2022-09-20

メモ:ゲルハルト・リヒター展@東京都国立近代美術館




来週火曜日がコクソーで臨時休館なので今日は祝日の翌日だが臨時開館日だった。人間ドックの後に向かう。

今まで色々な機会に見てきてはずだが、僕はリヒターのことをあまり分かっていなかった。最初の部屋に入って、彼のabstract paintingを何枚もまとめて見て、すぐにそのことが分かった。
その抽象絵画は、点と線と色彩、mass, field, region,などから成立し、そのバランスやらハーモニーやらが織りなすfabricationが見事なものだった。見事というのは、一意な説明で全体を理解したと思えることはなかろうと予想されるということで、音楽やら織物やらの比喩やレトリックに頼らざるを得ないし、それらに頼らずなんらかの方法でその成立方法を「説明」(あるいは「分析」)したからといって、それはその抽象絵画の在り方とか成り立ち方とかの秘密を明らかにすることに貢献するかどうかは疑わしい、という意味。
なので、つまり、ゲルハルト・リヒターの抽象絵画は、あらゆる優れた絵画がそうだが、文字通りの意味で「言葉では表現できない」、という臆面もなく陳腐な表現をせざるを得ないと感じた。これぞ眼の愉しみ、すごい、気持ち良い。
少なくとも、こういう抽象絵画は60年代に流行ったオワコンだ、とか、こういう絵画はそのうちAIが描けるようになるだろう、とかは思わない(が、AIはきっととんでもないことをするので、もしかしたら、そのうちこういう「絵の具の盛り」くらいのことならできるようになるのかもしれない)。
なので、知りたいのは、リヒターはなぜ1980年代とか90年代にこういうことをしているのか。正確には、いま絵画とは何であるのか。絵画とアートとの関係は、いま、どうなっているのだろうか。

0 件のコメント: