2014-07-31

2014-07-31-「情報と物質のあいだ」という副題のついた「マテリアライジング展」に行ってきました。暑かった。

「情報と物質のあいだ」という副題のついた「マテリアライジング展」に行ってきました。暑かった。
感想をまとめようとしているうちにまとまらなくなった。
申し訳ない。
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1.
マテリアライジングってことなので、3Dプリンターやらビッグデータやら遺伝子操作やらCADやらレーザープリンターやら新しいテクノロジーを使って「情報」を「物質」に変えたもの(=materialiseしたもの)が展示されていました。
「情報」とはたとえばある日の気温と湿度と風力などのことで、そうした「情報」を巨大3Dプリンターに入力し、人が入れるくらい大きな”壺のようなもの”が出力されていました。たとえば、1975年9月2日(僕が生まれた日)の温度変化は直径を、湿度変化は横の筋の太さを、風力は直円と比較した場合の歪み(なんかそんな感じのパラメーター)を決める、等々(正確にはなんか違ったかも)。そう決めることで、「僕の誕生日」という「情報」を「物質化したもの」が出力されていたわけです。
あるいは、分化した後の植物の細胞と未分化な植物の細胞とを併置する作品では、「分化の程度」という「情報」が「物質化」されていました(のだと思うけど、実はよく分からなかった…)。金魚を何代かかけあわせることでフナに戻そうとする作品(たぶん、そういう作品)は、金魚手ぬぐい愛好者として、感心をそそられました。この場合、「金魚が潜在的には持っている遺伝子情報」が「マテリアライジング」されているってことなのだろうと思いました(でも、これも間違えて理解してるかもしれない…)(だから例えば、イノマタさんは自分の髪の毛を犬に着せる作品を展示してないわけですな。当たり前ですが)。

2.
こうした作品群は、とりあえずは、珍しくて興味深いです。
ただ、技術の目新しさだけの作品だとたぶんすぐに飽きるのだろう、とも思いました。
技術も芸術も同根のもの――artのそもそもの意味は「技術」であるという意味で――なので技術が新しくなれば生み出される芸術が新しくなるのは当たり前のことだし、その「新しさ」は「面白さ」とあまり関係ないし。「芸術」じゃなくても「面白くて新しい技術」はたくさんあるので、もしこれらが「芸術」を名乗るのだとすれば、問われるべきはコンセプトのはず(とはいえ、これらの作品(?)多くは、実は、「芸術」を名乗るつもりはないのだろうとは思うけれど)。

3.
で、「情報」を「物質」化するという構造は「内容」を「形式」化するという構造に似ていて、「情報と物質(の対立がある)」とする問題の立て方はたぶん、「形式と内容(の対立がある)」とする古くからの美(学)的問題のヴァリエーションなのだろうと思います。
とすると、「情報」が「物質」化されること自体はアタリマエのことだし、「物質」化されたものこそが「情報」として認識されることもあるのだろうし、そこで使われる「技術」を「芸術」と呼ぶのだろうし――人間の感情など「内容」を言語という「形式」に変化させる行為が、弁論術という「技術」だったり、「詩」という「芸術」だったりするように――、それゆえつまり、「情報」が「物質」化されているだけの作品は、アタリマエなので、さして面白く無いです。
なので個々の作品(?)を見る時には、「技術の新しさ」の驚き以上に何か面白い部分がどれくらいあるだろうか、ということをポイントに見ていきました。
そしたら、けっこう楽しめたけど、三分の一くらいはコンセプトがよく分かりませんでした。これは「作品の狙い」が分かりにくいという以前に、僕の理解力が追いつかなかった、という点が大きいのでしょう。あと、大変申し訳ないけれど、暑さにやられた。
暑さに負けてしまった。

4.
なので乱暴にまとめると、「マテリアライジング展」は、暑かった
あと、コンセプトが難しくてよく分からないものがあり、よく分からないものは面白くなかった。
面白くない原因のたぶん半分以上は当然のことながら僕にあるのだけど、もっときっちりコンセプトが理解できると良かったなあ、と思いました。

5.
ところで、僕は「マテリアライジング展」には、「車輪の再発明」を見にいったのでした。城くんの a record without a prior acoustic informationがどの程度進化しているのかを見にいったわけです。紙とか木にレーザープリンターで、厳密に計算した形の溝を刻み、その紙や木の円盤をレコードプレイヤーで再生すると人工音を「再生」する、あの作品(?)を。機械的な音響生成メカニズムが「電子音」を再生するアレです。
で、アレは進化していて、今までは円盤一周分の溝しか作ることができなかったはずなのに、今や円盤数周分の溝を掘れるようになっていて、メロディが「再生」されるようになっていました。
立派なもんです。これを確認するのが今回の目的でした。

これは、IAMAS内部の(?)「車輪の再発明」というプロジェクトの産物で、このプロジェクトはどうやら、メディアとして出現しなかった技術の可能性を提示することで「ありえたかもしれない現在/未来」を出現させるプロジェクトみたいなので、当然、「ポール・デマリニス」とか「メディア考古学」とかいう言葉を思い出すわけです。そういう補助線がたくさんあるということもあって、「技術/メディア」という対立軸は、「情報と物質」というあやふやな二元論よりは文化的に理解しやすい明確な対立軸であるような気がするので、まあ、面白かったです。クワクボリョウタさんの、フェルメールを三原色で再現(?)する作品もステキだった。
今後も期待。

6.
ということで、まあ、僕は、コンセプトが明確な/分かりやすい作品が好きみたいなのだけど、ただ、そういうのとは別に、やっぱ、でかい3Dプリンターが、巨大でした。
すごかった。
この展示が終わった後、どこかに行き先が見つかると良いですね!

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