ってことは、1952年生まれ。
の先生に、最近とてもお世話になってる。
今日初めて、その先生が近現代美術を研究するようになったきっかけなどをうかがった。この先生からこういう話をきくのは初めて。
この先生はカンディンスキー研究から美術館勤務になっていったのだけど、大学までは中高とベース弾いてバンド活動ばっかしてたらしい。四天王寺会館かどっかで有名バンドの前座とかもしてたらしい。
でもカンディンスキー研究するようになったのだけど、それは、大学のセンセイの影響も大きかったし、また、高校のときの美術の教科書にのってたカンディンスキーの絵に衝撃を受けたのが最初だったらしい。で、その教科書をまだ持ってて、見せてもらった。仕事する机の後ろの本棚にきちんとしまってあって、ちょっと感動した。
普段ものすごく温和で温厚そうな良い人なのだけど、その人が「ピンク・フロイド」とか「東のキャロル、西のファニカン」とか言ってるのを聴いて、なんかすごく奇妙な感じがした。
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桑名正博 - Wikipedia
中学の一つ下だったらしい。
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