SR サイタマノラッパー [DVD]
もっかい見たい。
レコード屋もまともな本屋も服屋もがないけれど、マチまで出なくても何人かの友だちができる、というくらいの田舎って、けっこうある。
そんなところでも、ひとは「ヒップホップ」に依存することがある。なぜなら、そもそも人は何かに依存して生きているものだし、ひとが依存するものはけっこう何でも良いことが多いからだ。
(ひとは、何かに依存して生きる。酒とかタバコとかだけじゃなく、ひとは、「几帳面にすること」とか「地道に生きること」とか「普通でいること」とか「破天荒に見えるように生きること」とかに依存して生きるもんだ。要するに、ひとは何かして生きるものだし、ひとは自分のすることがある程度一貫したものとなるように生きようとする。だったら、それが「ヒップホップ」でも不思議じゃない。どうせ、ひとは生きている間は何かしていなくちゃいけない。それが「地道に生きること」であれ「ヒップホップ」であれ、「何かするやり方」であることにはかわりはない。それになんといっても、それがそのひとにとっては唯一無二のやり方であることにはかわりはない。)
だからといって当たり前だけど、これはただの「何かしてる人間の映画」ではなくて、もっと具体的に「ヒップホップに依存した田舎モノの映画」。
つまらなく言えば「異文化衝突の事例」なのだけど、つまりは「日本の田舎」に「アメリカのヒップホップ」がスポっとはまりこむことで生み出される「様々な軋轢や葛藤」なのだけど、そういうのを描き出すための映画の中のシーンが、いちいち素晴らしい。
駅前のJAとか市役所の一室みたいなところを借りて行われる審査会みたいなところで、市役所関連の人間を相手にSHOGUNがパフォーマンスしなければいけないハメになる場面とか。非現実的で空疎には見えないカメラとセリフで、「日本の田舎でHIPHOPするやつらのイタさとか、本人にしか理解できない心意気とか」を明確に示していて、素敵。
もっかい見たいな。
映像の中に現れる緑や高架電線なんかの多さとか、建物の少なさとか、道路の細さと長さとすき具合とか。和歌山の実家は、和歌山駅から歩いて15分くらいでこれくらいじゃなかったけど、紀伊とか岩出は、こんな感じだなあ、と思う。
大学で和歌山を出られたことは良かったんだ、と思った。
TBS RADIO ザ・シネマ・ハスラー「SR サイタマノラッパー」 (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)
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