は、こんな感じ。
まだまわりはけっこう明るいけど、よく見える。
2011-05-31
2011-05-28
誰か知らない
が、金太郎の前掛け的なものを、背中に付けてるように見える。
正面から、まったく引き締まっていない若い男の裸を見せられると、なにかの罰ゲームを受けている気分になる。
しかもデス声メタル。
なにが「いかしたお前はチェリーボーイ」やねん。
もっと痩せろ。
DVDで『Song Catcher〜歌追い人〜』(2000)
Songcatcher
マギー・グリーンウォルド
むかし@taninen の講義用ブログに参考資料としてあげられていて知って見たのだが、音響文化に関心があるものとしては、予想外にとても面白い映画だった。
(「感動のヒューマン・ラブ・ストーリー」としては、すべてのカップルの組み合わせについて辻褄があっていなかった気がする。一番理解できなかったのが、主人公の音楽学者と二回妻と死に別れた山男が、なぜ、恋に堕ちることになったのかさっぱり分からなかった。ただし「20世紀初頭のアメリカの山奥にいたレズビアン・カップル」を描いていたのは、『ブロークバック・マウンテン』より早い映画なので「へー」と思った。)
19世紀末のアパラチア山脈周辺では、山岳地方では周りと隔絶した生活を送る人々も多かったので、イギリスやスコットランドから移住してきた人々が本国ではなくなってしまったバラッドを歌い継いでいて、研究者や愛好家たちは、それらを蒐集することに務めていたらしい。それは「イギリスの正しいフォークソング」であると同時に、その頃には、「アメリカのフォークソング」として認識され始めていたらしい。ということを僕は最近は大和田俊之『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ)で勉強したのだけど、この映画の物語背景は、これ。
音楽学者の仕事は、貴重な文化遺産を守り世間に知らしめることだ、と述べる音楽博士が、アパラチア山脈で歌い継がれていたバラッド( love song)を、フォノグラフで録音したり採譜したりするうちに…という人間模様なお話。
だから、音響テクノロジーに」関心があるものとしては、「フォノグラフと五線譜で民謡を採譜している音楽学者」が出てきているのだから、面白かった。
最後のオチが「山の音楽のシリンダーを作って売るために山から出ていくこと」だったり。時代は「研究者仕事とか採譜とか」から「レコードを販売すること」へと移行していった、ということだろう。
ちょっと思ったのだけど、こんなふうに、採譜したり録音して「山のバラッドを採集して楽譜を出版する」という音楽学者に対して、採集される「山の人間」が、「泥棒め!」ということなんかあるのだろうか。つまり、その作業を、自分たちの文化的遺産の収奪だ、と意識してすぐに被害者感情を持つ、ということはあるのだろうか?
ないと思うのだが、やはりこれは、物語を推進させるための設定か? 物語の組み立ては結構ざつだった気がしたな。
面白かったけど。
→
歌追い人Songcatcher ~歌追い人~ - 映画作品紹介
歌追い人@映画の森てんこ森
→
アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)
大和田 俊之
ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション [DVD]
マギー・グリーンウォルド
むかし@taninen の講義用ブログに参考資料としてあげられていて知って見たのだが、音響文化に関心があるものとしては、予想外にとても面白い映画だった。
(「感動のヒューマン・ラブ・ストーリー」としては、すべてのカップルの組み合わせについて辻褄があっていなかった気がする。一番理解できなかったのが、主人公の音楽学者と二回妻と死に別れた山男が、なぜ、恋に堕ちることになったのかさっぱり分からなかった。ただし「20世紀初頭のアメリカの山奥にいたレズビアン・カップル」を描いていたのは、『ブロークバック・マウンテン』より早い映画なので「へー」と思った。)
19世紀末のアパラチア山脈周辺では、山岳地方では周りと隔絶した生活を送る人々も多かったので、イギリスやスコットランドから移住してきた人々が本国ではなくなってしまったバラッドを歌い継いでいて、研究者や愛好家たちは、それらを蒐集することに務めていたらしい。それは「イギリスの正しいフォークソング」であると同時に、その頃には、「アメリカのフォークソング」として認識され始めていたらしい。ということを僕は最近は大和田俊之『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ)で勉強したのだけど、この映画の物語背景は、これ。
音楽学者の仕事は、貴重な文化遺産を守り世間に知らしめることだ、と述べる音楽博士が、アパラチア山脈で歌い継がれていたバラッド( love song)を、フォノグラフで録音したり採譜したりするうちに…という人間模様なお話。
だから、音響テクノロジーに」関心があるものとしては、「フォノグラフと五線譜で民謡を採譜している音楽学者」が出てきているのだから、面白かった。
最後のオチが「山の音楽のシリンダーを作って売るために山から出ていくこと」だったり。時代は「研究者仕事とか採譜とか」から「レコードを販売すること」へと移行していった、ということだろう。
ちょっと思ったのだけど、こんなふうに、採譜したり録音して「山のバラッドを採集して楽譜を出版する」という音楽学者に対して、採集される「山の人間」が、「泥棒め!」ということなんかあるのだろうか。つまり、その作業を、自分たちの文化的遺産の収奪だ、と意識してすぐに被害者感情を持つ、ということはあるのだろうか?
ないと思うのだが、やはりこれは、物語を推進させるための設定か? 物語の組み立ては結構ざつだった気がしたな。
面白かったけど。
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歌追い人Songcatcher ~歌追い人~ - 映画作品紹介
歌追い人@映画の森てんこ森
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アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)
大和田 俊之
ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション [DVD]
2011-05-27
2011-05-24
2011-05-22
DVDで『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ(Mitt liv som hund)』(1985)
マイライフ・アズ・ア・ドッグ 【HDマスター】 [Blu-ray]
『ギルバート・グレイプ』のラッセ・ハルストレムの監督作品。スウェーデン語なのでよく分からないが、Google翻訳によると、原題の英訳はMy Life as a Dogとなるらしい。
12歳の少年イングマルは、兄にいじめられても、母が死んでも、父が南の海から帰って来なくても、父の兄夫婦のもとに預けられた後に母の弟夫婦のもとにたらい回しにされても、人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行生物になって餓死したライカ犬に比べれば、幸せだ、と言い聞かせている。で、やっぱりラッセ・ハルストレムという人はちょっとした人間心理の描写が面白い監督みたいで、母の弟夫婦の村で知り合った少女との間に芽生えるちょっとした恋心とかを、膨らみ始めた少女の胸を「見せようとする少女と見たくないと思う少年のやり取り」とかで描写する。
なので、途中までは「これはロリコンなひとにはたまらない映画かもしれないなあ」と思っていたのだけど、途中でそういうものではないな、と思ってものすごく面白くなった。途中で、この少女とちょっとしたイサカイの最中に、まるでそれまでの捨てられたらいまわしにされたストレスを発散するかのように、イングマルに「愛犬シッカン」が憑依(?)するからだ。イングマルは、犬の鳴きまねがとっても上手なのであった…(続く)。
-----------------------
幸せとは何かと比較することで得られるものであると思うが常に自分より下のものを数え上げなければいけない人生は大変だなあ、ということと、ラッセ・ハルストレム監督の映画は淡々とした日常描写がとても素敵だなあ、ということと、ラッセ・ハルストレム監督の映画には何か欠けている気がするが多分それは「田舎に住む自分たちを上から俯瞰するような視点」なんだろうなあ、と思った。
とはいえ、ラッセ・ハルストレム監督が「都会の映画」を撮影することなんかないだろう。
『ギルバート・グレイプ』のラッセ・ハルストレムの監督作品。スウェーデン語なのでよく分からないが、Google翻訳によると、原題の英訳はMy Life as a Dogとなるらしい。
12歳の少年イングマルは、兄にいじめられても、母が死んでも、父が南の海から帰って来なくても、父の兄夫婦のもとに預けられた後に母の弟夫婦のもとにたらい回しにされても、人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行生物になって餓死したライカ犬に比べれば、幸せだ、と言い聞かせている。で、やっぱりラッセ・ハルストレムという人はちょっとした人間心理の描写が面白い監督みたいで、母の弟夫婦の村で知り合った少女との間に芽生えるちょっとした恋心とかを、膨らみ始めた少女の胸を「見せようとする少女と見たくないと思う少年のやり取り」とかで描写する。
なので、途中までは「これはロリコンなひとにはたまらない映画かもしれないなあ」と思っていたのだけど、途中でそういうものではないな、と思ってものすごく面白くなった。途中で、この少女とちょっとしたイサカイの最中に、まるでそれまでの捨てられたらいまわしにされたストレスを発散するかのように、イングマルに「愛犬シッカン」が憑依(?)するからだ。イングマルは、犬の鳴きまねがとっても上手なのであった…(続く)。
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幸せとは何かと比較することで得られるものであると思うが常に自分より下のものを数え上げなければいけない人生は大変だなあ、ということと、ラッセ・ハルストレム監督の映画は淡々とした日常描写がとても素敵だなあ、ということと、ラッセ・ハルストレム監督の映画には何か欠けている気がするが多分それは「田舎に住む自分たちを上から俯瞰するような視点」なんだろうなあ、と思った。
とはいえ、ラッセ・ハルストレム監督が「都会の映画」を撮影することなんかないだろう。
2011-05-21
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