2012-04-03

memo: Michael Snow, Presents (1981)



1.固定カメラで撮影した、トレーラーのようなものに設置された室内のスラップスティックを模したような映像(カメラではなく室内セットが動く映像)

2.室外の様々なショットの断片(ワンシーン、ワンショット)の連続


1では、15分ほどすると、カメラが室内に入り込み、室内の男女を撮影し、そのうちカメラは「室外」に向かう。
そして「室外」を映しだした瞬間、映像の質とカメラの機能は瞬間的に変化する。
映像は、スラップスティックを模したような室内の実験映画から、室外のショットの断片の連続に変化する。


2は断片的で多種多様なショット、としか言い様がない。たとえば、移動する車、人体標本、セーターの網目、窓口で受付する女性、蛇口から溢れ出る水、公園を歩くスーツ姿の男性、車椅子と杖、うねる波、雪山、窓から覗き見える通路を歩く人々、ビル、走る列車等々等々。
スネアがワンショット打たれるのと同時に別のショットが始まる。それぞれのショットの間に連携はない。
腸を出しながら雪原の上を少し走る鹿(後のショットで、どんどん解体されていく)の映像なんかが、なかなか「一期一会」感を醸し出していた。

3.分析:カメラの機能:1と2の関係
1と2には何の関係もない。
にもかかわらずこのふたつが同じ一つの作品を形成しているのは、1が、2における「カメラの機能」を例示するため、ではないかと思われる。
カメラは「“主観的な何ものか”を表象しないもの」として提示されているのではないか、ということだ。
このようにカメラを使うことこそ、あるいは、このように90分を構成するものこそが、「構造映画」だと言えるのだろう。
と考えると、このDVDスリーブの裏にのせられた短い解説、必要十分な解説だな。読んだ時はなんのこっちゃ、と思ったが。

好きか嫌いかで言うと好き。面白い。
でも、「ショットの積み重ねが大きな物語に結びつかないもの」を提示する必要性は理解できるけど、1も3も長すぎると思う。
あと、スネアの打音が少し間抜けに聴こえる。

→ツイートメモ


Michael SnowのPresents (1981)を見ているのだが、このバカバカしい、スラップスティックを模したような実験映画の画面の揺れと、窓の外の木とか網戸が揺れるのがシンクロしていて、何だかとても面白い。
posted at 18:09:39
なるほど!
posted at 18:10:00
Michael Snowの構造映画は「分かりやすい」と認定することにした。
posted at 18:10:18
「屋外に出る瞬間」のインパクトが最大で、あとはよう分からんが。
posted at 18:12:01
こんなに長い必要がない気がするがどうなんだろう。
posted at 18:13:41
うるさい…。
posted at 18:22:59
この実験映画の中盤のワンシーン、ワンショットみたいなのの良さが分からないが(スネアがワンショット打たれると、別のシーンに変わる。それぞれのシーンの間に連携はない。)、こういうのこそ「実験映画」っぽいことは確かだ。
posted at 18:28:41
RT @ryoma_takahashi: この嵐の中、一人雨に濡れながら「ついに、、この日がやって来たか。俺は何万年待ったのか。ついに俺の力が解き放たれるー!!!!!!!」とか叫びたい。
posted at 18:28:46
10分ほど見てると面白くなってきた。ある種のエピファニックな映像に見えてきた。
posted at 18:34:18

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