2018-08-11

メモ:2018年8月11日 藤田陽介✖️堀尾寛太『他人の光』@水道橋ftarri







メモ:2018年8月11日 藤田陽介✖️堀尾寛太『他人の光』@水道橋ftarri
藤田陽介✖️堀尾寛太『他人の光』@水道橋ftarri
《音、光、水、電気、あらゆる波を分け隔てなく扱う二人が立ち会う、公演という現象。》
fujita-yosuke.moo.jp/schedule/#421
四月の二人の公演を見れず残念だったので、そのうち是非とも思っていたところ、案外早くにその機会に恵まれた。

四月の公演がどんなものだったかはよく知らないけれど、今回のものは、30名弱のお客さんのいるftarriの店内で、音と光のパフォーマンスを構築していく、というものだった。
音と光のパフォーマンスとは、ふたりの持っている色々なわざ(技術、art)ーー光のクルクル、バグパイプ、様々な水音などなどーーを組み合わせてひとつの上演に仕立て上げたものだった。ドローンとかウネリから生み出されるリズムが、音とリズムとの区別を曖昧化させているのが、面白かった。〈音のウネリとリズムの区別〉は細かく考え始めるとめんどくさい問題だ。
あと、鈴の音みたいなのが聞こえてきて面白かった。あれは、水音にフィルターをかけて鈴の音みたいにしたものらしい。

こういうのは、〈ある程度確定的な不確定な演奏〉というより〈即興部分の多いセリフ劇〉に似ているかもしれない。音響テクスチュアは初期電子音楽に似ているかもしれない。
とはいえ、そのふたつをリアルタイムに共存させるというのは、ちょっとばかし珍しいものだろう。Chris Watsonの録音音楽みたいな音をリアルタイムに作り出してるみたいだなあ、と思った(という感想を堀尾さんに言ってしまった。演者に終わったばかりのパフォーマンスの感想を言うのは止した方が良いと思うが、僕はいつもつい言ってしまう。良くない癖だ)。

ということで、おおむね新鮮な気分で僕は楽しんだのだが、同時に、楽譜とか録音メディアとかエクリチュールに基づかない、構築型の上演型パフォーマンスはどうしてもアーチ型になるのかなあとも思った。
つまり、最後は最初に似たことをする、そうすることによってのみ全体と部分をまとめあげていくことができる、とはいえエクリチュールに基づかない構築型のパフォーマンスはあまり細部を構築することはできない、細部の面白さは音や光のパフォーマンスに任せるのが吉なのかもしれない、などと思った。

30人弱のお客さんのうち半数以上が女性だった。なんか不思議だった。
音、光、水は使えるけど、火を使うのは難しいのだろうか。以前、Paul DeMarinisは、自作のfirebirdなどについて説明する時、EU内で火を使って音を出すのは厳しく安全管理された場所でないとできない、それくらい危険なんだ、とか言ってた気もする。
妻にお土産として、堀尾さんのクルクルマシンを買った。何か名前があるようだが分からない。僕は使えないが、妻ならきっとなんとかしてくれることだろう。
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