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2022-07-12

2022年7月12日メモ:妻木良三「はじまりの風景」@和歌山県立近代美術館

https://www.momaw.jp/exhibit/2022_summer12/

画家は、ずっと、波、雲、海岸、砂漠、山岳地帯、内臓などを想起させる柔らかな視覚的イメージを鉛筆で描き続けている人。展示会場には、画家が普段自宅近くの湯浅の海や川でなどで拾った貝殻やら化石やらウニの殻やらも展示されている。他に、丸や襞など同じようなモチーフを描いた所蔵品も展示されている。朝イチで行ったので、一人きりでじっくり見ることができた。

雲や砂漠〈のように見える〉が、現実世界に存在する具体的な事物を描いている訳ではないので、この鉛筆画はあくまでも抽象画。なのだけど、ゆっくり見ていると、人間は言語的論理ではなくこういう視覚的論理に支配されている瞬間も確かにあるよなあ、と感じたりする。こんなふうに心がゾワワと蠢いたりするよね、と感じる。つまり、とても具体的な心の動きのようなものを描いているように見える瞬間もある。
ともあれ、これは何よりも、視覚的快楽を喚起する絵画の展覧会だった。

視覚的だし触覚的だけど聴覚的じゃない、と感じた、たぶんモノクロだからではないか、と思う。抽象画は(カンディンスキー、ミロ、クレー、ポロックなど)視覚と聴覚をつなぐシナステジアな感性と親和性が高いけど、ここでは、視覚は聴覚よりも触覚と一緒に作用しているように感じられる。
「粘菌っぽさ」をあまり感じなかったな。個々の細部が蠢くというより全体的なイメージの統合性の方が重要だから、かな? でも、こういう絵画は細部を見ることこそが面白い。こちらの襞とあちらの襞は盛り上がり方がどう違うか、とかを観察することこそが面白い。

ウニの殻がこんなに綺麗だとは知りませんでした。自然は存外規則正しい。
デカいのが一番気持ち良かったです。《境現の襞III》(2006)って作品。
このひとは僧侶なのだけど、どんな顔して檀家に話をしているのだろう。


2022-07-11

メモ:ネトフリで映画『砂の器』(1974)

和歌山往復の電車内で見た。

松本清張の原作は1960年に読売新聞夕刊に連載されたもの。ダラダラしたエピソードや余計な登場人物が多かったのは、新聞連載だったからだろう。とはいえ、原作は〈前衛音楽界のスターである作曲家和賀英良が最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉というお話なので、戦後日本に登場した先行世代を徹底的に批判する「ヌーヴォー・ロマン・グループ」なる新進気鋭の若き芸術家集団の描写があったり、具体音楽に関する諸井誠の解説が挟まれたり、可聴域外の音に関する音響工学的な説明が挟まれたり、登場人物の一人による前衛音楽評論などがあり、元現代音楽研究者としては興味津々。
対して、映画は1974(昭和49)年公開で、舞台は1971(昭和46)年に変更。仁義なき戦いとか犬神家の一族とかと同時代の松竹映画。原作のダラダラした枝葉の展開をスッキリ削除し、父と息子(作曲家の和賀)のお話に仕立てていた。
例えば、原作にあったいくつかの展開は一瞬で解決していた――カメダは人名か地名かとか、電車からちぎり捨てられたシャツを線路沿線を歩いて見つけ出すとか、紙吹雪の女のエッセイの書き手とか、その女性の素性とか――。主人公の刑事(丹波哲郎)の家族の描写もなかった)。
何より、「ヌーヴォー・ロマン・グループ」は登場せず、原作では犯人かもしれない人物として描写されていた評論家も登場せず。なので、(原作のネタバレになってしまうが)〈評論家の愛人を超音波で流産させて死に至らしめる完全犯罪〉といったいくつかのエピソードはバッサリ削除されていた。代わりにこの部分は、作曲家(和賀)が、大臣の娘と結婚するために自分の愛人と別れる、という描写になっていた(その後、その愛人は流産して死んでしまうのだが、殺されたという描写はなかった。なんだったんだろう、あのエピソードは…)。1970年の大阪万博が何か関係するのかもとも思ったが、とくになし。和賀の作る音楽は具体音楽でも電子音楽でもなく、ピアノとオーケストラの調性音楽。Wikipediaによると後に夭折した菅野光亮という人物の作曲作品(菅野光亮 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%85%89%E4%BA%AE)。
原作よりはかなりスッキリした物語になっていたが、元現代音楽研究者としてそそられるポイントは減っていたし、話の展開に無理が残っているし、モノローグの説明で物語が進むところも多く、なんか変な映画だなあ、と思って見ていた。が、この映画は名作扱いされることが多い(→これとか:砂の器 | 松竹映画100年の100選 https://movies.shochiku.co.jp/100th/sunanotsuwa/)。そんなに良い映画だとはあまり思わないが、この映画の後半の展開は確かにスゴい。こういうのは他の映画ではあまり見た記憶がない。
映画の後半のいわゆる解決編では、主人公の刑事はおっさんばかりの捜査会議で、作曲家和賀英良が犯人であることを、ハンセン病の父親と放浪してきた子供時代から説き起こして、丹波哲郎のあの顔と声でひたすらモノローグで説明する。そこで、後半の映像は、〈おっさんばかりの捜査会議で犯人の動機などを説明する映像〉と〈新作《宿命》をコンサートで初演する和賀〉と〈ハンセン病の父親と各地を放浪したり巡査に保護されたり父親と別れさせられたり出奔したりする子供時代の和賀〉とのカットバックになり、つまりその3つの映像が交互に続くのだが、それがなんと30分以上続く。すごい。
ひたすら続く説明調のモノローグや誰のものとも分からない説明的な回想シーンは、それだけ見ていると退屈な映画的語法でしかないと思う。しかしこの映画では、このカットバックはいつまで続くのだろうと思っているうちに、ふとある可能性に気づき、驚愕し始めたのだが、まさにそのように進行して、驚愕した。つまり、この長いカットバックを見ているうちに、このカットバックは和賀英良の新曲《ピアノと管弦楽のための組曲 宿命》の演奏が終わるまで続くのではないか、と気づき、そして本当に最後まで演奏し終えて、そして映画も終わるのだ。原作とは違うやり方で、この映画もまた音楽が(影の?)主人公となる驚きの音楽映画だったのだ。


戦後日本ではなく1970年代の日本の情景は素敵だった。蒲田あたりの路駐の多さとか、秋田に出張した際に瓜を食べながら寺の門に種を吐き出すシーンとか、良い。そういや、原作では「砂の器」って題名の説明はなかったが、映画では少しだけあった。というか、原作には題名の説明がなかったことに気づいた。なぜ息子が母親と一緒に過ごさなかったのかは、原作でも映画でも不明なまま。
主人公の刑事(丹波哲郎)の後輩の名前は「吉村弘」という。原作では「おお、〈前衛音楽界のスターが最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉、のお話に、80年代日本における環境音楽からサウンド・アートへと至る重要な音楽家吉村弘が出てくるなんて」と思っていた。特に何の意味もないので、どうでもいいといえばどうでもいいけど。

2022-07-06

メモ:松本清張『砂の器』

〈戦後日本前衛作曲界のヒーローが最新の作曲技法を駆使して完全犯罪?!〉みたいな内容だと聞き、また、これまで何度も映像化されている傑作だと聞き、遅まきながら初めて読んだ。ホントにその通りの内容だったことに驚き。ただし、要所要所で驚きのご都合主義的展開で飽き飽きしたので、映画やドラマはかなり脚色されてるのではないかと想像。ネトフリにあるので近日中にチェック。
戦後すぐの文化風俗のちょっとした描写は、新鮮だった。帰りの遅い夫のために作った夕食は、冷蔵庫ではなく棚に入れておく、とか。みんなすぐにどこでもタバコを吸うとか。東京から中国地方への出張って、36時間以上かかったんだな、など。今だとブラジル行くみたいな感じ? だとすると、この時代の洋行に権威があったのも当然。

しかしまあ、けっこう、「評論家」がつまらない存在として馬鹿にされてるなあ。評論家って、こんなにしょうもないのかなあ。



2022-06-29

[報告]調査報告を書きました。

京都国立近代美術館研究論集『Cross Sections』vol.10に調査報告を掲載しました。

中川克志 2022 「日本におけるサウンド・アートの系譜学――京都国際現代音楽フォーラム(1989-1996)をめぐって――」 『CROSS SECTIONS:京都国立近代美術館研究論集』10:48-58。

です。

藤島寛さんや中川真さんにお話を聞いたり資料を調べさせてもらって、1989-1996に行われていた京都国際現代音楽フォーラムについて、毎回何が行われていたかを整理しました。
こういうことをまとめていくのは大事な仕事だと思います。今後も継続していく予定。次はジーベックの活動を整理しておきたいところ。関西のことばかりだな…。
そのうちウェブサイトに本文を掲載しておきます。抜き刷りなど欲しい方いればお知らせください。PDF送ります。

2022-05-27

柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門』(フィルムアート社、2022年)

柳沢英輔『フィールド・レコーディング入門』ありがとうございました。話題ですね。今後長く読まれていきそうで素晴らしいですね。

中川の専門領域に近いし今学期の授業ですぐさま紹介できそうだったので即読みしました。フィールド・レコーディングとは何であるかを概括的に紹介する、包括的で親しみやすい入門書でした。以下、メモ。
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フィールド・レコーディングと言っても色々な種類のものがある。学術研究のために民族音楽学や文化人類学の領域で行われたり、生物音響学では動物の発する音が研究されたり、音楽作品やサウンド・アート作品を制作するために使われたり、フィールド・レコーディングそのものが創作物となったり、ドキュメンタリー作品としてテレビやラジオのために制作されたり。高価な機材で精密な録音がなされる場合もあれば、iPhoneのマイクで録音されるものもある。この本は、そうしたフィールド・レコーディングなるものを、そもそもフィールド・レコーディングとはどのようなものであるかを整理したうえで、環境音を録音すること、音楽をフィールド・レコーディングする場合、超音波など「聞こえない音」をフィールド・レコーディングする場合、フィールドワークにおいて音をフィールド・レコーディングする場合などに分けてそれぞれの勘所を説明した本。「フィールド・レコーディング」なるものを包括的にきちんと扱った初めての本ではないか。
この本は読みやすい。抽象的な議論はあまりなく、具体的で実際的な言葉で書かれており、時おりパンチラインのように「なるほど!」と思う言葉が直截に登場する。それは著者がフィールド・レコーディングという活動を熟知しているからだろう。
僕ははじめ著者を、研究者であると同時にフィールドレコーディング作品を沢山リリースしている人、として知った。面白そうな人がいるなと思っていて、連絡をとって初めて会って話した時、映像人類学という試みでは人類学的な研究手法として映像記録を残すことが認められているが録音にも同じような可能性(=音響民族誌)がある、といった考え方を教えてもらった。その時は「そうなのかあでもそんなことできるのか?」とか思っていたが、後に、「フィールドレコーディングを主体とする実践的な研究手法としての音響民族誌の方法と課題」 という論文でそういう考え方について詳しく説明されて、なるほどー、と思った。本書はフィールド・レコーディングの可能性をさらに拡大しようとする本なのだといえるだろう。
本書は読みやすく、専門家のみならず、フィールド・レコーディングをやったことはないがやってみたいという人やこういう領域にあまり詳しくない人に読まれる本だ。本書で、著者は最初に、自分は「研究と作品制作を異なる領域の活動として捉えるのではなく、むしろそれらを積極的に混淆させることで他者との協働・対話の場を作りだそうとしたり、研究成果やプロセスを社会と共有しようとしたり、新たな調査・研究手法を開拓しようとしたりしてきたのである。私にとってそのような活動の核となる実践がフィールド・レコーディングである」(15)と述べている。この本は、フィールド・レコーディングが何か意味ある行為として行われる場所や領域を拡大していく本だ。また、フィールド・レコーディングそのものも、学術活動と制作活動とを横断し、演奏者と録音者という境界も横断し、録音対象(=世界、環境、空間)と録音主体という主客のあり方そのものを横断する行為だ。フィールド・レコーディングについて書かれたこの本もフィールド・レコーディングも、色々な領域を横断していくものなのだなあ、と思った。

『UNPOPULAR POP 脱マスメディア時代のポップカルチャー』報告書

佐藤守弘さんから『UNPOPULAR POP』(報告書、2022年)を送っていただきました。

佐藤守弘さんが問題提起し、水田拓郎(aka dj sniff)さんと安田昌弘さんがキュレーションしたオンラインシンポジウムの記録です。こちらで公開されています。 →UNPOPULAR POP – 脱マスメディア時代のポップカルチャー 
こちらオンラインシンポジウムが開催されていたときは、「unpopularなpopは単に下手なpopでしかないのではないか」とか思っていたのですが、今回の報告書に掲載されている佐藤守弘さんの論文が勉強になりました。僕はserious musicとかcontemporary musicがpopular musicになるプロセスに関心があるので、そういうことを考えるのに参考になる。こちら次の発表ですぐさま使いそうな勢いでもあります(いやまあ、次の発表の内容は未定ですが…。どうしよう…)。

書誌情報はどう書くのだろう?
佐藤守弘, 安田昌宏, and sniff(水田拓郎)] [dj, eds. March, 25 2022. UNPOPULAR POP 脱マスメディア時代のポップカルチャー 報告書. 科学研究費基盤研究(A) 研究課題番号19H00517 「脱マスメディア時代のポップカルチャー美学に関する基盤研究」.
とか??

劉美蓮『音楽と戦争のロンド』廣瀬光沙(訳)(集広舎、2022年)

西村正男さん監訳の劉美蓮『音楽と戦争のロンド』廣瀬光沙(訳)(集広舎、2022年)を献本いただきました。ありがとうございます。これは読み応えありそうな。

こちら、作曲家江文也の生涯を克明にたどる本です。江文也といえば、何年か前の朝ドラ『エール』でも知られる(?出てたの?見てないので知らない)台湾出身で、中学生以降は日本で教育を受けた作曲家です。ベルリン開催オリンピックに作曲家として参加し、戦後は日本国籍を失い、中華人民共和国で文革に翻弄されたりしたひとです。映画『珈琲時光』(2004年)は江文也をテーマにしているそうです。

僕は、2019年9月に台北でアーティストの王虹凱(Wang Hon-kai)さんにインタビューした時、江文也をテーマにした作品を準備中と聞いて、この作曲家のことを知りました。 →参考:王虹凱が台湾の音楽家・江文也をテーマにしたレクチャーパフォーマンス上演 - 台北駐日経済文化代表処 Taipei Economic and Cultural Representative Office in Japan 
なので、この読み応えありそうな厚さですが、丹念な記述をぼちぼち読んでいこうと思う本です。資料本として活用します。図書館にも入れておいたので、ぜひ、学生諸君も参考書として活用して欲しい。早く、また台湾に行きたい。

長﨑励朗『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』(創元社、2021年)と大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021年)

昨年度、一年間大学に行っていなかった間に、長﨑励朗『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』(創元社、2021年)と大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021年)とを頂きました。今更ですが、ありがとうございます。どちらもポピュラー音楽研究を考える学生におすすめです。
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長﨑励朗『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』(創元社、2021年)

第3章は、パンクから三上寛、反知性主義(ホフスタッター)、吉本隆明、遠藤ミチロウ、ジャックス、スーザン・ソンタグ、リチャード・ヘル、町田康、オングへと話がめぐっていました。木屋町のロック・バーでミュージシャンの固有名詞出しながらするとくに結論もないロックのお話に、学問的な色々を応用してみると見え方がすっかり変わる、ということの面白さを堪能できます。
これ、講義で聴けるなら刺激的だろうなあ。大学入学して昔のロックの「伝説」とか「逸話」とか知ったばかりで、そういうことに色々とお話することに目覚めたばかりのような学生に、オススメ。序文でバイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』に関連させて「聴いていない音楽について堂々と語る方法」ということが言われていて、学生のことをよく考えている先生だな、と思いました。
個人的には、今後、自分が授業を組み立てることへのモチベーションを高めるのに使いたいと思います。

大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021年)

Webちくまの連載時に読んだものが多いのだけど、まとまるとすげえ本だなあ、と思いました。大和田さんはずっと存在感あるので気づかなかったけど、単著としては10年ぶりになるんですね。編著や共著が多かったということか。
大和田さんの本の面白さを僕が改めて言う必要はない気もするけど、前著『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ、2011年)全章を学生と(何度か)精読し、『ポップ・ミュージックを語る10の視点』(アルテスパブリッシング、2020年)の書評を書いた人間として、この本についても、音楽を語る言葉の在り方になんと気を遣っている書き手なのだろう、と思います。言葉のあり方というか、音楽を取り巻く様々な文脈や事件の束に対して鋭敏だ。個人的には、研究に対するこういう姿勢(あるいは音楽について語る姿勢)は見習いたいところ。また、ポピュラー音楽について卒論書こうと考える学生にはひとつのモデルとしてオススメしたいところです。
とはいえ、研究とか勉強とかではなく、読んで知的に面白がるのが良いような気もします。僕のアメリカ音楽の地図は10数年前で止まっていてほとんど更新されていないのだけど、今の若者はこの本を読んで、この本を超えて、どんどん更新していってもらいたい(そして僕に色々と教えて欲しい)。

2022-05-06

メモ:ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』(1988)と長門洋平「映画にとって「物語世界の音」とはなにか――ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』を例に」

『音と耳から考える』所収の長門洋平「映画にとって「物語世界の音」とはなにか――ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』を例に」を読むために、チェック。

映画の音響区分における最初の手続きを「物語世界/非物語世界」から「同期/非同期」へとシフトさせる、というアイデアを提案する、という論文。題材として『アリス』の冒頭部分が分析されている。

大学院授業で学生と読むのだが、短いし論旨は明快なので、映画にあまり関心のない学生にも読みやすいだろう。

中川

:「同期/非同期」という考え方は、トーキー以前の映画も同レベルで考察可能という点では有望そうな予感がする。ただし、どの程度の発展可能性があるかは少し疑問。「物語世界/非物語世界」では区別しきれない領域があるという指摘は至極もっともだが、そういう区別を厳然と感じてしまうことも確かではないか、と思ってしまうので。今後の長門さんの理論的発展に期待。

:『アリス』は面白かった。物語を進行させるやり方――すべてアリスのモノローグで処理してしまうなど――や、紅茶を入れる映像表現など、いちいち面白かった。
:アマプラは便利。

2022-04-25

自分への励みと促しとして、2021年度の仕事と2022年度の予定(願望)の備忘録

 2022年度には、2021年度に下書きを書いた『サウンド・アートの系譜学』を単著として出版し、次の段階に進みたい。次は『サウンド・アートの美学(仮)』とか?!

 昨年度はけっこうやるべきことをできたような気がしている。2022年度には、Keywords in Soundの翻訳を仕上げたい。サウンド・スタディーズの研究会の成果も今年度か次年度早々には出版に結実させるべし。いくつかの共同プロジェクトの計画も楽しみ。あと、台湾調査を再開できますように。

 以下、メモ。書誌情報に不備はあります。

2021年度に公刊された仕事

中川克志 2021a 「台湾におけるサウンド・アート研究 試論――ワン・フーレイ(王福瑞、 WANG Fujui)の場合――」 横浜国立大学都市イノベーション研究院(編)『常盤台人間文化論叢』7: 157-181。 →横浜国立大学リポジトリ本文

---. 2021b "History of Sound in the Arts in Japan Between the 1960s and 1990s" in: Charrieras, Damien, and François Mouillot. 2021. Fractured Scenes: Underground Music-Making in Hong Kong and East Asia. Springer Singapore: 225-239. ←2020年度に完成していた仕事

---. 2021c 「日本における〈音のある芸術の歴史〉を目指して――1950-90年代の雑誌『美術手帖』を中心に――」 細川周平(編)『音と耳から考える:歴史・身体・テクノロジー』東京:アルテスパブリッシング:484-497。 ←2020年度に完成していた仕事

---. 2021d 「創作楽器という問題」 廣川暁生、明石薫(編) 2021 『サウンド&アート展 見る音楽、聴く形』 「サウンド&アート」展図録(アーツ千代田3331、2021年11月5日-21日) 東京:クリエイティヴ・アート実行委員会2021:34-36。

中川克志 2021 「サウンド・インスタレーションとしてのプラネタリウム?」 『ユリイカ 特集レイ・ハラカミ』53.69(2021年6月号):234-240。

中川克志 2021 「2020年度第1回オンライン例会報告」 ポピュラー音楽学会『ニューズレターNo.128』33.2(2021年9月):3-4。 ←手違いで、2020年度の例会報告ですが2021年度のニューズレターに掲載されました。
中川克志 2022 「クリスチャン・マークレー 音、イメージ、文字、言葉」 『新潮』119.2(2022年2月号):188-189。本文刷り出しのスキャンPDF

話したこと

2021年7月10日​サウンド・スタディーズの研究会第一回(オンライン開催)で「アーカイヴ」について10分ほど話した。

2021年7月13日大阪大学で鈴木昭男さんの特別講演の二週目の最初に、10分ほどサウンド・アートというタームとその歴史について話した。

2021-10-22:京大杉山ゼミで一コマ話した

2021年11月20日:S&A展覧会ディスカッション ◇テーマ:「楽器をつくる、社会をつくる」
←毛利さんのインターネットラジオ『むんばれTuesday』の『毛利嘉孝のアート・リパブリック』で宣伝:伊地知裕子さん、中川克志さんと語る『サウンド&アート』展 | RadiCro(レディクロ)インターネットラジオ放送局 

2022年度に公刊される(だろう)仕事(あるいはすでに公刊された仕事)

中川克志 2022a 「サウンド・スカルプチュア試論――歴史的展開の素描と仮説の提言――」 横浜国立大学都市イノベーション研究院(編)『常盤台人間文化論叢』8: 73-99。→機関リポジトリへのリンク本文

---. 2022b 「クリスチャン・マークレー再論:世界との交歓」 東京都現代美術館(編) 2022 『クリスチャン・マークレー:トランスレーティング[翻訳する]』(東京都現代美術館、2021年11月20日-2022年2月23日) 展覧会図録 東京:左右社:182-190。

---. 2022c(刊行予定) 「日本におけるサウンド・アートの系譜学――京都国際現代音楽フォーラム(1989-1996)をめぐって――」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』10。←2020年度に完成していた仕事。ようやく夏頃には出るそうです。


翻訳仕事:クリスチャン・マークレー展覧会図録に収録された三本
クリスチャン・マークレー&ダグラス・カーン「クリスチャン・マークレー初期 インタビュー」(2003年):196-202。
クリスチャン・マークレー&刀根康尚「レコード、CD、アナログ、デジタル」(1997年):203-209。

ダグラス・カーン「サラウンド・サウンド」(2003年):242-250。

2022年度の予定(願望)

単著を刊行する。『サウンド・アートの美学(仮)』を始める。Keywords in Soundの翻訳を仕上げる。サウンド・スタディーズの研究会の成果を本にする。いくつかの共同プロジェクトを楽しむ。台湾調査を再開する。

2022-04-14

メモ:ネトフリで『ドント・ルック・アップ』

 

世界が終わる日までの映画とだけ聞いていたので、『渚にて』とか初期手塚治虫のようなSF的に終末的な物語かなと思って見始めたのだが、カフカ的不条理の喜劇的側面が良い感じにドライヴしていく映画で、新大阪まであっという間だった。今見直したら、映画紹介にちゃんと「コメディ」と書いてあった。
世界が滅ぶまでの日常における心のひだを細やかに淡々と描くとか、終末に向けて足掻き続ける人間の行動力を活写するとかではなく、惑星が地球に衝突するつという一つの事実が、人類全体(あるいは北米全体あるいは白人全体)が共有するためには、そんな事実なんかは吹き飛ぶほどの煩雑な人間臭いやりとりがあることを描く映画だった。そういう衝撃的な事実を社会全体で受け止めるには、どうやら、大統領が中間選挙を無事に勝ち抜けるほどの権力を維持していなければいけないし、ちょっとした有名人同士のくっついたとか離れたとかのゴシップと同列の扱いをマスメディアで受けることから始めるしかない、というわけだ。地球にぶつかる彗星発見者の1人が、途中でどうでも良くなるという話の流れが、なんかとても良かった。
最近ようやく離れたばかりの関西に一泊二日で強行帰省の行きの新幹線で視聴。ディカプリオにハズレなし。

2022-04-10

メモ:ヴィック・ムニーズ『ごみアートの奇跡[Waste Land]』(2010)

ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡 - Wikipedia 

ヴィック・ムニーズはブラジル出身の作家で、「1990年代初頭より、針金や砂糖、ダイヤモンド、チョコレート、色紙など様々な素材を用いて、歴史的な報道写真や美術史上の名作を再現した写真作品を発表してきた」作家。砂糖かシロップで描いたモナリザ像などがあるみたいで、実物を見てみたい。

彼が故郷のブラジルでゴミ拾いする人々とともに――正確には、彼らを利用して――、ゴミからアート作品(=ゴミを使って過去の名画を模倣したもの)を作成し(作成時には彼らに手伝ってもらって)、作成した作品を写真撮影したものをオークションで競売にかけ、オークション会場に彼らの代表を連れていき、5万ポンドで競り落とされる場面を見せる、というドキュメンタリー。第83回アカデミー長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。

ドキュメンタリーとしては、そのアート作品がいかなるものかといった問題に踏み込むものではない。ゴミとは何かとか、ゴミ捨て場で働くこととは何かとか、ゴミからアートを作ることとはどういうことか、とか、ゴミがアートワールドで5万ポンドになることの不思議さとか、そういうことについて見解が披露されるわけではない。なので、なんとなく「結局のところ、アートワールドとそれを成立させている資本主義に回収されてしまうドキュメンタリーに過ぎない」と切り捨ててしまいたくもなる。

また、ドキュメンタリーとして、そこで働いている個々の人生を鋭く見ている、といったドキュメンタリーではない。離婚して娘と会えなくなった母親とか不倫相手と別れたばかりの中年女性とか組合を作って頑張っている人とか5歳の頃からずっとこのゴミ拾いの仕事をして自分もシングルマザーになってゴミ拾いの仕事を頑張っている若い女性とか色々出てくる。でも、途中、ゴミ拾いの人たちの給料が銀行から引き出されてすぐ強盗に強奪された、というエピソードが出てくるのだけど、その後どうなったかの説明がゼロだったりする。

つまり、あくまでも、これはヴィック・ムニーズという人の活動記録としてのドキュメンタリー。なのだけど、実はそこまで悪印象は抱かなかったのは、このヴィック・ムニーズという人がなんだか色々と正直に語っているように僕には見えたから、かもしれない。

最初の方で、ゴミ拾いの人たちとお近づきになるときにムニーズさんは「自分は成功したから還元したいんだ」と言っていたのだが、見ていて、なんだか無意識的に高慢に偉そうだなあ、でもよくまあこんなこと正直に言えるもんだなあ、などと思ったし、最後の方で、貧乏とか金持ちとかじゃなくて一生懸命頑張っているから良いんだ(大意)とか「人助けのつもりだったが高慢に思えてきた」とか話していて、なんだか雑駁だけど正直な人なのかなあ、などと思ったからかもしれない。

アートとは思いもかけない出来事を生じさせる活動なのだとすれば、ヴィック・ムニーズの活動もまさにアートなんだろうな、と思った。べた褒めするのは何か抵抗があるけど、〈しょせん資本主義とアート・ワールドの理屈に回収されるだけだ〉と腐すこともあるまい、といった感じ。

この人の感想がぴったりだな、と思った。→「ゴミ問題をどうするかという視点の映画ではなく、シンデレラのお話です。」 ヴィック・ムニーズ ごみアートの奇跡 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画 https://filmarks.com/movies/54548

2022-04-08

『クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]』に寄稿しました。



早くに送っていただいていたのにうまく受け取れず、一般発売日の今日、受け取りました。2月に終了した東京都現代美術館のクリスチャン・マークレー展の展覧会図録。論考「クリスチャン・マークレー再論 世界との交歓」を寄稿し、いくつか翻訳しました。

10年前に僕は「クリスチャン・マークレイ試論」(その頃は「マークレイ」表記が多かった)を書いたので、今回は「再論」です。自分はなぜクリスチャン・マークレーという作家の作品を好むのかということを考えていました。

翻訳は三本。ダグラス・カーン「サラウンド・サウンド」と、ダグラス・カーンによるクリスチャン・マークレーへのインタビューと、クリスチャン・マークレーと刀根康尚との対談。この三本、音響再生産技術を使うアートに関心のある研究者やアーティストにとっての基礎文献みたいなものなので、みなさん、是非ともご参照ください。なかでもダグラス・カーンのテキストはもう20年近く前のものだけど、細部で複層的な意味連関が絡み合っていて味わい深く、論の骨格や発想がなんともオリジナルで素晴らしいです。うまく訳出できていない部分も多いですが…。彼の『Noise, Water, Meat: A Hisotory of Sound in the Arts』も訳せるといいな。

展覧会図録の資料として、日本での展覧会とパフォーマンスの記録がまとめられています。これが面白い。かなり頻繁に日本に来てますね。この前Bunkamuraで見たミロ展のテーマが作家と日本との関わりだったので、なんとなく、ミロとクリスチャン・マークレーを並べて考えてみたり、やはり関係ないと思ったり。

クリスチャン・マークレーはけっこうな頻度で本あるいは展覧会図録を刊行していていちおう全部把握していると思うけど、なかでも、この展覧会図録は出色のデキだと思います。収録作品と展覧会コンセプトがうまく噛み合っているし、持ちやすいし、中川克志が寄稿しているし。

この図録作成だけでもけっこう紆余曲折を経て完成したもので、関係者各位のお仕事には頭が下がるばかり。展覧会全体の仕事量となると、もう凄まじいんでしょうね…。

>藪前さん お声がけしてくれて、ありがとございました。クリスチャン・マークレーというアーティストの仕事に多少なりとも関わることができて、嬉しかったです。感無量です。

2022-03-01

メモ:sonificationとelectroacoustic musicとの違いについて考察するという問題系列について

 城くんに教えてもらったsonificationのハンドブックというオープンアクセスの本から、sonificationとelectroacoustic musicとの違いについて考察するという問題系列があることを学んだ。


The Sonification Handbook | edited by Hermann, Hunt, Neuhoff https://sonification.de/handbook/
←OpenAccessで公開されている。

ななめ読みした論文はこちら
Barrass, Stephen, and Paul Vickers. 2011. “Chapter7 Sonification Design and Aesthetics.” In The Sonification Handbook, edited by Thomas Hermann, Andy Hunt, and John G. Neuhoff, 145–64. Berlin: Logos Publishing House.
(Sonification Design and Aesthetics — University of Canberra Research Portal https://researchprofiles.canberra.edu.au/en/publications/sonification-design-and-aesthetics)

〈concrete←→abstract〉と〈ars informatica←→ars musica〉というxy軸を設定して、その四象限に、ケージ、ライヒ、ピエール・シェフェール、シェーファー、Hildegarde Westkampなどのみならず、seismogram(地震計)とか海の音とかChua Circuit(カオス発生回路、むかし生成音楽WSのワークショップでやったな)とかを位置づける図は、一見分かりやすそうに見える(が、ちょっと考えると、この図で何が明らかになったのかよく分からない)。
ともあれ、面白い問題系列なので、ほそぼそと勉強していこう、と決めた。
(この論文、なんでこんなにひとつの段落が長いのだろう…。100年前の哲学の論文とかでもないのに。)

2022-02-28

メモ:electromagneticismとinfosphere

 日曜日の研究会で城くんに教えてもらった論文より。


Miyazaki, Shintaro. 2013. “Urban Sounds Unheard-of: A Media Archaeology of Ubiquitous Infospheres.” Continuum 27 (4): 514–22.

Max NeuhauのListenや鈴木昭男の点音のような〈街歩き〉系の作品のひとつに、20世紀以降の日常生活における、そのままでは耳に聞こえない電磁気をdeviceを介して音響として知覚させるタイプの作品がある。Christina Kubischがその代表だろう。この論文ではInfosphereという言葉を使ってそういう作品に言及している。また、ルフェーヴルのリズム分析にも言及している。明快で好感の持てる分析だ。
自分がルフェーヴルに関心を持てるかどうかは不安なので、まずは、Douglas Kahnによるelectromagneticismとinfospheresとの差異をどう記述するか、を考えていくことにしよう。

2022-02-02

メモ:映画『カンボジアの失われたロックンロール[Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll]』(2014)


東京国際映画祭「CROSSCUT ASIA」 とやらで、日本語字幕付きで、明日まで無料で『カンボジアの失われたロックンロール[Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll]』(2014)を視聴できる。
前半は、元フランス領としてフランス語ロックンロールを受容していたカンボジアのロックンローラーたちの映像や、リバーブの効いたベースやスネアの音がカッコよくて、楽しい。この人はきっとカンボジアの藤圭子なんだろうな、とか思いながら見たりする。
後半、アメリカがベトナムから撤退し、ポル・ポト政権による大量虐殺が行われるあたりで、アタリマエのことながら、とてもつらくなる。
MalaysiaのJoe Kiddがやってる過去のロックンロールのアーカイヴ――The Ricecooker Archives (https://thericecookershop.com/)――みたいなものとは違うタイプのドキュメンタリー。
1960年代とか70年代のポピュラー音楽について考える時、どの国のポピュラー音楽にとってもベトナム戦争との距離はそれなりに重要で、ベトナム戦争を念頭に置いた反戦歌なんか作られたりするわけだけど、ベトナム戦争のあまりに近くにいたり、ベトナム戦争後に別の戦争が生じた国では、アタリマエのことながら、また別の展開がある、というアタリマエのことを再認識した。
10年か20年後にはきっと、東南アジア諸国は、人口ボーナスの果実のおかげで高度経済成長を遂げて、国内の格差問題なども解消し、面白い音楽とか哲学とか文化とかを世界に向けて送り出すようになるに違いない。


2022-01-07

『新潮』に「クリスチャン・マークレー:音、イメージ、文字、言葉」というエッセイを書きました

中川克志 2022 「クリスチャン・マークレー 音、イメージ、文字、言葉」 『新潮』119.2(2022年2月号):188-189。

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3月になったので刷り出しをスキャンしたPDFを公開しておきます(許可は得てます)。

そのうち文芸誌『新潮』のnoteに掲載されることもあるかもしれないけど、まずは、どうぞ。


https://www.facebook.com/katsushi.nakagawa.9/posts/10226220991528348

文芸誌『新潮』に「クリスチャン・マークレー:音、イメージ、文字、言葉」というエッセイを書きました。「世界には音が溢れている」ことと〈翻訳における創造的な誤読可能性〉について書いてみました。みなさま、どうぞご覧ください。

『新潮』の現物を手にして、この号には掲載されていないけど、久しぶりに多和田葉子さんの小説を読み直そう、と思いました。

「川」が三人並んでる。




2022-01-05

バシェ、ティンゲリー、モリス、ベルトイア以外の20世紀後半以降のサウンド・スカルプチュアの先駆者について

20世紀後半以降の音響彫刻の先駆者としては、バシェ、J.ティンゲリー、ロバート・モリス、ハリー・ベルトイアの四人をあげることが多い。しかし、この4人以外にも多くのアーティストが、1950-60年代にすでに音のある視覚美術作品を制作し始めていた。

Alan Licht, Sound Art Revisited. 2019では、1950-60年代に音のある視覚美術作品を制作していたアーティストとして、ステファン・フォン・ヒューン[Stephan von Huene, 1932-2000]、レン・ライ[Len Lye, 1901-1980]、タキス[Takis, 1925-2019]、ピーター・ヴォーゲル[Peter Vogel, 1937-2017](フェアライトCMIの開発者とは別人)、ヴァルター・ギールス[Walter Giers, 1937-2016]といった名前が言及される。それなりにまとまったウェブサイトがそれぞれ作られているので、〈それぞれの全体像〉を知るのは困難ではない。Takisは2019年に亡くなった時にちょうどTateで回顧展をやっていたし、全員、何らかの図録や論文で扱われている。日本語での情報は、ゼロではないが、少ない。

ただし、全員、必ずしも音にフォーカスした活動をずっとしていたわけではないので、〈それぞれの音のある芸術作品〉に関するまとまった情報を知るのは難しい。というか、それぞれ〈活動全体における音のある視覚美術作品の位置と意味〉を考える必要があるので、〈それぞれの音のある芸術作品〉についてだけ知ってもあまり意味はない。

彼らについて、まとまった形で言及されることはないが、少しずつでも良いから、資料を集めて勉強を進めていこう。何か見えてくるだろう。現段階での予想では、思っていたよりずいぶん前から美術館には音が侵入していたと再認識したり、「キネティック・アート」の重要性を再認識したり、するようになるのではないだろうか。

レン・ライ[Len Lyre]について。

この人が1960年代からキネティック・スカルプチュアを制作していたことを見逃していた。UbuWebのツイートで彼の「Composing Motion: The Sound of Tangible Motion Sculpture」という音源を聞いて、面白かった。彼のキネティック・スカルプチュアがガンガン何かに当たるだけの音が録音されていたりするのだが、心地よい。たぶんこういうのかな?

面白かったので、いくつか調べてみた。

レン・ライの実験映像のDVDを見て以来、今までずっと、彼のことは実験映像作家としてしか認識していなかった。オスカー・フィッシンガーとかVエッゲリングみたいな〈音楽に憧れる視覚芸術〉のヴァリエーション、と考えていた。

しかし、確かにLicht 2019でも言及されている。ここではTakisと一緒に、二人で一段落で、言及されていた(今調べてみたら、この本のKindle版では紙版ページ数が表示されず…)。
ニュージーランドで生まれ育ったレン・ライは、ロンドンやニューヨークで活躍したが、作品の多くはニュージーランドにあるらしい。The Govett-Brewster Art Gallery / Len Lye Centreという場所にあるらしい。
Journal of Sonic Studiesに、まさに、レン・ライの彫刻の音を論じた論文があった。このオンライン・ジャーナルは音や画像も論文に埋め込んでいるのだが、chromeだとフォーマットが崩れる。Safariだと大丈夫だったが。ただ、フォーマットが崩れていなくても、このフォーマットは読みにくい。:Wall, Sarah. 2018. “Len Lye’s Kinetic Experiments: Sounds of Sculpture.” Journal of Sonic Studies, no. 16 (August).

2021-12-23

塩尻かおり『かおりの生態学 葉の香りがつなげる生き物たち』(共立出版、2021年)


龍谷大学の塩尻かおりさんからご恵投いただきました。

塩尻かおり『かおりの生態学 葉の香りがつなげる生き物たち』(共立出版、2021年)

かおりが虫や植物の行動やコミュニケーションにおいてどのような役割を果たしているかを分かりやすく説明した本です。自然科学です。130ページほど。専門的内容を分かりやすく説明しているので、まったくの専門外の僕も、ざらっと短時間でへー、ほー、と言いながら斜め読みしてしまいました。

こういうのをなんと言うのか知らないけど、どうやら「実験生態学」という呼び方があるらしく、研究方法が面白いです。研究室で顕微鏡を覗いて、かおり成分の化学反応を確かめるとかではなく、もっとアウトドアなやり方です。例えば、〈ある植物が匂いに対してどのように反応するかを調べるために、人があまり来ない山中で、その植物の何十体かの枝を切り、そこにナイロン袋をかけて、それを1日後、2日後、7日後…に外す、という実験を行うことで、枝を切られたその植物の隣の枝がどのような反応を示すか〉を調べる、みたいなことをしています。具体的には、車でけっこう遠くの山まで行って、木から枝を取り外して、そして帰ってくる、というのを何日も継続して、やっとデータを得る、という感じです。

美学は五感の研究なので匂いや嗅覚に関する研究もあってしかるべきだけど、現実問題としてはほとんど研究されていないと思いますが、この本は〈自然科学におけるかおりの研究の一事例〉として、人文系の研究者にも分かりやすいです。オススメします。

このひとは僕がカリフォルニアでえらくわちゃわちゃした時にお世話になったひとりなのだけど、フレンドリーなひとなので、UC Davisにいたたくさんの理系のポスドクの人ーーあのひとたち、どうなったんだろうーーと引き合わせてくれたり、この実験にも一度連れて行ってもらったりもしました。袋を被せられた植物の写真、なんとなく見覚えがある。そういえば、僕が帰国する直前に車を貸したら、ちょうどその車が火を吹いて動かくなくなり廃車手続きをしてくれました(廃車手続きも終えてから連絡が来た。怪我なくて良かったよ、ほんと)。

で、久しぶりに連絡があったのです。本が出る、そこには、名前は出てこないけど僕が二箇所に登場する、ということでした。で、なんのことだろう、と思いながら探したのだけど、1つ目は分からなかったけど、2つ目は分かりました。

まず、2つ目の方。

こちらは読んだ途端に思い出しました。そういえば確かに、カリフォルニアからの帰国便で偶然このひとと同じ便で帰国していて、手荷物検査場で会ったことがあった。向こうは何か用事があるみたいだから僕は先に家に帰ろうと思っていたのだけど、手荷物検査されて、追いつかれた。ついでに思い出したのは、そういえば僕は30代になるまで、入国検査のときはどの国でもだいたい検査されてたし、別室に連れて行かれて全身検査されたこともあったなあ、ということです。凶悪そうな顔つきとかではなかったはずなので、たぶんジャンキーとか運び屋とかそういう感じのひとだと怪しまれていたのではないかと思います。30代以降はなくなったなあ。 

1つ目の方は分からなかったのだけど、最初のページに登場していたそうです。

この人は「かおり」という名前なので、「”かおりの生態学”というタイトルで本を書いてみようと思っている」とある友人に言ったところ「ダサい!」と返されたらしく、それが僕だというのです。でも、そんなステキなアイデアに対して僕がそんなこと言うはずないので、それはきっと別人と間違えているのだと思います。

ということで、みなさん、おすすめです。自然科学的なやり方で世界を切り取ると、こんなふうに見えるのだ、とういことがシンプルに提示されています。