キャプションによると、テキストは吉岡洋「新共通感覚論」だが、とおくてよくみえない(暗いし)(音楽は山中徹だけど、いかにもダムタイプの音楽、ではない)。
一文くらいは読めるけど、テキストは部屋のあちこちに散らばってるし、暗いし、全文は読めない。
だからこのインスタレーションでは、あなたと私が見ている「赤」は違うかもしれない云々ということをいっているらしいテキストを、朧げに読む、という経験をする。
「とおくてよくみえない」けど、何かを見ていることは間違いない(たぶん共通感覚とか独我論に関する内容のテキストである、ということは、分かる)。
つまり、この作家は、明確じゃなく朧げに見るという経験をテーマにしているのかもしれない。だから、20世紀絵画の歴史を刺繍で辿るようなことをしているのかもしれない。「(マクルーハンがいう意味での)low definitionなメディアの経験」を探究してるのかもしれん。
と、まだ展覧会の途中だけど思ったのでメモ。
この方向で、以下の作品を見てみる。
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