2015-09-06

「音響文化研究会トークイベント#1 日本の機械録音時代」 の感想

「音響文化研究会トークイベント#1 日本の機械録音時代」 の感想
ゲスト 細川周平(国際日本文化研究センター 教授)

8月28日に、細川周平さんに来ていただいて、音響文化研究会トーク・イベントの第一回目が行われました。これは音響研究あるいは音響文化論あるいは聴覚文化論に関する話題をあれこれするトーク・イベントです。詳しくはここ(http://soundstudies.jp/info/)を参照してください。
トーク・イベントの内容はたぶん次回(9/26)くらいまでにはウェブサイト(http://soundstudies.jp/s01/)にアーカイヴされるので、全体的な報告はそれに任せるとして、二点だけメモしておきます。
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1.
細川さんは、音響再生産機器の“ホンモノらしさ”に訴えかける広告を見たことがない、とのこと。
つまり、日本では、”xx社のレコードプレイヤーで再生した松井須磨子の歌はホンモノの松井須磨子の歌声と同じです!”みたいな広告があまりない、とのこと。
スターンのハイファイ論(『聞こえくる過去』第5章)のつかみは、エンリコ・カルーソの生歌と録音とは"which is which?"だ、と訴える広告なので、面白かった。

ここから考えられることはふたつ。
1)スターンのアーカイヴ調査には偏りがある(西洋でも、”ホンモノらしさ”に訴えかける広告は実は少なかった)
2)日本における「ハイファイ概念」は西洋とは異なるやり方で発達した(ハイ・フィデリティとはそもそも「クラシック音楽」のサークル内で通用する概念だったし、日本の場合は、レコードという缶詰音楽を経由しなければホンモノとしてのナマの西洋音楽に接することが難しい、という常識もあったので)

1)を実証するのは難しい。その時代の広告全般を確認しないと分からない。
2)はありそうな話だけど、これも実証的かつ説得的に語るのは難しい。観念的な議論になるとつまらないので。

2.
昭和10年くらいには、雑誌に「あなたもレコードに吹き込みしませんか」という広告が出現し始める、という話題の流れで、当時は紙の上に録音できる機械があった、って言ってた。
もっと詳しく聞けば良かった!!!
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”ドクメンタ”by大竹伸朗

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