2023-11-03

メモ:村上龍『イン ザ・ミソスープ』

 


娘が体調を崩し一日、家で過ごす。何かあったらすぐ動けるよう、気楽(?)に読めそうな本としてこれを読む。ブックオフで買って積読してあったらしい。たぶん未読。1996年の年末が舞台(キッズ・リターン公開の年)。あとがきによれば、連載中に神戸連続児童殺傷事件(1997年)があった。

色々と懐かしかった。アメリカ人用の東京のナイトライフガイドブックには日本で食事すると何でも高いと書いてある、という記述があり、そういや90年代はまだそういう感覚だったことを思い出したり。00年代半ばまでそんな感じではなかっただろうか。あと、この頃の村上春樹は、海外と比較して日本の卑小さとか俗物性についてチクリと述べるタイプの芸(あるいは批評)が魅力の一つだったこととか、人間の感情の機微に関する描写が上手かったこと(「悪意は、寂しさや悲しさや怒りといったネガティヴな感情から生まれる。何か大切なものを奪われたという、からだをナイフで本当に削り取られたような、自分の中にできた空洞から悪意は生まれる。」(127)といったタイプの文章)などを思い出した。高校生の頃はこれがとても魅力的で、坂本龍一との対談(『EV. café: 超進化論』)も線を引きながら熱心に読んだものだった。今読み直すと、(鋭い文化批評だ!とかはもちろん思わないのだけど)こんな批評みたいな記述が受けていた時代があったなあ(そして僕も真剣に受け止めていたなあ)と思って、なんとも懐かしい。
ああいうのは80年代文化の産物だけど、1975年生まれの和歌山の高校生には、90年代になって文庫化されてから届いたのだった。まだネットのなかった時代で、岩波文庫が売っている本屋さんは和歌山市には2つしか無く、『CUT』が創刊された頃の話。ああ、懐かしい。
村上龍も北杜夫や井上ひさしや井上靖みたいな感じなのかもしれない。でも、先月大学のゼミで、村上龍『69』を読んだことがありあれは面白かったと学生が言っていたので、まだ、すっかり忘れ去られているという感じではないのだろう。存命だし。そういや最近新作出してたし。

0 件のコメント: