2017年11月30日木曜日

メモ:佐々木敦さんによるSIAFへの言及のメモ

佐々木敦さんが連載「アートートロジー」で札幌国際芸術祭に触れている回を読んだ。一回目の最後で次回の議論内容に少し期待させつつも、二回目の途中までは作品の簡潔な(とはいえ短い記述で作品の要点をえぐる見事な)記述が続いたので、確かに良い文章だけど、音楽と美術の文脈の違いを検証してくれてるわけでもないし(僕は何となくそれを少し期待していたので)なんだか物足りないなあ、と思っていたのだが、二回目の後半で、芸術祭とは何かという問題を論じることから議論を展開し、簡潔に、〈(国際)芸術祭バブルの根底にある様々なジレンマは、芸術(祭)の目的あるいは有用性が問われざるを得ないことにある〉という議論をしていて、その書きぶりに大変感心した。

「そんなものがいったい何の役に立つのか、という極めて現実的な問いに、それら[「国際芸術祭」など]は常に晒されている。そしてその問いは、アートとは、芸術とは、いったい何の役に立つのか、という、より根源的な問いを、その背後に有している。そしてそれは、私の考えでは、それこそが、問うてはならない問い、禁断の問いなのである。芸術は、何かの役に立つというものではない。すぐさま訂正する。芸術は、すぐれた芸術(何がすぐれているのか、という問題もあるのだが)は、間違いなく何かの役に立つのだし、立っている。その「何か」が何であるのかを明確に述べさせようとしてはならない。芸術の価値とは、そうしようとした途端に雲散霧消してしまうようなものなのだ。」(351)

別によくある考え方だとも言えるけど、それが役に立つのか立たないのかが問われ続ける有用性の世間に住んでいると、なかなかこんな感じで広言する機会もないので、シンプルにかっこよく断言してくれているのを読むと、気持ちが良い。
大学人たるもの、もちろん、ここでは、「芸術」という言葉の代わりに「人文学」とか「大学教育」という言葉を代入してみるわけである。

我ながらなんか情けないけど(とりわけ芸術を研究しているものとして)。
なので、急いで次の仕事の準備を始めることにしよう。

佐々木敦「アートートロジー(第6回) 「芸術祭」という問題(その1)」すばる 39.10(2017年10月号):284-293
佐々木敦「アートートロジー(第7回) 「芸術祭」という問題(その2)」すばる 39.11(2017年11月号):342-351

2017年11月28日火曜日

メモ:烏賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』(扶桑社新書、2017年)

全体を通読した結果、パチンコと老人ホームのカラオケを最近の日本で音楽が消費される「現場」として紹介する第4章が面白かった。
ここ10年ほどで「音楽」が消費される「現場」が多様化したという視点のもと、Jポップとかポピュラー音楽について考える時にあまり注目されてこなかった「現場」を紹介しているのが、面白かった。で、なかでも、「パチンコ業界」と「老人ホームのカラオケ」の紹介が面白かった。

とはいえ、パチンコ業界がJASRACにとって大きな顧客であることは分かったけど、それが「ポピュラー音楽の消費」とどんな関係にあるのかは分からないので、まあ色々と消化不良だ。また、DTMやDAWの説明とかインターネットがインフラ化した後のマス・メディアの状況の記述とかは単純で乱暴過ぎると思う(一方向的なマスプロ体制から消費者が主役に取って代わった、みたいな説明の仕方なので)。他にも色々な「現場」があるだろうに、とか。
なので不満点は多いのだけど、〈こんな感じで、他のいろいろな「現場」を網羅できると面白かろうなあ〉と思わせてくれたのは良かったかな。

確かに、タイトルは意味不明だ。なんだこれ。
あと、第一章のライブハウスの話は、やっぱりなんか偏ってるような気がする(ということは他の章もけっこう偏っているのだろけど、そもそも最初に著者自身断っているように、これはジャーナリストと個人しての著者の現場報告みたいなものなので、そもそも偏っているものとして読めば良いのだろう)。



烏賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』を読み始めた。全体的な内容はまだよく分からないけど、最初の章の「ライブハウス」の話、僕が知ってる「ライブハウス」とはまったく違う世界の話みたいだ。
それでも、本でまとめられたら、その話のほうが正しく見えるし、その話のほうが伝わっていくものだ。つまり、この本に書かれている内容が「正統的」に見えるようになることだろう。
とりあえずは、この本を参考に発表したり卒論書いたりする大学生が急増するんだろうなあ。
ふーむ。

今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「だから彼ら[最近の若いバンドマンたち]は、楽屋で共演バンド(いわゆる『対バン』)とおしゃべりして親交を結んだりしない。店のスタッフと語り合ったりもしない。「打ち上げ」の宴会などにも来ない。本番直前に現れ、ステージが終わるとさっさと帰る。帰ってライブビデオの編集をするのだという。ネットに上げて公開するそうだ。」(『「Jポップ」は死んだ (扶桑社BOOKS新書)』(烏賀陽 弘道 著)より)
この本を無料で読む: http://a.co/6nuzGyY
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無料のKindle for Android, iOS, PC, Macをダウンロードすればいつでもどこでも読書できます
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Quote shared via Kindle: "だから彼らは、楽屋で共演バンド(いわゆる『対バン』)とおしゃべりして親交を結んだりしない。店のスタッフと語り合ったりもしない。「打ち上げ」の宴会などにも来ない。本番直前に現れ、ステージが終わるとさっさと帰る。帰ってライブビデオの編集をするのだという。ネットに上げて公開するそうだ。"
READ.AMAZON.COM
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コメント1件
コメント
梶山 暢子 新書って知らない分野についての知識を過不足なく与えてくれる媒体だったけどそういう新書はもうほとんど見られない、と最近友だちが呟いてたの思い出しました。岩波、中公、ク・セ・ジュ、理系ならブルーバックスあたりなら概ね「可」だけど新興のは酷いのがあります。その辺りの目利きが難しい(定本がない)のはポピュラーカルチャー研究に特有の問題ですね。卒論レベルなら定番やっとけって指導されたのが今となってはある意味納得です。
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1
11月18日 8:02
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中川 克志 この著者のこの新書が問題なのは、この著者の2005年の『Jポップとは何か』は新書だけどこの分野の基本文献のひとつとして重要である、ってことですね。
一章だけ読んだ限りでは、調査意識とか調査精度の深度や振幅や範囲がけっこうアレではないかという疑いを抱いたのだけど、まずは最後まで目を通さねば。
https://www.amazon.co.jp/Jポップとは何か―巨大化する音楽産業-岩波新書-烏賀陽-弘道/dp/400430945X
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返信11月18日 10:12編集済み
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梶山 暢子 中川 克志 まあこの人元記者だからねえ。基本文献かあ。先生は本の読み方から指導ですもんね。
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返信11月18日 11:09
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中川 克志 梶山 暢子 さらには、「本を読むべし!」と伝えるところからが指導です。
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2
11月18日 11:53
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2017年11月12日日曜日

メモ:日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズ VI 前衛の種子たち-「グループ音楽」の日々


レクチャーコンサート、「グループ音楽」の日々に参加。簡単なお話と座談会と合間に音源再生。前の人も観衆も、平均年齢高し。
グループ音楽とは、〈西洋芸術音楽の末裔としてのゲンダイオンガクというエクリチュールの音楽文化〉の中に生じた即興演奏グループなんだな、と思った。あと、それは〈hearがリリースして、今はubuwebにあるグループ音楽の録音〉で知られたグループ音楽とは、かなり別の意味付けをなされているものだな、と思った。
〈ふたつのグループ音楽〉が存在するそれぞれの文脈は、そんなに離れているわけでもないだろうけど、もう片方の音楽文化に関心のない人もたくさんいる。両方を見るのは面白いことだ。
コメント
中川 克志 日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズ VI 
前衛の種子たち-「グループ音楽」の日々
11月11日(土) 開演:14:00 (開場:13:30) 
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中川 克志 マニラで会ったシンガポールのマークが、グループ音楽にとても関心を持っていたことを思い出した。マニラで僕も少しだけグループ音楽に言及したけど、ハイコンテクストなことを簡単に説明するのには難儀した。僕らは、グループ音楽に、録音を通じてしか触れていないし。
当事者世代にとってのグループ音楽と、後世にとってのグループ音楽は別物であるようにしか感じられない。でも、同じものなんだなあ!
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中川 克志 質疑応答で。
グループ音楽の即興演奏に付けられた曲名は、hearが音源をリリースした時に岡本たかこさんが付けた、とのこと。元々の録音には日付けだけが記入されていたとのこと。
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