2021-10-24

読書メモ:モーティマー・アドラー『本を読む本』(1940)

 

1940年刊行の古典的な本だった。
齢46にして、今後は、。視野読書、点検読書、勉強読書、と分けて読んでいこう、と思うきっかけとなった。

2021-10-23

「お話にならない」;細川周平(編著)『音と耳から考える――歴史・身体・テクノロジー――』(アルテスパブリッシング、2021年)

 


やっと手元に届きました。重い。中川は「日本における〈音のある芸術の歴史〉を目指して――1950-90年代の雑誌『美術手帖』を中心に――」という日本のサウンド・アート小史を寄稿しました。この小史の充実は今後の課題。まずは単著『サウンド・アートの系譜学』(未定ですが)を世に出すぞ!


しかしまあ、重く長く多く、すべて面白そう。
 
この英語論文の日本語版みたいな内容です。ただし、書いたのは英語版の方が先で、英語版とは少し違うフレーミングでまとめています。

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この研究会が終わってからけっこう経ったのだけど、こうして本が出るとはっきりと区切りなので、自分にとってのまとめを少し。
僕は2015年に共著『音響メディア史』と共訳『聞こえくる過去』を出した後に、声をかけてもらってこの研究会に参加した。つまり、最初はこの研究会は、2010年代の前半の仕事をまとめた後の次の段階に進むための入り口、という意味があった。この研究会は、自分にとっては、かなり意義があったし、勉強になった。知り合いも増えた。日本で〈サウンドスタディーズ〉に関わるだろう研究者の多くが集まったはずだ(この論集の一部で採用されている〈音研究〉という言い方に、僕は馴染めない)。この研究会のための仕事として自分にとっては大事な仕事をすることもできたし、ダメなときにはダメと言われたし、研究という活動に立ち向かう色々な態度を学んだ。
 
研究会自体は2017-2019年度にあって、その時期はけっこう定期的に京都に出張して、実に刺激的な研究会(とその後の飲み会)だった。娘の保育園の運動会と重なった一日以外は全日程に参加し、様々な領域に渡る、しかし音と聴覚というテーマに関わるという共通点のある全ての発表が、とても面白かった。ずいぶんと上の先輩から、けっこう近めの先輩、同期感のある同年代、年下の若い研究者たち、色んな年代の仲間の話は刺激的だった。打ち上げも楽しかった。
一番記憶に残っているのは自分が発表した時のことだ。その時点で3年ほどかけた雑誌調査に基づく当時の自分にとっては渾身の発表に対して、反射的な速さで「いつまでたってもお話にならない」と言われた。僕の発表はお話にならなかったのだ! それは発表の筋が話として構成されていないという指摘だったわけだが、あれは、忘れられない。何というか、僕がどれほど渾身であったかとかどれほど自信があったかとかどれほど懸命であったかとかは研究内容には関係ないのだろうとか、まあ、そりゃそうだ的なことを、(ここが大事なことだが)目の当たりにして身に染みて学んだ(ただし、この衝撃を受け止めるために、僕は、まずはスマホを機種変した)。その指摘に対してこの収録論文でうまく応答できたかどうかはよく分からないが、少なくとも自分としては(今回も)自分のできる限りの渾身でこの小論を作った。なので、誰かに届くと良いな。
 
この研究会は2年前にもう終わったのだけど、こうして本としてまとまると、ほんとに終わってしまったことを実感して、なかなか寂しい気持ちにもなる。
すべて物事は終わるものだし、何事もまた新たに〈自分〉が始めるしかないわけだし、実際のところ、自分も研究会の他のメンバーもどんどん他の仕事を始めているわけだけど、寂しいことは寂しい。たぶん40代半ばを過ぎてから、僕は、こうした寂しさに関してはそれなりに寛容になろう、と考えるようになった。なので、もう一度くらい、この研究会関連のメンツで打ち上げがあると嬉しい。
 
ともあれ、(この文章をここまで読むひとはあまりいないと思うけど)ここに記しておくべきことは、研究会やこの本を介して関わっていただいたみなさん、ありがとうございました、ということだ。僕は皆さんに感謝しています。この本が色々なところに届くと良いですね。またどこかで関わったり関わらなかったりすると思うので、その時には、また何か面白いことをできると良いですね。

2021-10-20

メモ:青山真也監督『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』


宝塚シネ・ピピア青山真也監督の『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』を見た。老人ドキュメンタリーの傑作だった。「老人ドキュメンタリー」という言い方は出演している方々に失礼だが、自分の親が家に溜め込んだたくさんの物のことや、自分が年をとったら何歳までなら自分の生活環境を変えることに耐えられるのか、といったことを思いながら見た。

1964年のオリンピックに際しても2020年のオリンピックに際しても、立退を迫られた都営霞ヶ丘アパートの住民が退去するまでのドキュメンタリー。なのだが、このドキュメンタリーは、オリンピックをめぐる政治性について云々したいわけではないようだし、〈国策が下の現場にいる公務員に押し付けられてその皺寄せが弱い立場の住民に来る〉という民主主義社会あるいは資本主義社会における政治的問題についてどうこう言いたいわけでもないらしい。そうした事情については、冒頭では説明されないし、都庁かどこかで住民たちが記者会見している場面が出てきてなんとなく分かるが、分かりやすく説明されているわけではない。このドキュメンタリーは、物語的ではないし説明的ではないし、ある程度事前に内容を知らなければ分かりにくいハイコンテクストな代物だ。このドキュメンタリーは、おそらく、オリンピックのために二回住処を追い出された人たちの状況を、人々にわかりやすく訴えるためのドキュメンタリーではない。

そうではなく、この映画において映し出されるのは、徹底して〈介護に全身を委ねる前の、しかし、明らかに、新しい人生を開拓していこうという段階にはいない老人たちの姿、顔、手、振る舞い〉だった。少なくとも僕にとって、このドキュメンタリーは、人生においてそのような段階にいたった人間の立ち居振る舞いを、じっくりと眺めることができるドキュメンタリーだった。家族以外にそのように高齢の方の顔や動作をじっくりと観察する機会は、あまりない。介護職ならあるのかもしれない。しかし僕は、両親がこのような時期にはもう家を出ていた。帰省を増やして行ったのは結婚してからだし、あるいは、介護帰省が必要になってからだ。仮に万が一ずっと同居していたとしても、僕が見るのは〈家族と同居している老人〉なわけだが、このドキュメンタリーには、なぜか、下の世代の親戚が出てこなかった。

このドキュメンタリーにおいて傑出して優れているのは、カメラワークであり、どのようなショットを撮るかという選別眼だと思う。カメラはすべて固定ショットで、動くショットはなかったように思う。おそらく撮影者なしでカメラだけそこに置いたまま、撮影されたものが多いのだろう。その結果観客が見るのは、老人たちが一人あるいは複数で何かの作業をする様子であり、会話である。年齢を重ねると食事の用意をするのも大変だし、少し高いところにあるものを取るのも大変なので取らなくなるし、特段の意味もないけれど涙が溢れていたりもするものだろう。でも、そうした固定ショットをある程度の時間をかけて見ていると、この人たちがこの空間と丹念に親しんで生きてきたことが、実際に見えてくる。アパートに作った畑の作物に土をかけたり、乱雑にほったらかした衣類がおそらくはその人なりの秩序で整理されているのだろうということが、実際に見えてくる。このように〈実際に見えてくる〉固定ショットがこのドキュメンタリーの傑出した部分だと思う。さすがアジアン・ミュージック・フェスティバルでエモい映像を撮り続けている青山真也である。途中から、出演する老人たちが、アジア各国からやってきた即興演奏家に見えてくる瞬間もあった。まあ、大袈裟な言い方かもしれない。
しかし、出演していた老人たちの何気ない振る舞いや仕草が、かけがえのない所作に見えてくるのは確かである。そして、これは優れたドキュメンタリーであることの必要十分条件だろう。ここに映し出されているのは、人間が動いていることの美しさとかけがえのなさだ。最後のシーン。横を駆けていく高校生たちを眺める老人の笑顔。惚れ惚れする。


宝塚シネ・ピピアはいわゆるミニシアターなのだけど、サブカルエリート臭とかは感じず、個人所有のものであろう映画関連の本やマンガなどがある待合室が居心地良かったのは、客層に老人が多かったからかもしれない。このビル、下にはコープが入ってるし。と思ったが、〈ミニシアターなるもの〉とその愛好者が(僕も含めて)高齢化している、ということかもしれないな。
映画チケットや映画館内のカフェの飲食やコープの買い物などで駐車場代は出るし、電車で三宮まで行くのも似たような手間だし、あと数ヶ月、この映画館に通うってのは、ありかもしれない。『サマーオブソウル』を見れるのは年末だが。

2021-10-19

メモ:黒田将大『電話と文学』(七月社、2021年)

 

「文化としての電話」を研究するために、まずは、「文学における電話」の諸相について事例分析を行った博士論文を、単著として刊行したもの、というまとめで良いかな。総じて「文学における電話とは何か?」とか「文化としての電話とは何か?」という疑問に応えるものではないので、メディア論的観点からは物足りないかもしれないが、問いの立て方が面白い。今後に期待。

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