wikipedia:


夜、目が覚めた。
時間が経つと、個々のシーンがとくに脈絡もなく脳裏に浮かんでくるようになった。
これは本当に傑作だったようだ。
主人公の一家は、仕事で先に台湾に渡った父から「台湾には水道もあるぞ」と言われて台湾に移住した(それが理由じゃないけど)。
家庭の中でアハがひとりになる瞬間、水道が効果的に使われていた。
父が死んだ夜に水道で体を洗っていると母親が大声で泣き叫び始める、とか、夢精をして夜中に水道で下着を洗った後寝床に戻ろうとした時に母親が泣きながら手紙を書いていることに気づく、とか。他にもいくつか水道を使うシーンがあった気がする。

2014年9月20日土曜日

『スズキユウリ ”Playing with Sound”』@ポーラミュージアム

肩書きが「サウンドアーティスト/デザイナー」なのは何なんだろうと思っていたが、確かにデザイナーだ。「アーティストとデザイナーの違い」とは何か、とか考えそうになったが、すぐに辞めた。
ウェブサイトにはもっと色々あるけど、今回の展示は一室だけ。もっと大規模に見られると迫力あるだろうなあ。
http://yurisuzuki.com

大量生産してオモチャとして販売すべきだと思う。KORGのCLIPHITみたいな感じだが。
http://sothis.blog.so-net.ne.jp/2014-09-04-1
これ、これを使う人の側で、出音の音色調節などができないと面白くないよなあ。

イントナルモーリをテーマに作られたと思われるオブジェの正体がよく分からなかった。

2014年9月15日月曜日

倉内太『ペーパードライブ』

ペーパードライブ
倉内太
B00LE5UGTU


ぐるぐる回る@埼玉スタジアム2002で、CHECK YOUR MOM(倉内太+柴田聡子)を見て、なんとも良いなあ、と思ったのだった。
その後けっこう何度も聴き続けている。
良いアルバム。

分かる人が限定されるけど、とても器用ななあちゃん(永江孝志)、みたいな感じがする。三輪くん(三輪二郎)も思い出す。
まあ、なあちゃんは不器用だから良いのだし、三輪くんは三輪くんだからカッコイイのだが。
なあちゃんも最近久しぶりに弾き語りのライブをしたらしいし、べえと一緒に横浜でライブして欲しいものである。
(誰が客に来るかは不明。)

[宣伝]9/15(月)に三沢洋紀と岡林ロックンロールセンターで「ぐるぐる回る2014」に出演します。


僕らは5番目のless than TVステージで1525-1550に出演予定。
でかいところから小さいところまでステージによって色々違うらしい。 →〈ぐるぐる回る 2014〉が2014年9月15日に開催決定!! 会場下見に同行しちゃいました!! - OTOTOY
たんげん君に会えるかな。姿形も名前も(種族も)変わってしまったようだが。
ともあれ、埼玉スタジアム2002ってどうやって行くのが賢いのだろうか。

ウェブサイト:ぐるぐる回る2014 - 2014年9月15日(月・祝)埼玉スタジアム2002
Facebookページ:ぐるぐる回る2012 ←「2012」だけど、このページで正しいはず。

2014年9月14日日曜日

[宣伝]9/14(日)にパーカッション・サウンドシフト4というイベントに参加します。


場所は六本木super delux
数十人以上の打楽器奏者とかドラマーとかミュージシャンが交代で演奏し続ける、というコンセプトのイベント(だと思います)。
さて、僕は何しようかな。
新聞紙叩いても聞こえないだろうし。
他の人みんな、うまそうだなあ。

ウェブサイト:Percussion Sound Shift - パーカッションサウンドシフト
Facebookページ:Percussion Sound/Shift 4

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9/14(日) • Sunday, September 14

Percussion Sound/shuft 4
パーカッション・サウンドシフト4

Sound/Shiftのコンセプトは、「ギャラリーの生けるインスタレーション」であり出演者が交代でプレイしながら「発展し続けるサウンドスケープ」をつくるというものである。演奏の多くが長時間にわたるものになるSound/Shiftは、100人あまりのミュージシャンが、時間をずらして出入りしながら3~5人の集団をつくり、変化し続けるアンサンブルを生み出す。

The concept of a Sound/Shift is a "living gallery installation" in which multiple performers play in shifts to produce an ever-evolving soundscape. Often performed over extended periods of time, a Sound/Shift may involve as many as a hundred musicians who play in clusters of 3 to 5, entering and exiting at staggered intervals to create an ever-changing ensemble.


秋山ジーノ/Gino Akiyama
荒井康太/Kota Arai
サム・ベネット/Samm Bennett
モリィ・バーンズ/Morry Burns
マルコス・フェルナンデス/Marcos Fernandes
モーガン・フィッシャー/Morgan Fisher
平島聡/Satoru Hirashima
ヒロイ克典/Katsunori Hiroi
石原雄治/Yuji Ishihara
北山ゆうこ/Yuko Kitayama
小林MuupyムツミMutsumi "/Muupy" Kobayashi
熊田央/Tadashi Kumada
前田紗希/Saki Maeda
門田文孝Y/asunori Monden
森もんち隆晴/Takaharu Monchi Mori
森岳之/Takeshi Mori
永井朋生/Tomoo Nagai
永田砂知子/Saxhiko Nagata
中川克志/Katsushi Nakagaswa
ノブナガケンKen Nobunaga
左方まさよ/Masayo Sakata
清水博志/Hiroshi Shimizu
武田義彦/Risa Takeda
武田理沙/Toshihiko Takeda
露木達也/Tatsuya Tsuyuki
ワッソン/Wasson

Super Deluxe * スーパーデラックス
東京都港区西麻布3-1-25B1F • 03.5412.0515
https://www.super-deluxe.com/room/3726/
17:00 open & start • adv. ¥1500 / door ¥2000

2014年9月9日火曜日

『フィオナ・タン まなざしの詩学』@東京都写真美術館

http://www.syabi.com/contents/exhibition/movie-2341.html



1.
『興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)』という映像作品があるらしいという前知識だけで、『フィオナ・タン まなざしの詩学』を見た。この中国の呪いのことわざ(と言われるけど実は20世紀半ばにアメリカ人が創造したと思われる言葉)が、翻訳中の本にあったので。
その程度の動機で行ったけど、面白かった。現実に対する新鮮な視線を提供してくれる映像作品群だった。
僕らの普段の物見方はけっこう凝り固まっている。実際に人間を正面像で見ることはほとんどないのに、正面像の写真記録が「ふつー」だと思う。そんな「常識」をこそげ落として、しかし「こそげ落としたから出てくるホンモノの唯一正しい何か」を提示するのではなく、ちょっと違う角度からの物事の見方をシンプルなやり方で提示する、そんな作品たちだった。この喩えはどうかとも思うけど、ちょっと古くなったゴボウの皮をもう一度綺麗にこそげ落として、それを使って、シンプルで美味しいサラダに仕立てあげる、みたいなひとだった。
あと、今やっている展覧会を最後に(9月23日まで)、東京都写真美術館は二年間の休館期間に入るらしい。あそこに行く以外に恵比寿に行くことなんか、ないだろうなあ。

展覧会カタログには「安全な立脚点を持たない旅人の目線で世界と向き合うことを選んだ」(57)という言葉があった。このカタログは、展覧会の作品を再録したものではなく、フィオナ・タンを解読する色々なキーワードとその解説1200字(何文字かは知らないけど)、みたいな用語集だった。展覧会の作品の情報がきちんと収録されていないのは困ったなあと思ったけど、良いカタログだったな。

2.
『興味深い時代を生きますように』(1997)は、インドシナ華僑の父とオーストラリアの母との間に生まれたフィオナ・タンが、世界中に散らばって生きているタン一族に会って話して、最終的には、中国の田舎にある、村人全員がタンさんという父の祖先の村にまでいく、というドキュメンタリー。
フィオナ・タンの両親は、最初はインドシナで結婚して生活していたが、『アクト・オブ・キリング』で描かれたようなインドシナの政変――とはいえ結局まだ見れてないのだけど――の後、政治的な問題などがあって生活するのが難しくなって来たので、オランダの華僑のもとに身を寄せる。
ややこしくてたぶん正確に理解していないのだけど、フィオナには、インドネシア、オーストラリア、オランダ、香港、中国にいとこやオジオバがいるらしい。で、それぞれが、自分のことをオランダ人だと思ったり世界市民だと思ったり中国人だと思ったり華僑だと思ったりしているらしい。
で、フィオナは、彼らと会って話をして、自分のアイデンティティとかフルサトとかに思いを馳せるわけである。もちろん、最終的に「本当の故郷、とか、確定した自分のアイデンティティ」を見つけ出すわけではなく、「そういうものを求めたけど、見つからなかった、ただ、この旅の途上で出会った人びとの姿が胸に焼き付いている」みたいな終わり方をする。

3.
こうまとめると、なんだそりゃ?とも思うが、僕は爽快だった。
最後に辿り着く中国の田舎の村は、ワン・ビン(王兵)監督の『無言歌』とか『三姉妹 雲南省の子』などに出て来るみたいな村なので、そりゃオランダみたいな西洋近代社会で生活してきた人間なら「私はこの村では暮らせない」っていう結論になるよなあ、と思った。「ルーツ」と「ふるさと」は別物なので、あらゆる生命のルーツは海にあるけど、起源から遠く離れて生きてきた我々はもはや海中では生きていけないように、「ルーツ」が常に暮らしやすいわけない。
何らかのホンモノの「アイデンティティ」とか「ふるさと」を捏造して何かある種の物語に仕立てあげる素振りもみせずに、こういう当たり前な(に見える)視線を提示してみる、ってのが、爽快だった。「私はなに、どこからきた?」みたいな、もしかしたら普遍的なのかもしれない問いに対して真正面から答えようとして、その問いには答えられないことを「明快に示す作業」を見て、爽快だった。こういうのがこの作家の特質なのだろうか。この作家は、こういうある種のシンプルさが素晴らしいのかな。

4.
ただ、このドキュメンタリーが『興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)』というタイトルになっている理由はイマイチ分からなかった。いちおう、インドネシアの虐殺が自分の家族が世界中に散らばった原因なので、タン一族がこのことわざの「You」ってことなのかな? つまり、タン一族は、誰かに「興味深い時代を生きますように(May You Live In Interesting Times)」という呪いの言葉をかけられたのだ、という意味か。
ただ、ぼくはこの諺が呪いを意味するということがよく分からない。この諺の反語的なニュアンスがよく分からず、むしろ「興味深くも楽しい人生を送りなさい」というお祝いの言葉として使うこともできるんじゃないかなあ、と思ったりする。だとするとこのタイトルは、「タン一族は興味深くも楽しい人生を送っているぞ」という自慢のタイトルなのかなあ、と思ったりもする。
まあ、よく分からんのだけど。

5.
他の映像作品もそれぞれ骨があって面白かったな。
マルコポーロの言葉の朗読と、その朗読とほぼ無関係に東南アジアの映像が続く作品とか、ひとつの部屋のなかで六種類の質感の映像を同時に見せるインスタレーションとか、面白かった。ビデオカメラ、8mm, 16m, 35mm, HDD、あともうひとつ何か、あわせて6種類の映像メディアで博物館の収蔵品を映し出し、6つの画面をひとつの壁に投影するインスタレーションなのだけど、そういう古いものには色々な時間層が積み重なっているという基本的な事実を、「古いもの」にあまり関心のない僕にも教えてくれる。
などなど

ただし、音がだせえ、とおもった。リズムなしで弦楽器の不協和音を数秒出すだけ、なのだが、なんともテンプレな効果音にしか聞こえない。
誰か音をいじってくれるひと、いなかったのか?
最後にそれを思いました。


2014年9月7日日曜日

DVDでAlvin Luciers『No Ideas but in Things』(2013)


おそらく、 《独奏者のための音楽(Music for Solo Performer)》(1965)、《私は部屋の中に座っている(I'm sitting in the Room)》(1969) 、《細長いワイヤーの音楽(Music on a Long Thin Wire)》(1977)の3作が飛び抜けて有名なアルヴィン・ルシエのDVD。冒頭の鉛筆で事物の音を使うパフォーマンス?が、とても素敵。
2011年に撮影された素材で構成されたドキュメンタリーのようで、撮影場所のほとんどが北欧で、最後にウェスリアン大学の映像が少し入る。ルシエが半生を振り返るとか、作家としてのルシエ像に迫るとかではないけど、「自然の音響現象を聴き手に知覚させる」とまとめられるだろうルシエの作品の特徴――"make it available to people to hear"というフレーズや、最後のルシエの"no ideas but in things"という言い方が象徴的――がよく分かる見せ方で、面白かった。《朽人に寄り添う鳥(Bird and Person Dyning)》(1975)(この邦題、なんか違うのではなかろうか)――マイクとスピーカーのフィードバック現象を利用し、マイクを持ったパフォーマーがスピーカーの間をうろつ(き、フィードバック音が鳥の鳴き声のような音を出す場所を目指してうろつ)くパフォーマンス(2018年4月4日追記:昨日のルシエ来日公演でこの理解が間違えていることを知った。佐藤実さんや大城真さんに教えてもらったがうまく咀嚼できていないのだが、もっと知覚のメカニズムを面白く使っている作品だった。)――とか《パノラマ(Panorama)》(1993)――どこかの山脈のパノラマ写真を元にその稜線を音のカタチに変換した作品――がどういう作品か分かって面白かった。
邦題は『事物の中以外に観念なし』(正確だけど、なんかニュアンスが違う気がする。『事物のなかにこそ秘密がある』とか? これはこれで違うか)。

ボーナス映像によると、アルヴィン・ルシエは2031年まで生きるつもりらしいし、墓石には「composer」と書いておいて欲しいそうです。また、自分は「実験音楽家」ではないそうです。
僕はデヴィッド・バーマン(David Behrman)のファンなのだけど、2011年のデヴィッド・バーマンが話している映像を見たところ、とても元気そうだったので、日本に来てくれないものかなあ、と思いました(デヴィッド・バーン(David Byrne)も大好き)。

これ、良いDVDだ。
イマイチ(英語が)よく分からない部分もあったし、日本語版買おうかなあ(→後に「日本語版」なんか無いことに気づきました)。
事物の中以外に観念なし ~ 作曲家アルヴィン・ルシエ (No Ideas But in Things / The composer Alvin Lucier / A film by Viola Rusche & Hauke Harder) [DVD] [輸入盤]
B00FTGY3YY

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Generative Music Workshop: Alvin Lucier "Music on a Long Thin Wire" from Generative Music Workshop on Vimeo.

これはちょっと違う。







《Nothing is Real》(1990)という作品がとてもステキだった。
ピアニストの高橋アキのために作った作品らしく、彼女が、あなたの作品はビートルズの《ストロベリー・フィールズ・フォーエバー》を思い出させる、つまり「nothing is real」というフレーズを思い出させる、と言ったらしく、なのでルシエは、その部分のメロディを使って、ピアノのボディとこのティーポットを使って、everything is realな作品を作ったらしい。

NO IDEAS BUT IN THINGS - The Composer Alvin Lucier - Nothing is Real





最初の方で《Sferics》(1981)や電磁波を聞こえるようにしてるんだ云々と説明しているところ、あるいは、《独奏者のための音楽(Music for Solo Performer)》(1965)を作るきっかけがケージをAnn Arborに呼んだ時にケージに言われたからだとか、Edmond Dewanと知り合っていたからだ云々という話は、Douglas Kahnの『Earth Sound Earth Signal: Energies and Earth Magnitude in the Arts』を読んでいたので何のことか分かったけど、読んでなかったら全部初耳のことなので、しばらく分からなかったろうなあ。

Earth Sound Earth Signal: Energies and Earth Magnitude in the Arts
Douglas Kahn
0520257553

2014年9月5日金曜日

Henry Flyntは面白い。

David Grubbsの『Records Ruin the Landscape』の第一章をパラパラ読み始め(Douglas Kahnの後だと、とてもスラスラ読めるぞ!)、そこで取り上げられていたので、ubuwebでHenry Flyntを聴いていたのだけど、面白いミュージシャンだなあ、と思った。
ゲンダイオンガクとかインド音楽とかを混ぜ合わせた「スーパーハイブリッド」なフォーク・ミュージックだった。
かっこいー。
UbuWeb Sound - Henry Flynt

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David Grubbsの本は、90年代以降のレコードの再発やアーカイヴ化の流行、さらには21世紀以降のubuwebなどオンライン・ソースの浸透により、60年代の実験音楽たちの聞かれ方がどのように変化したか、ということを述べていく(あまりアカデミックな記述ではない)。で、この本では、そうして90年代に大きく位置づけが変わった代表的事例として、Henry Flyntが取り上げられている。

Henry Flyntは1990年代まで、1986年にHenry Flynt - You Are My Everlovin / Celestial Powerというカセットテープをリリースしただけで、他は『Sound and light : La Monte Young, Marian Zazeela』所収の「La Monte Young in New York, 1960--62」などの文章で知られていた。
しかし90年代以降、HFの音源がたくさん発掘されてリリースされ始める。この時期にはほかにもスミソニアン博物館が1930年前後に出していたHarry SmithのAnthlogyが再発されたり、ミニマル・ミュージックの発掘が進んだり(Tony Conrad, Four Violinsなど)、「60年代の実験音楽の聞かれ方」が変化する。さらには21世紀になるとたくさんのオンライン・アーカイヴが登場する。そのなかにHFが登場したのだ云々。

この本、かなり読みやすいけど、どうやってオチつけるのかなあ…。
最後まで読むかなあ…。

Records Ruin the Landscape
David Grubbs
0822355906