2018年3月25日日曜日

メモ:村岡三郎は、1970年代前半に、日本で最初期に屋外展示のためのサウンド・インスタレーションを自覚的に作った。

村岡三郎は、1970年代前半に、日本で最初期に屋外展示のためのサウンド・インスタレーションを自覚的に作った(ただし、「サウンド・インスタレーション」とは呼ばれていない。また、「サウンドスケープ」という言葉もまだない。言葉自体の初出は1969だが、シェーファーの著作は1977で、70年代の内に日本に紹介されたけど、その主張の邦訳は1986)(単に屋外で音を使う作品はそれまでにもけっこうある。ただし、〈「サウンド・インスタレーション」という言葉で語られるわけではないけれど、今の視点では「サウンド・インスタレーション」と呼ぶことに何かの意味がありそうな作品〉は、たぶん、村岡三郎のものが最初期のもの。「最初」とは断言できない。『美術手帖』誌上で言及された作品としては最初、と言えるかもしれない)。
村岡三郎は〈音楽の素材として使われてきた素材としての音〉に関心があったわけではなく(むしろ「音楽」という問題圏にはほとんど関心がなかったと思う)、見えない(=視覚的に知覚できない)自然のエネルギーに関心があったのだろう。そこらへんのことを論じている論文や本はないものか、と思ったが、村岡三郎論みたいなものは見つけられなかった。
1997-1998年に東京国立近代美術館の後に京都国立近代美術館に巡回してきた村岡三郎展を見た。その図録にも「音」のことはあまり論じられていなかったように思う。もう一度確認し直そう。タイトルを覚えていないが、水を沸騰させる作品があり、なんともスゴイ作家がいるのだなあ、と思ったのを憶えている。

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以下のような作品があるようだ(このページを参照した)。

村岡三郎《貯蔵-都市空間の中で》(1972)

:100×600×300cm(鉄、振動スピーカー、集音マイク、アンプ、電話回線、その他)
:「神戸市内の3箇所に設置された集音マイクから電話回線を通じて、それぞれの都市の振動エネルギー(音)を、現地に設営された鉄板に展覧会中投入し続けられた」 。
:都市エネルギーを音として鉄板内に貯蔵した作品。貯蔵3部作。


村岡三郎・今井祝雄・倉貫徹との街頭イヴェント(大阪難波・御堂筋にて)


:共同行為「この偶然の共同行為を一つの事件として(三人の心臓音)》(1972)という名称か?!
:美術手帖に記事があった(下記参照)


村岡三郎《閉回路》(1973)(京都の立体ギャラリー射手座にて)
:5×5×37cm(鉄、振動マイク、金槌、テープレコーダ)
:叩いた音が5秒遅れで椅子に伝わってくる。それを感じてまた人が金槌で鉄板を叩く、という人の介在した閉回路を構成する作品。

などなど
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村岡三郎・今井祝雄・倉貫徹との街頭イヴェント(大阪難波・御堂筋にて)について
:1972年7月20-30日に、大阪市南区道頓堀「コンドル」およびその一帯で、店内はテープレコーダー三台で、屋外にはスピーカー三台で、オシロスコープも三台使って、心臓音を放送したとのこと
美術手帖1972年10月号(359号)に記事あり:「[今月の焦点]今井祝雄・倉貫徹・村岡三郎の街頭イヴェント」(12-13)


雑踏のなかで心臓音ドクドク
”この偶然の共同行為を一つの事件として”
時 一九七二年七月二十日正午~三十日( 午前九時~深夜一時まで)
所 大阪市南区道頓堀(御堂筋角)「コンドル」およびその一帯
構成 店内=テープレコーダー三台(エンドレス・テープ)、ウインドー=オシロスコープ三台、屋上広告塔=トランペット・スピーカー三台
心臓音録音=阪大病院
協力=谷口一雄
※30日夕、街頭にてその状況を録音( 街の騒音と心臓音はほぼ同ホーンである)
共同行為者 今井祝雄、倉貫徹、村岡三郎

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七二年夏・大阪
“この偶然の共同行為を一つの事件として......”と銘打って、さる七月二十日より十日間、私たち三人 の心臓音を、大阪ミナミの一角に投入した。大阪のド真中、御堂筋と道頓堀角の喫茶店「コンドル」屋上 の、使用されていない広告塔に取りつけられた三台のスピーカーから御堂筋の車道および歩道に向けて、 各心臓音が発せられた。
三つの心臓音は複合され、幾とおりかのリズムを繰り返し、街の車の騒音に浸透しながら、朝九時か ら深夜一時にいたる十六時間毎日その鼓動を打ち続けた。心臓音は店内の三台のエンドレス・テープから 屋上のトランペット・スピーカーと歩道脇のウインドーのオシロスコープに連なり、その波動(形)が音の 視覚化として示される。またこの店の前に位置する信号により、車の停止する赤の時間には鼓動はひときわ大きく聞こえ青の時間には車の騒音でかき消されそうになる(街の騒音と心臓音は、ほぼ同ホーンで ある)。
さて街の騒音と心臓音を等価として、美術館や画廊などの特殊な場ではない、まったくの日常空間の 中に、果たして偶然の通行人にこのイヴェントがいかに関わっていったか

※ ※ ※ 

行きずりの通行人の耳に侵入した、この二つの異質な“音”の出会い。それが美術家なる人種の仕組んだことなど、通行人にとってはその“音”以上になんの意味も持たないだろう。そして今回、“美術” や“芸術”という言葉を一切使わなかったことも、通行人にとっては幸い(?)であっただろう。なぜな ら、“美術”といったとき、“美術”に関係のない人たちにとっては、それは一つの呪縛でしかないか らである。
今井祝雄

どうしても個人の制作のなかにつきまとうエゴイズム、秘密の部分、とらえどころのない不気味な部 分-そのような人間存在の不気味な部分を切り捨ててみること。そして三人の精神、思考、肉体を自由 に交換すること。そのことにより、自我を超越した空間を獲得すること。その空間は三人の自我を超え た響鳴板と化すことにより、限りなく人びとに響存感覚を増殖させ、人びとを至福の恐怖に落下させる ......。
倉貫 徹

波(心臓音)もやはりものであること、そして三人の心臓音(およびオシログラフ)が、私の予想をはる かにうわまわって違っていたこと。
今後このような共同行為を行なうにあたって、次の二つのことを確認し合った。
一、二度と同じ行為を繰り返さないこと。
一、メンバーは流動的であること、その意味で共同体でもグループでもない。
村岡三郎

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