2011-01-24

アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー | Film Goes with Net

いちばん納得する映画『ソーシャル・ネットワーク』評だった。
この映画は、せっかくのFacebookに関するお話を「天才をめぐる人情物語」としてしか語っていないのだ。
だからツマンネエと思ったのだろう。

:“…ハーバード学生の傷心(俺らのアイデアを盗まれた!)を裁くために連邦裁判が動くということが、いかに馬鹿げているとかいうことを、ソーキンは完全に見落としている。我々はこの映画を見ただけでは、この訴訟劇にそもそも法的に正当な根拠があるのかどうかわわからない。…ザッカーバーグは契約違反を犯したのか?多分。しかし、その損害は6千5百万ドルなどという大金ではなく、せいぜい650ドルちょっとといったところだろう。では彼は企業秘密を盗んだのか?答えは完全にノーだ。それでは彼はなにか「知的財産」を盗んだりしたのか?これもない。フェイスブックのコードはザッカーバーグが作ったものであり、ソーシャルネットワークというアイデアは特許でも何でもない。あの双子に6千5百万ドルを与えるのは公平とは言えず、このような裁定は非効率かつでたらめで、恐怖すら感じるほどの法システムの乱用だ。…



しかし、この映画ソーシャルネットワークの最もイラつかせる点は、現代アメリカの法の愚かさではなく、フェイスブックの物語の背後にある真のマジックに言及することにすらしくじっている点だ。映画が完成した後行われたインタビューで、ソーキンは自身がインターネットに対して無知であると豪語している。彼の無知さが映画の内容にも表れている。…。

ザッカーバーグの物語の中で重要なのは、彼が天才だということではない。…。

ザッカーバークという天才を巡る物語で重要な点は、このフェイスブックがスタートしてから6年で、5億人もの人々に受け入れられた、しかもだれに許可も認可も取ることもなく(真に重要な点はここだ)、ということだ。本当のストーリーは発明そのものに関してではなく、そのインヴェンションを歌わせるプラットフォームに関してだ。…。
…”

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