アサダワタル. (2016). 音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインの可能性. 京都精華大学紀要 = Journal of Kyoto Seika University, (49), 23–47.
ステキな論文。博士論文をもとにした『音楽と想起』という本が面白そうだったので、まずは紀要論文を読んでみた。文化の中で音楽が果たしうる機能について丁寧に分析したい、という気概が感じられた。
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北九州の歌声スナック「銀杏」では、お客さんごとにカスタマイズした校歌のカラオケを作成しているらしい。このスナックでこのカラオケを介して生じるコミュニケーションのあり方について分析した論文。ひとまずはこのように要約できる。
この論文のパースペクティヴが面白い。
この論文では、「音楽による想起がもたらすコミュニケーションの過程で現れる多様な力学を描き出すこと」(30)が目指される。その際に本論の独自性としてあげられるのは、音楽の内在的「内容」だけではなく音楽が聴取(あるいは斉唱)される「場」の在り方を視野にいれること、そして、そこで想起される記憶を必ずしも「懐かしさ」や「過去の再生」にだけ還元しないこと、の二点(31)。それゆえ本論は、1.高齢者医療や音楽療法における想起の問題 2.ノスタルジア市場における想起 3.同窓会における校歌と想起 にまつわる先行研究とは区別されるというわけである。
つまり、乱暴にまとめれば、〈ある文化の中で音楽が果たしうる機能/音楽が介在することで生じるコミュニケーションの在り方〉を、その「場」の在り方との関連の中で、また、そこで音楽から「想起」されるものを「懐かしさ」などだけに回収せずに、考察しようとしている、となるだろう。そこで抽出されたコミュニケーションの在り方は、「単に「懐かしい」という感情がうずまくコミュニケーションをゆうに超えて、…「現在進行形の私たちを刻み続ける」といった象徴的な想起」」だったり、「ただ過去をそのまま懐かしむだけではなく、むしろ現在の時点からの対話と想起を通じて過去の様々な側面を再発見し、同窓生たちとの間で紡いできた関係性をさらにアップデートしてゆくためのコミュニケーション」だったりするらしい。これは、ノスタルジアの「横道にそらす」(ボイム)機能の最たるものだ、ということらしい。
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なんか足りないな、と思うのは、1.「横道にそらす」といっても結局は「過去の更新」であって、「ノスタルジア」はやはり〈「現在と未来の開拓」とかにはつながらない後ろ向きな行為でしかない〉という解釈に落ち着くのではないか、ということと、2.「想起」って一体何だ?ってこと。
ただし、良いなと思うのは、こう考えると、例えば「レコード音楽と想起」について考えるヒントを得られそうに思われること。つまり、様々なタイプの音楽がもたらすもの全般について考えるヒントを得られそうに思われること。アサダワタルさんとトマス・トゥリノ(『ミュージック・アズ・ソーシャル・ライフ』)とを突き合わせてみたら面白いかも、とか思わせること。
まあ、本の方を読んでみよう。
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