2013年6月9日日曜日

やなぎみわ演劇公演2013プレレクチャー@KAAT

フォルマント兄弟の弟のサコンダさんに、蝋管もコピーできるはずだという話をきっかけに話しかけようとしたが、メディア対応の時間になって、時間切れとなった。
「蝋菅もコピーできる」と言って重箱の隅をつついただけみたいだが、まあ、きっと理解してくれるだろう。

ともあれ、以下、メモ。
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東京ローズを中心とする悲劇ではなく、「声」のメディア上での変化を描くとのこと。だとすると、面白そう。
個人的な会話、短波ラジオで放送された声、当時の日本にはまだテープはないので円盤型レコードに記録されたはずの録音、米軍のファンタジーの中で膨らんだ東京ローズ、などなどの変化を提示してくれるのだろうか。

演劇では、どの程度の音質のものにするんだろうか。
当時の日本には、磁気テープもFFRRもなかったわけだから、高音域はほとんど記録できなかったはず。つまり歯擦音などは記録できないはずだが。
最後に、サコンダさんが作った「短波シミュレータ」を披露してたけど、あれ、秀逸だったな。


ところで。
テーマは「ホンモノとは何か」らしく、なので、本番では、第二次世界大戦中の東京にテープがあったという設定にするらしい。
つまりどうやら、「第二次世界大戦前後を境にして、ハイフィデリティをめぐる状況は劇的に変化した」というメディア史観は、ここでは重要なものではないみたいなので注意。
個人的には、音質とかメディアの媒介性の問題がどう処理されるかに関心があるけど、「録音された声への親近性」の問題を考えるうえではさして大きな問題ではないのかもしれない。まあ、これは「リアリティレベルの設定」にまつわる問題なのかもしれん。テレビの時代劇を見て「本当の江戸時代の日常生活で…だったはずがない」とか。


メモ:
「今の耳で聞くと低い音質、しかし同時代的には高い音質」を、現在の演劇で再現する際に「今の耳で聞いても高音質」で再現するのは、フィクションにおけるリアリティ操作としてアリだ。
けど、気になるのは、「当時、本当に、そんなにハイファイなものとして聞かれたのか?」ということ。つまり、「メディアを媒介しているという性質」は、簡単に無視できるのか?ということ。
まあこれは、この演劇にはあんまり関係なかろう。

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