2019年6月27日木曜日

メモ:千葉成夫『現代美術逸脱史 1945-1985』(晶文社、1986年)


千葉成夫 1986 『現代美術逸脱史 1945-1985』 東京:晶文社。

戦後日本の現代美術を通底するヴィジョンを提示しよう、という迫力のある良い本だった。あまりにも「日本」「美術」至上主義なので、この内容と意見には賛同しないけれど。もっと安い値段で入手できるものであって欲しいけれど、論述対象も想定読者層も限定されているし、再販は難しいのだろうか。
まず、この本では日本の事例――具体、「反芸術」(=九州派)、ハイレッド・センター、「環境芸術」としての日本概念派、「もの派」(真正もの派と広義のもの派)、美共闘――しか論じられない。また、現代美術(あるいは現代アート)のことしか論じられないので、社会的文脈の中でアートや芸術がどのように機能してきたか、といった観点がない。というのも、著者は、1.フランス留学時にパリで展示された菅木志雄など「もの派」の作品が、日本国内で展示されたときとパリで展示されたときとで異なる印象を持っていたこと、を出発点に、「日本の文脈の固有性」を考えるからだし、また、2.「絵画と彫刻」の発展型としての(「現代アート」ではなく)「類としての美術」というカテゴリーを提唱するからだし、3.自律的領域としての「美術」について記述している からだ。
つまり、音楽や音を用いる芸術に関心のある僕にとっては、分かりやすく、〈音の問題を視野に入れない現代アート論〉の事例であり、反論対象とすべき事例だった。ちょうど「サウンド・インスタレーション」について言及するやり方を考えようと思っていたところだったし、反論事例として、読みやすかっ。また、これほど「日本という文脈」の固有性と「美術」という領域の自律性を強調するという前提は、僕には共有し難い。確かに「もの派」と「ミニマル・アート」との共通性をナイーヴに強調するだけではダメだが、その文脈の違いを強調しすぎる議論は、疲れる。
おそらく、針生一郎『戦後美術盛衰史』、千葉成夫『現代美術逸脱史』、椹木野衣『日本・現代・美術』、中ザワヒデキ『現代美術史日本篇』あたりを比較考察すると、卒論か修士論文ができそうな気もするのだけど、すべて「美術」の話だし、さしあたり食指の動く仕事ではない。とはいえ、今なら、かつて途中で放擲した椹木野衣『日本・現代・美術』を読めるのではないか、とも思った(がたぶん無理だろう)。

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