最後は猫に見送っていただいた。
さて、引越し作業に集中するぞ。
生きてるだけでまるもうけ
コンテンポラリーアートという言葉もなかったらしい。
モダンアートといってたらしい。
横浜美術館館長の逢坂恵理子さんは、高校のころには学芸員を志したらしい。
70年代の学習院で現代アートを志向するとはどういう感じだったのか、みたいな話の周囲を巡っているなう。
とまれ、「アーティスト」には世界はどう見えてるんだろう。まったく違うのか、あるいは、さほど違いはないのか。どっちにしろ、何にしろ、なにかのカタチにできる人がアーティストなのだと思うが。
「とおくてよくみえない」けど、何かを見ていることは間違いない(たぶん共通感覚とか独我論に関する内容のテキストである、ということは、分かる)。
つまり、この作家は、明確じゃなく朧げに見るという経験をテーマにしているのかもしれない。だから、20世紀絵画の歴史を刺繍で辿るようなことをしているのかもしれない。「(マクルーハンがいう意味での)low definitionなメディアの経験」を探究してるのかもしれん。
と、まだ展覧会の途中だけど思ったのでメモ。
この方向で、以下の作品を見てみる。
キャプションは図像的な解説だけだった。
なんか潔かった。
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2月になって、室井先生のブログのポストを読んで初めて、このキャプションも作品だったことに気づいた。
短信: 高嶺格/小谷元彦/曽根裕展を見る