2023-10-06

メモ:ICCでのevala作品

先週金曜日、ICCでevalaさんの作品を体験。完璧な暗闇のなかで、完璧に構築された高音質な音響物をひたすら集中して聴取する経験。目を開けても閉じても何も見えない場所で、しかし、これほど高解像度の音を聞くと、目が見えなくても世界に関する情報は十分得ることができるのではないか、と勘違いしそうになった。

もちろん実際には、晴眼者だった人間が、文字や記号が読めなかったり身振り手振りなど音声ではない非言語情報がなかったりするとずいぶんと不便だと思うが、そのことを一瞬忘れてしまうくらい情報供給量が十分だと感じてしまう。なので、「耳で視ている」ように感じてしまう。
おそらく「耳で視る」というのは「耳を通じて明瞭に空間を認識する」という経験に近いのだろう。
この逆に「目で聞く/聴く」というのは、実はよくある。マンガのオノマトペとか楽譜とか言語とか、視覚的情報を通じて頭の中に色々な音を喚起する、というのが、それだと思う。耳で聞いた音を通じて視覚的に何かを知覚する経験、というのは、僕にはあまり経験がないが、どうだろう。
シナスタジア保持者で、例えば「サウンド・カラー共感覚(sound-color synesthesia:色聴)」保持者は、聞こえた音に色が付いて聞こえるらしく、高い音ほど明るい色に見える傾向があるらしいが。
今回のevala5作品は、
1:フィールド・レコーディングされた音源から仮想の音響空間を作るもの
2:鈴木昭男による音具の演奏を仮想の音響空間に構成したもの
のふたつに分かれるらしい。
雪を踏みしめている音が自分の頭の周りを回っているように聞こえる部分があり、その音量が大きくなると、自分が小さくなる/巨人が周りを歩いている、みたいな感覚になった。こういうのは、自宅で何度も繰り返し聴き込んでみたい。なんとかならないものか。
また、鈴木昭男さんの演奏は、その場に立ち会って体験することこそが面白いと感じてきたので、その演奏の録音物を再構成してこんなに面白くなるとは、驚いた。まるで昭男さんの演奏の真横にくっついて聞き耳を立てているかのような気にもなった。
ICCの無響室はこの狭さが良い。Nokia Bell Labsの無響室だとこうはいかない。
ICC | 《大きな耳をもったキツネ》 - evala (2013–14) https://www.ntticc.or.jp/.../works/otocyon-megalotis-2023/

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