2015-01-25

1月25日に下北沢THREEで、三沢洋紀と岡林ロックンロール・センターでライブします。

KIRIHITOと三沢&岡林RRCとの共同企画です。
なんだかメンツが豪華です。
みなさま、よろしくお願いします。

三沢RRCは久しぶりに全員でライブします。
僕がライブに参加するのは9月の埼玉以来です。
この数カ月の間にマルコスさんがドラムセットをフルで叩くようになったようなので、次回の僕の役目は、新聞紙セットじゃなくて、「壁とか床とか何かを叩く人」になりました。
どうなるかなあ。

あと、このイベント名の「GOUT」ってなんだ?と思って、辞書をひいてみたら「1.痛風 2.[血の大きな]しみ、凝固」という意味でした。
他に何か意味があるのかな?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー¥
OK production presents -「ESCAPE FROM GOUT!!
【LIVE】
KIRIHITO
三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター
Jajouka
射守矢雄と平松学

【DJ】COMPUMA
open18:00 start19:00
前2000yen 当2500yen

竹久 圏 - 2015年1発目はKIRIHITOと三沢&岡林ロックンロール・センターとの共同企画!豪華ゲスト陣に注目です!宜しくお願い...:


2015-01-19

メモ:大江健三郎『キルプの軍団』

久しぶりに「純文学」を読んだ。「こんな高校生がいるわけない」なんて無粋なこと言ったって仕方ない。ただ面白かった。

ディケンズ(とドストエフスキー)を読むことから生まれた小説で、物語には生き方を考えさせる強さがあることを実証する小説だった。だから、大江健三郎の小説のなかではマイナーなのかもしれないし、最初に読む一冊ではないのだろう。「許し」がどうこう、というのは、僕にはよく分からない。

読んでるうちに、自分がこの本を読みたがっていた理由を思い出した。高橋源一郎が『文学がこんなにわかっていいかしら』所収の文章のなかで、『キルプの軍団』の文章をとりあげて大江健三郎のサービス精神の素晴らしさについて語っていたのだ。高校生の頃、高橋源一郎をよく読んでいて、それで色んな日本文学を知ったのだった(必ずしも読んだわけではなかったが)(松苗あけみも高橋源一郎経由で知ったのかもしれない)(なんでアマゾンの書影に出てこないんだ?)。だから僕は、この『キルプの軍団』をそのうち読んでみよう、と思っていたのだった。高橋源一郎の文章の内容は、要するに、「細部にまで綿密に神経の行き届いているものは、世の中にはムダなものなぞ何一つない、という感覚を与えてくれる、この『キルプの軍団』のように」という内容だったと思う(ここに少しのってる)。

うちの父親は大江健三郎の新刊が出るたびに単行本で買ってすぐに読むという高校教師だったなあ。とりあえず、僕もちょくちょく読んでいくことにしよう。

キルプの軍団
大江 健三郎
4000004158

文学がこんなにわかっていいかしら (福武文庫)
高橋 源一郎
4828832416

コギト工房 大江健三郎まずはこの作品から:『キルプの軍団』へのコメントは、ほとんどない。

2015-01-17

Douglas Kahn, Earth Sound Earth Signal, 2013の書評を『美学』に掲載しました。

書誌情報は以下のような感じ。

中川克志. 2014 「書評: ダグラス・カーン『地球の音、地球の信号 芸術におけるエネルギーと地球的広がり』」 美学会(編)『美学』65.2(2014年冬号):134-137。

「書評」というより内容の「要約」をしました。
ダグラス・カーンを日本で宣伝する活動の一環です。
ここには負けるけど。
Earth Sound Earth Signal | evsc:

本文は『美学』をご参照ください。一年後にはCiNiiに掲載されるはずです。そしたら自分のウェブサイトにも掲載しておきます。


メモ:Gemano Celant(ジェルマーノ・チェラント)について

1973年にイギリスのRoyal College of Art Galleryで開催された「The Record as Artwork from Futurism to Conceptual Art」という展覧会は、Gemano Celant(ジェルマーノ・チェラント)のコレクション展で、初めて「レコードのジャケット」をアートとして扱った展覧会である。要するに、(ヴぃじゅある)あーとな感じのレコード・ジャケットとか、(ヴぃじゅある)・アーティストの作品を使ったレコード・ジャケットとか、(ヴぃじゅある)あーてぃすとが作ったレコード・ジャケットを展示したものである。
 便利なもので、ここで展示されたレコード・ジャケットをDiscogでどなたかがまとめてくれている。また、Gemano Celantが1981年のNeuberger Museumにおける「SOUNDINGS」という展覧会に寄せた「Artsound」という文章はubuwebで公開されており(この文章自体は、ヴぃじゅあるあーとにおける”音に対する関心”の系譜を断片的に記述、みたいな文章だった)、なので、「サウンド・アート」を扱った先駆的な展覧会である「SOUNDINGS」(1981)にとっての先駆的存在なのだから、「The Record as Artwork from Futurism to Conceptual Art」は「サウンド・アート」を扱ったもっと先駆的な展覧会、ともいえる。つまり、乱暴にまとめると、この展覧会は

・70年代に視覚芸術(現代美術)が「音楽」というテーマに関心を持ち始めた事例のひとつ
・「サウンド・アート」の展覧会の先駆的事例
・Internet Archiveにあるはずなのに、ファイル本体が欠損している事例(残念である)

と位置づけることができる。


 で、不勉強だったのでさっき初めて知ったのだけど、Gemano Celant(ジェルマーノ・チェラント)という人物は、「アルテ・ポーヴェラArte Povera)」という言葉を命名した人物だった。
 へー! 「サウンド・アート(がヴぃじゅある・あーとの世界で便利に取りあげられ始める徴候)」の起源とかきっかけとかのひとつ、といえるかもなあ。

2015-01-01

あけましておめでとうございます

昨年は下の画像のような感じでした。
今年も良い年になると思います。
本年もよろしくお願いします。

3月に『音響メディア史』(共著)が出ます。
その後スターン『聞こえくる過去』(共訳)が出ます。
サウンド・アート研究も何かの形にします。

あと、ドラムセットを叩くバンドがしたい!