2015-09-27

音響文化研究会トークイベント#2 新しい「楽器」をつくる――録音と電子楽器以降の楽器

今日のトークゲストは、斉田一樹(木下研究所 客員所長)さんでした。「木下研究所」はまあフィクショナルなあれで、実際はエンジニアとして電子楽器を作っているので、その話をうかがいました。
中川は今日は最初に20分ほど話したので、全体的にどんな感じだったか分からないところもあるのだけど、「電子楽器を作る人」がどういうことを考えているのかをじっくりと聞けて、面白かったです。
詳細は、そのうちウェブサイトに掲載される金子くんの報告を参照してもらうとして、自分の記録のために、メモだけしておきます。

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1.「ユーザー」の話
電子楽器の開発主体には「ユーザー」も含まれている、という話。
とはいえ、だとすれば、その機械では扱えない音楽を志向する「ユーザー」のことは、どう思ったりするのだろうなあ、と思いました。音楽学とかじゃなく、これ、科学技術論(STS)だな。

2.言われてみて、なるほど、と思ったこと
:PCM以降ブレイクスルーがないように思われる、という話
:今の電子楽器の基盤はMIDIである、という話
:電子楽器のために技術が開発されることはない、(軍事など)他分野のために開発された技術を応用してきたのが電子楽器の発明だ、という話

3.楽器の「面白さ」
electribe2に「ラスト・ステップ」という機能をつけたことはサイタさんのこだわりだったそうです。で、僕は、楽器の機能の「面白さ」って、どこでどのようにどんな基準に基づいて判断するのだろうなあ、と思いました。もちろん楽器製作者本人がそんなことを考える必要はないのですが、僕はそういうことに関心があるようです。つまり、ある人が価値判断を下す時に基盤にしているものに関心があるわけですね。

4.「楽器」という言い方
やっぱ、電子楽器を操作して発音することは「楽器」とか「演奏」と呼ぶのが自然なようです。

僕は、伝統的なオーケストラに含まれるような楽器と、シンセサイザー以降の「楽器」を分割する特徴として、後者には「装置の操作と発音の契機との分離」という特徴がある、という話を『音響メディア史』ではしたのだけど、これは、あらためて言うまでもないけど、かなり粗雑な指摘です。
だって、ピアノも、弦を張るという操作と発音の契機が分離している、と言えるし、KORGのelectribeも、装置を操作するタイミングと同時にリアルタイムに発音する、と言えるので。
なのに『音響メディア史』で「装置の操作と発音の契機との分離」という特徴について語ったのは、アコースティックな楽器と電子「楽器」とを、あるいは、楽器といわゆる「機材」とを区分するために、何かの概念を提案したかったからです。
この考え方をより精緻に整理するために、電子楽器を作る人はどんなことを考えているのかをじっくりと聞く機会は、面白かったです。

5.electribe2
の話をたくさん聞きました。
electribe MUSIC PRODUCTION STATION | DJ & Production Tools | KORG
生まれ変わったELECTRIBE!KORG electribe 2 発表!Ableton Liveとの連携も可能に。 | Digiland (デジランド) 島村楽器のデジタルガジェット情報発信サイト

色々ありますが、あんなに早く操作できるようになりたいなあ、と思いました。

6.サイタさんの音楽活動
サイタさんは、「車輪の再発明」というバンド(?)をしているそうです。これは、今IAMASでやってる「車輪の再発明」プロジェクトとは関係がないそうです。




あと、The Breadboard Bandというバンド(?)もやってるそうです。
「楽器を作りたい」という欲求は、「(聞いたことのないあの)音を聞きたい」という欲求にもとづいていたりするそうです!


7.出社
Korgは7時半出社らしいです!

8.僕はサイタさんの作品を知っていた!
2013年1月28日月曜日
メモ:斉田一樹+三原聡一郎《moids 2.2.1——創発する音響構造》(2009/12年)
二年前に見たこの作品の斉田さんであったことに、今日初めて気付きました。作品のことはしっかり覚えているけど、作者の名前も作品名もすっかり忘れてました。
面目ないです!

9.これも
2012年02月04日 12時00分更新 ASCII.jp 仕様書より開発者の“勝手”信じた、KORG人気シリーズ第2弾

10.他に知ったこと:Miburiという楽器
:質疑応答で知ったのだが、僕以外のひとはみんな知ってた。
Miburi | DESIGN | ヤマハ株式会社
大久保宙による紹介ページ ←shiftJISのページなので注意! ←この方はフレームドラムだけのひとではなかったのか!

:なんだ、この映像…。見たことも聞いたことも触ったこともない「楽器」を使って、聞いたことのある音を生み出すわけか…。
:足立智美さんのとは全く違うな。


11.他に知ったこと:PYRAMIDという楽器:見つけられない…。
:テンポ変更可能な電子楽器がすでにある、という話を、音環のキモトくん(だったと思うがあやふやである)から仕入れたのだが、見つけられない…。

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最初に“「電子楽器を作る人」がどういうことを考えているのかをじっくりと聞けると面白い文脈”について説明があると良かった、という意見をもらったので、次回は、そういう説明を心がけようと思います。
次は、京都で、10月16日で、城一裕さんにお話してもらいます。

2015-09-26

ジョナサン・スターン『聞こえくる過去』(インスクリプト、10月16日書店発売予定)のブローシャ(白黒)



ブローシャ(brochure):冊子、パンフレット、カタログ、案内書
:「ブローシャ」という言葉を学んだ。「チラシ」とか「フライヤー」のことのようだ。
:「ぷ」(濁点)なので要注意

2015-09-24

キム・ジュンヒョク『楽器たちの図書館』2011年

新しい韓国の文学シリーズのふたつめ。作者は1971年生まれ。
固有名詞があまりないので、初期の村上春樹みたい。何語にも翻訳できそう。

韓国文学を長年観察してきた訳者のようなひとから見れば、ある種の感慨を覚えるらしい。つまり、植民地文学でも社会参与の文学でもない「オタク」の文学が登場したのか、と(ただし、固有名詞がほとんど登場しないままに「DJ」とか「リミックス」といった言葉が使われる物語は、まったく物足りない)。
韓国文学という文脈を超えた力は、僕には感じられなかった。村上春樹でいいじゃねえか、と。

韓国にいる若者にとってはどうなんだろう。
この「透明」で、僕には薄っぺらく見える物語が、それなりに、自分たちの現実に潜むなんらかのリアリティをすくいあげているのだろうか。つまり、生活感情においては、政治も社会も興味ないし、アジア人としての自分たちが「外」からどう見られているかにもあまり興味ない、みたいな生活感情のリアリティを、すくいあげているのだろうか。


楽器たちの図書館 (新しい韓国の文学)
キム・ジュンヒョク 波田野節子
4904855043





2015-09-17

Co.山田うんの新作『舞踊奇想曲 モナカ』@KAAT

16人のダンサーの群舞が60分続いたのだが、せいぜい20分程度しか続かなかったのではないかと思った。
素晴らしいダンスだった。
群舞とソロのバランス変化の妙とか。群舞は、2,3,4,6,8人にグルーピングされたり、あるいはソロと15人になったり、ソロと4人と4人と4人と3人になったり、8人と8人に分かれたり等々。複雑に構成され、5章60分をまったく飽きさせない構成で、手練の振付師とはこんなにうスゴイものをつくり上げるのか、と関心した。

どうやって言葉で記録すべきなのか分からない。これを記譜したスコアを見たい。
音楽のようなダンスというか、バランスや強弱や構成を積み重ねる時間芸術が素晴らしい時はついつい「音楽」という言葉を使ってしまうのは、すべての芸術は音楽の状態に憧れるから、ではなく、批評の言葉が不足しているから、なのだろう。
ううん。



この詩のような言葉、意味がよく分からなかったけど、夜になって読みなおすと、なんだか味わい深い。
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いつも目の前には道がないので
物語では足りない
これは無地の力
音楽と舞踊の結ばれ方次第で
どれだけ多くの混沌が和解されるのだろう
と夢見てる
           山田うん
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ヲノサトルさんが音楽を担当。
帰りに新作CD買ってしまった。
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Co.山田うん新作公演『舞踊奇想曲 モナカ』|KAAT 神奈川芸術劇場 
山田うん 公式HP




co.山田うんの新作『もなか』
素晴らしいコンテンポラリーダンスだった。手練れのダンス・カンパニーってすごいんだな、みたいなことを思いながら見惚れていた。
群舞とソロのバランス変化の妙とか、色々あるけど、60分の長さを感じなかった。20分くらいだったのではないか。
今年もACYさんのおかげで色々と面白いものを見られる

ヲノサトルさんが音楽を担当。帰りにCD買ってしまった
ー 場所: KAAT 神奈川芸術劇場
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2015-09-06

中屋敷南『欲望と女の子』@神楽坂セッションハウス




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中屋敷南の『欲望と女の子』を見てきた。
楽しい身体運動をたくさん見た。
最後の方、ビニール袋の繭みたいなものを使うあたり、右端のさらに右端に座っていたのでよく見えず、よく分からなかったけど(会場満杯だった。10分前に着いたら、壁際にさらに席を作ってもらわないと着席できなかった)、なんか全体的に「ケネス・アンガーが女性で、ダンサーなら、こんなことをやっていたかもなあ」と思った。
なんとも伝わらない喩えで申し訳ない。
あと、最後まで、舞台上の誰が中屋敷か分からなかった(舞台上には5人いた)。帰りの階段で会えたのに、それでもいまいち分からなかった。
化粧ってすげえ。
雨の中やってきたおかげで、今なんとかしようとしている論文の方向性を決めることができた。
良かった!

「音響文化研究会トークイベント#1 日本の機械録音時代」 の感想

「音響文化研究会トークイベント#1 日本の機械録音時代」 の感想
ゲスト 細川周平(国際日本文化研究センター 教授)

8月28日に、細川周平さんに来ていただいて、音響文化研究会トーク・イベントの第一回目が行われました。これは音響研究あるいは音響文化論あるいは聴覚文化論に関する話題をあれこれするトーク・イベントです。詳しくはここ(http://soundstudies.jp/info/)を参照してください。
トーク・イベントの内容はたぶん次回(9/26)くらいまでにはウェブサイト(http://soundstudies.jp/s01/)にアーカイヴされるので、全体的な報告はそれに任せるとして、二点だけメモしておきます。
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1.
細川さんは、音響再生産機器の“ホンモノらしさ”に訴えかける広告を見たことがない、とのこと。
つまり、日本では、”xx社のレコードプレイヤーで再生した松井須磨子の歌はホンモノの松井須磨子の歌声と同じです!”みたいな広告があまりない、とのこと。
スターンのハイファイ論(『聞こえくる過去』第5章)のつかみは、エンリコ・カルーソの生歌と録音とは"which is which?"だ、と訴える広告なので、面白かった。

ここから考えられることはふたつ。
1)スターンのアーカイヴ調査には偏りがある(西洋でも、”ホンモノらしさ”に訴えかける広告は実は少なかった)
2)日本における「ハイファイ概念」は西洋とは異なるやり方で発達した(ハイ・フィデリティとはそもそも「クラシック音楽」のサークル内で通用する概念だったし、日本の場合は、レコードという缶詰音楽を経由しなければホンモノとしてのナマの西洋音楽に接することが難しい、という常識もあったので)

1)を実証するのは難しい。その時代の広告全般を確認しないと分からない。
2)はありそうな話だけど、これも実証的かつ説得的に語るのは難しい。観念的な議論になるとつまらないので。

2.
昭和10年くらいには、雑誌に「あなたもレコードに吹き込みしませんか」という広告が出現し始める、という話題の流れで、当時は紙の上に録音できる機械があった、って言ってた。
もっと詳しく聞けば良かった!!!
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”ドクメンタ”by大竹伸朗