野口健という人のことはあまり知らず、エベレストに登ったりするけど登山家として超絶技巧の持ち主では無いらしいとか、ネパールの10代の女の子と結婚しようとしていたとか、猫を空気銃で撃っていたとかそういうことがSNS上で言われていたことを知っていただけだった。読後、登山家としてすごいというよりも、登山するという行為を通じて色々な劇場型イベント(テレビ放送とか全国各地で講演活動するとか登頂ではなく清掃を目的とするエベレスト登山をするとか)を巻き起こすことがすごい人である、ということは本当らしい、と思った。だたし、後の二つはちゃんとした経緯と理由のあるエピソードだったので、SNSでは断片的に炎上しただけだというと思った。あと、政治家として出馬するかもしれないくらいのところまでいたけど、出馬はしていないということも知った。全体的にも、五カ国のルーツを持つ野口健という人がどういう少年時代を過ごして、アルピニストでは無いのに「山登りすること」を自分の人生のツール(?)に使うようになっていったかを丁寧に説明しているので、この本は、野口健の半世紀とその裏側(の暴露)みたいなものとして読める。人物ルポってやつである。
のだけど、時々、この小林という人が、どのように野口健に惹きつけられつつも反発し、野口健のマネージャーをやったり辞めたりを何度か繰り返したり、自分がうつ状態になって入院したり、といったことも書かれる。
野口健という人が登山という行為を(悪い言い方をすれば)ある種の売名行為のようなものとして利用しつつこの世の中で「何か」をするための原動力として利用している、という点は、おそらく唯一無二なのかもしれないので、人物ルポとしてこの本は面白い。だとすれば、時々入ってくるこの小林元喜さんのエピソードは邪魔でしか無い。だけど、この本の面白さは、この小林元喜さんがそのように自分のエピソードを入れる必要があったこと、そのことが感じられること、にある。
たぶん、野口健とこの小林元喜という二人の関係性は稀有なものというほどではなく、独立独歩で周囲を巻き込みつつ生きていく人とその周囲にいる人との間の相互依存関係、とでも言えるものだと思う。自分の夢を託すというほどでは無いにしても、エネルギー溢れる魅力的な人物と一緒に仕事することはそれなりに面白いし、エネルギー溢れる魅力的な人物は、やたら神経質でパワハラ気質だったりもすることはよくある。そんな時、エネルギー溢れる魅力的な人物の周囲にいる人は、病んでいく。みたいな。
そういう関係性は身の回りに結構たくさんあるし、そんな関係性に巻き込まれていても人はそれなりに自分の世界を確保してうまいこと生きていったり、あるいは、そこから離脱して別の場所を求めたりするものだと思うけど、小林元喜さんは、鬱とかで精神病院に入院したり、他の仕事に就いたりした後に、さらに、「野口健について丁寧に書く」ということをする必要があったらしい。そのこと自体がなんとも痛切だった。「あとがき」の最後で野口に感謝するくだりに感動。