2020年1月12日日曜日

メモ:心ある機械たちagainについて:「現象」とは何か問題

展示は秀作が多く面白かった。
ひとつ、肯定的でも否定的でもないのだけど、気になった表現(作品といプロフィール欄における)がある。それが「現象」というターム。リーフレットでは、早川祐太さんの作家紹介に「…重力や空気、水の表面張力といった「現象」を取り入れ、彫刻やそれらを構成したインスタレーションの作品を制作。ものの所存に触れる試みとしての作品を制作している。…」とあり、そういうのが気になった。早川さんの作品は面白かった。〈天井から吊るしたペットボトルをくるくる回し、その中の水が一定状態であるかのように見える〉タイプの作品とか。コーヒーカップのなかのコーヒーが常にくるくる渦巻いている作品やA4の紙が水平状態のまま落ちていく作品などを作る片岡純也さんの作品も同様かもしれない。
つまり、これらの作品の説明に「現象」という言葉を使うこと、あるいは、そうした作品を「〈現象〉をテーマにしている」と自分が感じてしまうこと、そういうことが気になった。

言うまでもなく、「現象」という言葉の意味は大きすぎる。「現象」ではないモノやコトなどないのだから、未だ現代的な意味でのアーティストという概念さえなかった17世紀のルネサンスの画家もまた、「現象」を相手にしていた。
しかし、私たちはしばしばあるタイプの事象や現象や行動を「現象」と呼ぶ。これは、今のところはっきりと言葉で表現されていない事柄を主題にしているがゆえに他に何と言えば良いのか分からないので、「現象」という言葉を使っているだけであって、絵画ではないし彫刻でもないしパフォーマンスでもないしマーブルマシンでもないようなものを「現象」と呼んでいるだけなのだろう。David Toopが、(たんにlive installationistとかではなく)梅田哲也や堀尾寛太などをphenomenologistと呼んだのと同じ構造なのだろう。
この「現象」という言葉はあまりにもマジックワード過ぎるし、マジックワードのままでもう何十年も使われ続けているように思う。〈批評的に鋭い表現〉とかでなくて良いので、もう少し明快な言い方はないものか。

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中川 克志さんはBankart Stationにいます。
BankART Stationにて「心ある機械たちagain」
土下座してコーヒーをもらう作品が話題だが、秀作が多かった。
記憶に残ったのは、西原尚さんやら牛島達治さんやらA4の紙が水平のまま落下する作品(片岡純也)やらクルクル回るペットボトル(早川祐太)やら文庫本を文字単位で切り刻んでうねうねくねらせるの(三浦かおり)やら。
作品について考える時に「現象」という言葉が使われることが、気になった。マジックワードみたいなものと考えるべきか。

娘はA4の作品と文字単位の作詞と、マーブルマシン的な作品(川瀬浩介)が面白かったらしい。










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