岡山県立美術館で『藤原和通―そこにある音』展
早朝横浜を出て最終日に滑り込み、すぐに神戸に向かう。
藤原和通といえば1970年代の音響標定と、イタリアから帰国後のウゴウゴルーガなどの活動が有名。この展覧会はそんな藤原和通に対する理解を修正調整してくれた。
音響標定は何度も行われたみたいだけど、僕は、この展覧会で初めて、その記録映像を見た(僕だけじゃないのでは?!)。丸太を選んで運び込んででっかい石臼と石臼を回す回転軸などを作って、そしてすぐに解体する様子の映像。関係者間にはあったのかもしれないが、僕は関係者じゃないので、知らなかった。というか、一時間ほど映像を見ていて思ったのだが、なんの役に立つのか全く分からないこんなものに、よくもまあ、けっこうな人数とお金を巻き込んだものなだなあ。「アーティスト」ってスゴイ。あと、やはりら藤原和通は、「芸術における音の歴史」という文脈より、「1960-70年代の日本における環境芸術とかハプニングとか」の文脈で考えたほうが面白いかも。そのような文脈にいて、「しかし作曲家を志していた人」として。この言い方だと、小杉武久と被るな。だから、ちょっと言葉足らずか。
後年の帰国後のオトショップの展開とかバイノーラル録音とかは、どう考えるべきだろう。映像入りフィールドレコーディング録音を小売り販売するって、音声データ販売が当たり前になった今考えると、「古くなってしまった新しいメディア」でしかないようにも思われるし。
展覧会を企画した学芸のホンさんと少しお話しする。藤原和通関連でもっと深掘りできるらしいことを知ったり、アーティストの生き様について色々学んだり。今後の展開が楽しみ。
今井祝雄展@芦屋市立美術博物館
写真、映像、ビデオ、磁気テープなどを用いながら、時間経過を記録し続けることによって何かを曝け出そうとしたり、コンセプチュアルに何かを記録することによって何かを曝け出そうとする1970年代の今井は、かなり、「メディア」アーティストだし、「(バズワードとしての)現象」を相手にしていると説明ざるを得ないような作家に思われる。が、バズワードで説明される作家が多くの場合そうであるように、ここでも単に言葉が足りないだけだ。正解に、今井は、当時新しかったメディアを用いてその可能性を探究していた、と、述べるべきだ。そして、それは、草むらにガラス板を置いてその変化を記録するSquareのような傑作を生み出すこともあるし、曲がり角で必ず写真撮影しただけという何というかあんまりよく分からないものもある。
時間を扱うメディアとしての写真、ビデオ、テープの可能性を組み尽くすのに成功しているようには思えないが、失敗しているわけでもない。いくつかは世界レベルの凄さだと感じるが、どこか物足りないとも感じる。
関西文化の日で観覧無料だったので、たくさんいた。テープ作品を見て子どもたちはどう思うのかしら。
こちらも藤原展もちゃんと図録作ってあって、素晴らしい。
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