2014-10-10

横浜STで荒木優光『 パブリックアドレス - 音場2 』(2013)

”音響上演”と銘打っている荒木優光さんの公演にとても興味を惹かれていたので、どんなものなのだろう、と思って見に行った。
「新しい形態の音作品/音の上演」として見るのが面白かろう、という結論に至った。
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1.
舞台では、最初にいくつかのスピーカーが設置された後、そのスピーカーから「視覚障害者の横田さんに聴こえていたと思われる音(=バイノーラル録音したもの)」が再生される。舞台上では時々スピーカーの位置が変えられる時もあるが、基本的には、ひたすら横田さんと荒木さんの会話の録音が再生される。彼らはオオサンショウウオについて話したり鴨川の増水について話したりする。

2.
STスポットは狭いハコ(20名くらいで満員)だったので音像はクリアだったが、それでもやはりこの手の高音質録音を聴くには、暗い部屋で(ハコは明るかった)でかいスピーカーで大音量で聴くのが楽しいよなあ、あるいはヘッドフォンが一番だよなあ、と思っていたので、個人的には退屈だった。それに、音のアネクドートな性質なんか使わずに音響だけで勝負する、フランシスコ・ロペスとかクリス・ワトソンを聴きたいなあと思ったのだ。
「終わり頃に天井から降りてきて床に当たってゴツっと音をたてる、ぶら下げられたマイク」は面白かった。終演後、作家の方と話して、このマイクは「この演劇は全部記録されたものでできているから、ひとつくらいこの場で作られるものを入れよう」と思って入れたものらしい。こういう必要性を感じることは、この作品が小劇場出身であることを示しているようで面白かった。
でも、音像がぶれる高音質録音なフィールドレコーディング作品はなんか残念だなあ、とか思ってた。

3.
しかし!
終演後、知り合いの方、そして他の観客の人たち(20名くらい)には、かなり衝撃的に面白かったらしかった! みなさんは、劇場で「何も見るものがないのに何か出来事が生じていたこと」にかなり興奮し、感激していた。

そこで僕は気づいた。
僕は見方を間違えていたのだ!
これは「不自由なフィールドレコーディング」とかではなく、あくまでも「小劇場出身の、音で物語る作品」だったのだ。
だから、音像は多少ぶれていようとも、ドキュメンタリー的な要素が重要なのだし舞台にスピーカーを並べるような「その場で現前する演劇的所作」が重要なのだ。

4.
なるほどねえ。
僕は、フレームワークが違うのでまったく評価や感想が異なる、という事態を経験したのだ。フィールドレコーディング作品としてどうこうではなく、「リアルタイム性への配慮=リアルタイムに劇場で発生するものごとへの配慮」と「あくまでも物語にこだわる点」は、録音だけで勝負するフィールドレコーディングや、ホワイトキューブに展示されるサウンドインスタレーションとは異なる方向性に向かっていく「音の作品のヴァリエーション」なのだ。
そういう意味で、「新しい形態の音作品/音の上演」を開拓していくかもしれないので、今後に期待できるなあ、と思った。
例えば、これ以上大きな会場でやるとどうなるんだろう?
(まあその前に、どれくらい集客力があるだろう。)

「音に重点を置いた演劇」は、音だけの映画とかフィールドレコーディングではなく、鈴木昭男さんと恩田晃さんのライブパフォーマンスなどと比較するのも面白いのかもしれない。音のアネクドートな性質を強調するという点ではevalaなども想起される。作家本人は、リュック・フェラーリからの影響が大きい、と言っていた。




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