三年前に読んで衝撃を受けたポール.J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』の続編、『できる研究者の論文作成メソッド』を読む。
ここまで論文作成の具体的プロセスが実践的に説明されると、「IF係数の高い雑誌に掲載する論文作成」が至上命題になっていない領域の研究者(≒人文学の研究者)には、参考にならないことが多い。でも、この本も勇気づけられる本だった。
共著論文というのは人文系はあまり多くないが、僕は今、編著を作成しているので、色々と学ぶアドバイスは多かった。共著作成時にはメールを使うべきではない、と断言できるのは、羨ましい。原著は2015年出版で翻訳は2016年出版だが、僕の周りではいまだにメールしか使わない人も多い。書籍の分担執筆や百科事典項目や書評は「やめておいた方がよい執筆」(227-)だというのは、分野が違うから、だろうか。「本」は研究成果発表の場所としてまだ大切な気がする。(でも、そういや、ここ数年でものすごく増えてきた無茶苦茶ページ数の多いhandbookの類は、こういう「やめておいた方がよい執筆」なのかもしれない。あるいは、若手研究者のとりあえずの発表場所、みたいな感じもするが。)
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書く理由は色々ある:「学ぶために書く」、自分の考えを発見するための方策として書く、という人もいる(4)
インパクトのある論文を書くとは「その分野で交わされる会話の内容に変化をもたらそうと努力をすること」(8)
経験を積んだ研究者であれば、投稿前の段階で再投稿の計画を立てている。(29)
学習をめぐって、僕が頭の中で考えているモデルは、情報化地合いの教員としては少々風変わりかもしれない。そう、本を読むべし。(31)
ライティングの本を読むことについて:年に一冊以上は読むこと(39)
共著について:書きかけの断片についてフィードバックを求めないこと、電子メールで行わないこと、一人が下書きを全て書いてみること、コメントはオプトイン制にすること(締め切りを設定して締め切りまで返信がなければ承諾したとみなすこと)
うまくいかない時は、「最初のステップは、金輪際、厄介な研究者と一緒に共著論文を書いたりしないと誓うこと」「原稿の完成に向けて粘り強い督促作業を開始」すること、「厄介な共著者に降りてもらうよう打診すること」など
「研究者たるもの、作品一本ではなく、一連の作品群の展開を目指すべきだ」(217)
「書き終えたばかりの論文がとんでもない難産で、論文など金輪際書けそうにないという気分でいるとしても、とりあえず落ち着こう。大丈夫、書ける。」(232)
「僕らは、自分の自由になる部分などほとんどないという事態を受け入れたうえで、自分の自由になる部分、つまり自分自身の行動という部分をコントロールする必要がある。執筆にあてる時間帯を選択し、その時間が来たら机に向かって執筆を開始し、その時間が終わったら執筆をやめる。執筆をスケジュールに組み込むことは、「文章をたくさん書く人が、どうやって文章をたくさん書いているか」そのものだ。」(233)
「まずは試してみよう。週4-6時間を執筆に充てるところから始めるのがよいと思う。」(233)
「推薦の言葉」より
「ものごとをロジカルに考える習慣が身についているはずの研究者なのに、彼ら彼女らの多くが「塵も積もれば山となる」をいまだに実感していないのは驚くべきことである。」(iv)
参考:
I am alive.: メモ:ポール.J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』 https://after34.blogspot.com/2021/07/j.html
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