2023-11-26

メモ:小林元喜『さよなら、野口健』(集英社インターナショナル、2022年)

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ここ1、2年「ソロキャンプ(の準備をするだけでまだ行ったことは無い)」という趣味を持っていたのだけど、最近さらに「登山(したいなと思うだけで特に準備は始めていない)」という趣味も始めたので、娘が図書館でゾロリをたくさん借りる時に、僕も登山の本を何冊か借りて、昔何かの書評で読んで名前だけ覚えていた『さよなら、野口健』という本を読んだ。とても面白く一気読みした。なんとも痛切な本だった。これは人物ルポなのだけど、人物ルポとしてのみ面白いというわけではなく、なんとも説明にしにくい本だった。

野口健という人のことはあまり知らず、エベレストに登ったりするけど登山家として超絶技巧の持ち主では無いらしいとか、ネパールの10代の女の子と結婚しようとしていたとか、猫を空気銃で撃っていたとかそういうことがSNS上で言われていたことを知っていただけだった。読後、登山家としてすごいというよりも、登山するという行為を通じて色々な劇場型イベント(テレビ放送とか全国各地で講演活動するとか登頂ではなく清掃を目的とするエベレスト登山をするとか)を巻き起こすことがすごい人である、ということは本当らしい、と思った。だたし、後の二つはちゃんとした経緯と理由のあるエピソードだったので、SNSでは断片的に炎上しただけだというと思った。あと、政治家として出馬するかもしれないくらいのところまでいたけど、出馬はしていないということも知った。全体的にも、五カ国のルーツを持つ野口健という人がどういう少年時代を過ごして、アルピニストでは無いのに「山登りすること」を自分の人生のツール(?)に使うようになっていったかを丁寧に説明しているので、この本は、野口健の半世紀とその裏側(の暴露)みたいなものとして読める。人物ルポってやつである。

のだけど、時々、この小林という人が、どのように野口健に惹きつけられつつも反発し、野口健のマネージャーをやったり辞めたりを何度か繰り返したり、自分がうつ状態になって入院したり、といったことも書かれる。

野口健という人が登山という行為を(悪い言い方をすれば)ある種の売名行為のようなものとして利用しつつこの世の中で「何か」をするための原動力として利用している、という点は、おそらく唯一無二なのかもしれないので、人物ルポとしてこの本は面白い。だとすれば、時々入ってくるこの小林元喜さんのエピソードは邪魔でしか無い。だけど、この本の面白さは、この小林元喜さんがそのように自分のエピソードを入れる必要があったこと、そのことが感じられること、にある。

たぶん、野口健とこの小林元喜という二人の関係性は稀有なものというほどではなく、独立独歩で周囲を巻き込みつつ生きていく人とその周囲にいる人との間の相互依存関係、とでも言えるものだと思う。自分の夢を託すというほどでは無いにしても、エネルギー溢れる魅力的な人物と一緒に仕事することはそれなりに面白いし、エネルギー溢れる魅力的な人物は、やたら神経質でパワハラ気質だったりもすることはよくある。そんな時、エネルギー溢れる魅力的な人物の周囲にいる人は、病んでいく。みたいな。

そういう関係性は身の回りに結構たくさんあるし、そんな関係性に巻き込まれていても人はそれなりに自分の世界を確保してうまいこと生きていったり、あるいは、そこから離脱して別の場所を求めたりするものだと思うけど、小林元喜さんは、鬱とかで精神病院に入院したり、他の仕事に就いたりした後に、さらに、「野口健について丁寧に書く」ということをする必要があったらしい。そのこと自体がなんとも痛切だった。「あとがき」の最後で野口に感謝するくだりに感動。




2023-11-03

メモ:村上龍『イン ザ・ミソスープ』

 


娘が体調を崩し一日、家で過ごす。何かあったらすぐ動けるよう、気楽(?)に読めそうな本としてこれを読む。ブックオフで買って積読してあったらしい。たぶん未読。1996年の年末が舞台(キッズ・リターン公開の年)。あとがきによれば、連載中に神戸連続児童殺傷事件(1997年)があった。

色々と懐かしかった。アメリカ人用の東京のナイトライフガイドブックには日本で食事すると何でも高いと書いてある、という記述があり、そういや90年代はまだそういう感覚だったことを思い出したり。00年代半ばまでそんな感じではなかっただろうか。あと、この頃の村上春樹は、海外と比較して日本の卑小さとか俗物性についてチクリと述べるタイプの芸(あるいは批評)が魅力の一つだったこととか、人間の感情の機微に関する描写が上手かったこと(「悪意は、寂しさや悲しさや怒りといったネガティヴな感情から生まれる。何か大切なものを奪われたという、からだをナイフで本当に削り取られたような、自分の中にできた空洞から悪意は生まれる。」(127)といったタイプの文章)などを思い出した。高校生の頃はこれがとても魅力的で、坂本龍一との対談(『EV. café: 超進化論』)も線を引きながら熱心に読んだものだった。今読み直すと、(鋭い文化批評だ!とかはもちろん思わないのだけど)こんな批評みたいな記述が受けていた時代があったなあ(そして僕も真剣に受け止めていたなあ)と思って、なんとも懐かしい。
ああいうのは80年代文化の産物だけど、1975年生まれの和歌山の高校生には、90年代になって文庫化されてから届いたのだった。まだネットのなかった時代で、岩波文庫が売っている本屋さんは和歌山市には2つしか無く、『CUT』が創刊された頃の話。ああ、懐かしい。
村上龍も北杜夫や井上ひさしや井上靖みたいな感じなのかもしれない。でも、先月大学のゼミで、村上龍『69』を読んだことがありあれは面白かったと学生が言っていたので、まだ、すっかり忘れ去られているという感じではないのだろう。存命だし。そういや最近新作出してたし。

2023-11-01

ジョン・ケージの絵本『Beautiful Noise: The Music of John Cage』

 Amazon | Beautiful Noise: The Music of John Cage | Rogers, Lisa, Na, Il Sung | Music https://www.amazon.co.jp/-/en/Lisa-Rogers/dp/0593646622

Lisa Rogers, Il Sung Na. 2023. Beautiful Noise: The Music of John Cage
ジョン・ケージの絵本。Beautiful Noise到着。どんな音でも音楽として聞いてみてごらん、そしたら、あなたはケージみたいだね、という絵本。
音楽じゃない音はどうなんだ?という立場もあるので、〈この円本はmusicalizationな操作を世界に施すことを良しとする考え方だ〉と判定できるけれど、まあそういうことは別として、キレイな絵だから、子どもがケージという人がいたらしいと知るためには、良いのかもしれない。
偶然性という言葉が出てこなかった気もする。