2019年10月11日金曜日

メモ:ジョン・コルベット『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』(カンパニー社、2019年)

ジョン・コルベット 2019(2016) 『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』 工藤遥(訳) 埼玉:カンパニー社。

最初の手引として良いと思う。
フリー・インプロヴィゼーションのコンサートを初めて体験して「リズムもメロディも何も決まっていなくてみんな適当に演奏しているだけじゃないか」と怒り出すひとが、そうではなくてここにもそれなりの「相互作用のダイナミクス」があってそれを味わう音楽聴取の醍醐味があることに気づくだろう。
即興演奏を聞くことをバードウォッチングにたとえている文章がある。僕も即興演奏を「バイオフォニー」を聞くように楽しむので、バードウォッチングにたとえるのはよく分かる。即興演奏家たちの音を「自然の音」のように楽しむわけだ。
なんといっても、手触りと大きさと長さがちょうど良い。本を読み慣れている人なら2,3時間で読めるんじゃなかろうか。そろそろ必要になってきたコートのポケットにすっぽり入るし。



ただし、いつも思うのだけど、即興演奏を聞くとき、歴史とか比較とかレコード音楽のこととかは、どう考えると面白いのだろう。
20年前の即興演奏と今の即興演奏ってどう違うんだろう、なにか違うのだろうか。ある人とある人の即興演奏はなにがどう違うのだろうか、それはスタイルとかジャンルとかいう言い方で違いを述べられるのだろうか、それとも結局は「人が違う」としか言えないのだろうか。録音された即興演奏を楽しむ場合と生演奏の即興演奏を楽しむ場合とでは色々なことが決定的に違うと思うのだけど、そういうことについてはどう考えられるのだろうか、何よりもまず、レコード音楽となった即興演奏は〈何度も同じ録音を聞き返すことができる(聞き返すたびにレコード音楽は別のものとして再生産されるのだとしても)〉わけだがこれはバードウォッチングとしての音楽聴取とは全く異なる経験だがそれはどう考えると面白かろう。
などなど。
ブックガイドやディスクガイドが付いているけど、そもそもなぜリスナーは「ディスクガイド」を求めるのか、ということでもある。確かに僕は、録音された即興演奏を面白いと思う。だけどそれは生演奏される即興演奏を楽しむのとは別のものとして楽しんでいるのではないだろうか。
どうだろう?! これは〈生演奏とレコード音楽との違い〉というだけの話なのだろうか?
こういうことを考えている即興演奏論をまだ見つけられていない。
(まだまったく読んでないけど、これ(Marcel Cobussen. The Field of Musical Improvisation. 2017.)もちょっと違うように見える。マイルズ・デイヴィスとテオ・マセオという節が面白そうだ。)



僕は研究を始めた頃(20年ほど前)に、ジョン・コーベット(John Corbett)の『Extended Play: Sounding Off from John Cage to Dr. Funkenstein』を読んだ。John Schafferの『New Sounds: A Listener's Guide to New Music』と一緒に読んだ。内容はあまり覚えていないけど、録音物を通じたゲンダイオンガク体験を肯定するガイドとして読んだ。僕がゲンダイオンガクを「軽く」聞くのは、これらに最初は馴染んだからかもしれない。それは、ケージをミスティックに崇拝する態度から距離を取るに役立ったし、良いことだったと今は思う。
でも、このレコード音楽文化との関係性について言及しないフリー・インプロヴィゼーションのガイドを読んで、思い出した。レコードを通じたゲンダイオンガク体験って、あくまでもレコード音楽文化の延長線上だし、レコード音楽文化の延長線上でしかないし、また、ゲンダイオンガクは(良くも悪くも)レコード音楽文化にだけ還元されることはないのだなあ。

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