ワークショップの成果発表会ではなく、練習現場の方に来てしまった。せっかくなので参加させてもらうことにした。
僕の楽器は扇子とファイル入れ。ときどき拍手。
これ、想像以上に集中力の必要な演奏だ。2,3歳(?)の小さな子どもと一緒に演奏できるのは楽しい。
Otomo’s Workshop #amftw2018 @ Taipei, Taiwan
僕の楽器は扇子とファイル入れ。ときどき拍手。
これ、想像以上に集中力の必要な演奏だ。2,3歳(?)の小さな子どもと一緒に演奏できるのは楽しい。
Otomo’s Workshop #amftw2018 @ Taipei, Taiwan
そして、さっき、People's Orchestra Workshopの演奏に参加してきた。後半、参加者のひとの指揮になったり、なんか、とても楽しかった。
次の目標は、娘にこれに参加してもらうことと、大阪の北の方で行われているらしい太鼓チームの行事に参加すること、である。
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途中からものすごい豪雨になったので、1930からAMFの演奏があるのだけど、その間、いったんホテルに戻ってきました。
次の目標は、娘にこれに参加してもらうことと、大阪の北の方で行われているらしい太鼓チームの行事に参加すること、である。
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途中からものすごい豪雨になったので、1930からAMFの演奏があるのだけど、その間、いったんホテルに戻ってきました。
まずは台北市立美術館。1983年設立の台湾初の公立美術館。当時盛り上げってきた現代美術のムーヴメントに応えて生まれたものらしい。が、常設展はないようだ。
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夏陽(HSI YAN, 夏阳)という画家の回顧展をやっていた。とても良かった。
人体だと推測できるギリギリまでデフォルメした絵画。fuzzy figureと説明があった。ウィレム・デ・クーニングやベーコンの絵画を思い出した。
じっと見ているうちに見えてくるものが変わる面白い絵画。じっくり見ることができて、面白かった。
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〈音を使う美術〉がいくつかあった。〈音を使う美術〉は、音を使うだけでは、台湾でも珍しくも何ともないようだ。
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冷房強すぎ!
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夏陽(HSI YAN, 夏阳)という画家の回顧展をやっていた。とても良かった。
人体だと推測できるギリギリまでデフォルメした絵画。fuzzy figureと説明があった。ウィレム・デ・クーニングやベーコンの絵画を思い出した。
じっと見ているうちに見えてくるものが変わる面白い絵画。じっくり見ることができて、面白かった。
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〈音を使う美術〉がいくつかあった。〈音を使う美術〉は、音を使うだけでは、台湾でも珍しくも何ともないようだ。
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冷房強すぎ!
そして、台北當代藝術館 (MOCA Taipei)。
ここも常設はなかった。やってた企画展のほとんどは映像作品。英訳のないものも多く、すると、さっぱり分からなかった。
『去年マリエンバートで』に〈上海の二人のアジア人の映像〉を重ねた黃漢明Ming Wongの作品が面白かった。あと、Kader Attiaの作品に久しぶりに再会した。
ここも常設はなかった。やってた企画展のほとんどは映像作品。英訳のないものも多く、すると、さっぱり分からなかった。
『去年マリエンバートで』に〈上海の二人のアジア人の映像〉を重ねた黃漢明Ming Wongの作品が面白かった。あと、Kader Attiaの作品に久しぶりに再会した。
リノベ物件(?)は京都芸術センターみたいに見えるなあ。大きさもたぶん似てるかも?!
メモ:大友良英『学校で教えてくれない音楽』(岩波新書、2014年)
台湾から成田への機内にて。ステキな読書でした。
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小中校の学校の音楽の授業について、ほとんど何も覚えていない。リコーダーを吹くのが好きだったかな。
この本を読むと、「音楽」に関する考え方が柔らかくなる。「音楽」という言葉がカバーしていない音楽のことを考えるようになり、〈自分のことを音楽家と思ったことのないひとが「音楽する」こと〉について考えるようになる。
「音楽する」のが面白いのは、そこで人と人との間で何かが関係し合うからだと思う(録音してレコード作るのが目的なら別だし、それはそれで良いもんだと思うけど)。緊張して弛緩する音を介して、人と人とが関係し合うこと。出てくる音がどうこうとかより、ある状況下で人と人とが関係し合うこと、そういうのが面白い。音楽とはまさに人生の如し(我ながらなんと安っぽい言葉か)。
たぶん実際に、「音楽する」ことにこんなふうに柔らかくアプローチできるのは、大友良英さんとかさやさんとか沼田里衣さんとかみなさんが、「音楽する」ことについて色々な経験を積んで試行錯誤して考えてきたからなんだろう。みんな、ある意味で達人みたいなもんだ。誰しもこうするってのは難しいもんな。同時代の日本にこんなふうに考える人がいるのは頼もしいことだし、こんなふうに考える人が僕の家の近所(横浜市南区)にいないのは残念なことだ。こういう人が南区図書館(京急弘明寺駅のそば)にいると面白いのにな。
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僕も「音遊びの会」に参加して遊んでみたい。でも僕は、生半可にドラムとかパーカッションの経験があるので、うまく参加できないだろうと思う。とりあえず、引き続きパンデイロの練習に励もう。いつか何かの機会にまた誰かと一緒に演奏することもあるだろう。
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小中校の学校の音楽の授業について、ほとんど何も覚えていない。リコーダーを吹くのが好きだったかな。
この本を読むと、「音楽」に関する考え方が柔らかくなる。「音楽」という言葉がカバーしていない音楽のことを考えるようになり、〈自分のことを音楽家と思ったことのないひとが「音楽する」こと〉について考えるようになる。
「音楽する」のが面白いのは、そこで人と人との間で何かが関係し合うからだと思う(録音してレコード作るのが目的なら別だし、それはそれで良いもんだと思うけど)。緊張して弛緩する音を介して、人と人とが関係し合うこと。出てくる音がどうこうとかより、ある状況下で人と人とが関係し合うこと、そういうのが面白い。音楽とはまさに人生の如し(我ながらなんと安っぽい言葉か)。
たぶん実際に、「音楽する」ことにこんなふうに柔らかくアプローチできるのは、大友良英さんとかさやさんとか沼田里衣さんとかみなさんが、「音楽する」ことについて色々な経験を積んで試行錯誤して考えてきたからなんだろう。みんな、ある意味で達人みたいなもんだ。誰しもこうするってのは難しいもんな。同時代の日本にこんなふうに考える人がいるのは頼もしいことだし、こんなふうに考える人が僕の家の近所(横浜市南区)にいないのは残念なことだ。こういう人が南区図書館(京急弘明寺駅のそば)にいると面白いのにな。
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僕も「音遊びの会」に参加して遊んでみたい。でも僕は、生半可にドラムとかパーカッションの経験があるので、うまく参加できないだろうと思う。とりあえず、引き続きパンデイロの練習に励もう。いつか何かの機会にまた誰かと一緒に演奏することもあるだろう。
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