90年代神戸にあったジーベック。活動の全貌を知る手段がなかったので、今回のトークは貴重な機会として昨年から楽しみにしていた。トークには当時を知る人たちが大勢来ていたようで、なかなか暖かな雰囲気で、とはいえ内輪だけの会という感じでもなかった。僕はその仲間ではないので、懐しさとかは感じなかったけど、話を聞いていてとても面白かった。たぶん、関西の「サウンドアート」をめぐるいくつかのラインのつながりが見えてきたからだろう。
京都国際現代音楽フォーラムとの連携とか吉村弘さんとの関連とか。Sound Cultureフェスティバルとの関連とか。まあ、はっきりと書けることはまだないけど。
*
90年代に会報に「Sound Arts」と名付けていたのは面白い。
1995年には震災があったし、インターネットも普及したし、関東とか海外との距離も、情報の入ってきかたも、かなり様変わりしたんだろうなあ。
*
疑問が残った。ジーベックの人たちは、同時代の美術のことをどう思っていたのか、あるいは、美術の人はジーベックのことをどう思っていたのか。これは関西の学芸員の方とか藤本由紀夫さんとかに話を聞くと面白いかも。
また、録音物を残そうという発想はなかったのか。これは、最後に無理矢理にでも質問したら良かった。最後グダグダな感じになってたし。
*
僕は同じ時代に京都にいたけど、何にも関わっていなかったなあ。
ジーベックにも、京都国際現代音楽フォーラムにも、フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンスとその展開としてのブリッジにも、赤レンガ倉庫での活動にも、ベアーズ周辺にも。藤枝守さんや柿沼さんによるsound cultureにも。別に「ライブ界隈とか吉田寮界隈」に関わっていたわけでもないし。
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http://www.art-it.asia/u/admin_ed_pics/jGD7w1pbs9ZkoQCyrLJK
日時:2018年 1月21日 (日) 参加費:無料
13:00-19:00 トークイベント
会場:芦屋市立美術博物館 | 講義室
13:00-14:30 「アメリカ実験音楽の精神」藤枝守 x 下田展久
14:45-16:15 「a sound & art exhibition」~ 音を感じる空間の企画展 ~ HACO x 下田展久
16:45-18:15 「アジアの音楽シリーズ」中川博志 x 下田展久
10:00-19:00 資料展示 | 体験学習室
主催:芦屋市立美術博物館
http://ashiya-museum.jp/outline
協力:TOA株式会社、株式会社ジーベック
企画協力:下田展久
2018-01-21
メモ:2018年1月21日小杉武久展覧会「音楽のピクニック」@芦屋市立美術博物館
グループ音楽から現代に至るまでの資料展示と、いくつかの作品展示からなる展覧会。
僕のような小杉武久ファンにとっても、資料の多くは未見のものばかりで、もっとじっくり手にとって眺めてみたかった。小杉武久についてあまり知らない人にとっても、展示されている小杉のいくつかの作品は小杉の最良のインスタレーションに属するもので、面白いと思う。
やっぱinterspersionシリーズは飽きない。時折発せられる単調な電子音はとても愛おしくなる。
資料には、グループ音楽のコンサートのチラシ、小泉文夫に提出した卒業論文、フルクサスにおける活動時の諸資料、タージマハール旅行団のコンサートの案内、その後の様々な国際的なコンサートと展覧会における活動まで、今までを概観して多種多様にあった。とても興味をそそられるが、僕はマニアではないのでそのうち細かなものには飽きてくるのだけど、でも、なかなか目を離せなくもある。他人事のように思うが(まあ、確かに他人事なんだが)、こういう資料ってそのうちどうなるんだろう? どこかに保管されるのだろうか。
自分にとって、小杉武久さんのパフォーマンスやサウンドインスタレーションや言葉(書籍『音楽のピクニック』)がとても影響の大きかったことを再認識した。小杉武久さんのパフォーマンスを見るためだけに2002年の神奈川近美の鎌倉館に行ったんだった。
僕は次のように理解している。
ということで、良い展覧会でした。来月、もう一度行きます。
*
今回はすべてのトークに参加できなかったので何らかの形で公開して欲しいのだが、きっとされないのだろうなあ。
僕のような小杉武久ファンにとっても、資料の多くは未見のものばかりで、もっとじっくり手にとって眺めてみたかった。小杉武久についてあまり知らない人にとっても、展示されている小杉のいくつかの作品は小杉の最良のインスタレーションに属するもので、面白いと思う。
やっぱinterspersionシリーズは飽きない。時折発せられる単調な電子音はとても愛おしくなる。
資料には、グループ音楽のコンサートのチラシ、小泉文夫に提出した卒業論文、フルクサスにおける活動時の諸資料、タージマハール旅行団のコンサートの案内、その後の様々な国際的なコンサートと展覧会における活動まで、今までを概観して多種多様にあった。とても興味をそそられるが、僕はマニアではないのでそのうち細かなものには飽きてくるのだけど、でも、なかなか目を離せなくもある。他人事のように思うが(まあ、確かに他人事なんだが)、こういう資料ってそのうちどうなるんだろう? どこかに保管されるのだろうか。
自分にとって、小杉武久さんのパフォーマンスやサウンドインスタレーションや言葉(書籍『音楽のピクニック』)がとても影響の大きかったことを再認識した。小杉武久さんのパフォーマンスを見るためだけに2002年の神奈川近美の鎌倉館に行ったんだった。
僕は次のように理解している。
小杉武久の音楽あるいはアートは、音と光(聴覚と視覚)を区別しない。音も光も振動もすべては「波」が現象化した形態である。波の映像の前で扇風機の風に揺られるいくつかのラジオ受信機と送信機が各々の周波数を互いにかけあわせるヘテロダイン現象を発生させながら変調し続ける音を発生させる《Catch Wave / Mano-dharma, electronic》では、様々な周波数の「波」が、それぞれの振動数に応じて、音波、振動波、光波、電波として現象化しているだけだ。小杉武久が行うことは、そんな風に知覚不可能な遍在的存在として在る「波」を、知覚可能な形態に現象化すること、である。この理屈で言えば、小杉武久による即興演奏とは、鉱石ラジオが自然界に存在する電波を受診して音を発してしまうように、世界に遍在的に存在している「波」を「受信」して音響として現象化する行為、となる。これは、世界に遍在する沈黙を聴き取ろうとしたジョンケージと構造的に同じである。実験音楽的な精神は、遍在的に不可知なものを知覚化しようとするのだ。僕は、最初は、こういう理解の延長線上に、実験音楽やサウンドアート(音を使う美術)を理解するようになったように思う。そのうち別の理解の仕方とかも知るようになったけど、これが考え方の基本にある。ムチャ影響されてる。
ということで、良い展覧会でした。来月、もう一度行きます。
*
今回はすべてのトークに参加できなかったので何らかの形で公開して欲しいのだが、きっとされないのだろうなあ。
2018-01-20
メモ:毛利悠子 グレイスカイズ@藤沢市アートスペース
中川 克志さんが動画2件を追加しました — 毛利悠子 グレイ スカイズに参加しています ー 場所: 藤沢市アートスペース
藤沢に毛利悠子さんの展示を見に来ました。色々と注意を向けられるものがあって、楽しい。
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunka/FAS/exhibition/ex012/index.html http://machi.jpubb.com/press/1534792/
2018-01-19
作文:多音源サウンド・インスタレーションについて:Paul DeMarinis《Tympanic Alley》(2015)@難波CAS
2017年10月15日(日)に、難波のCASというアーティスト・ラン・スペースで展示されていたPaul DeMarinisの作品を見た。デマリニスさんはその前日に日文研の細川さんの研究会に来て一時間ほど話をしてくれた。
CASではふたつの作品が展示されていたが、ここでは、デマリニスの《Tympanic Alley》(2015)についてメモを残しておきたい。
1.作品説明
手のひら程度の大きさの音を発するデバイスが20個ほど、天井から来場者の目の高さあたりに吊り下げられている。来場するとCASの方が電源を入れてくれて、それぞれがバラバラのタイミングでカタカタ音を立て始めた。
近づくと音が発生する理由が分かった。普通のクリップが取り付けられていて、それが銀紙のような部分にあたることでカタカタ音がするようだ。さらに、しばらく見ているうちに、何かの拍子でクリップが銀紙部分に触れなければ、そのカタカタ音の連鎖が止まることにも気づいた。つまり、クリップが銀紙に接触して通電すると、クリップが少しだけ跳ねあげられ、クリップが再び銀紙にあたることでカタカタ音が発生する(そしてまた通電してクリップは少しだけ跳ねあげられる)のだが、何かの拍子にその連鎖が止まることもある、という仕組みだった。ということは、そのうちすべてのカタカタが止まってしまうこともあるのかもしれないが、実際にはほんの僅かの振動でクリップは銀紙に触れて通電するので、来場者が室内を歩き回って空気が揺れる程度のことで、カタカタ音の連鎖は復活していた。カタカタ音がすべて自然に停止するということはなさそうだった。
2.作品経験の説明
こうした多音源インスタレーションの経験は心地よい。同じようなカタカタ音しかしないけれど、決して規則的なワンパターンには陥らない複雑なタイミングで多数の音源が鳴り響く。そして立ち位置によって微妙に音の聞こえは変わっていく。そういう聴覚経験は心地よい。
これは「世界」を経験することに似ている。乱雑で複雑系のサウンドスケープの中で不規則なパターンの音を聴き続けるという行為は、世界を疑似体験することにメタフォリカルに似ていると言えそうに思う。それに、これらの音デバイスはちょうど顔のあたりで鳴っているので、作品と音デバイスの活動に自分が参加しているかのような感覚も経験する。つまり、僕たちは、世界が生成されるプロセスをその場で観察しているかのような感覚も持つのだ。
3.類似作品
こういう多音源サウンドインスタレーション作品には多くの類例がある。いくつか思い出せるものを並べてみる。
2007年に大阪の国立国際美術館で見た藤本由紀夫のビートルズを数百曲同時に再生するインスタレーション作品(Ibaraki: 藤本由紀夫展 +/-)
2012年に東京都現代美術館で見たセレスト・ブルシエ=ムジュノ《クリナメン》(2012)
2013年に NYのMoMAで見たTristan Perich, Microtonal Wall. 2011.
2012年にZKMの『Sound Art. Sound as Medium of Art』展の屋外に展示されていたスピーカー作品
2016年2月に山口のYCAMで見たサインウェーブオーケストラのインスタレーション(YCAMのSWO:I am alive.: 作文:サイン波は世界を幻惑する(かもしれない))
2017年にGallery Out of Placeで見た大城真さんの《Cycles》
などである。
僕にとってこれらの作品のポイントは、これらが、立ち位置によって聴こえてくる音が異なること、つまり歩き回りながら聴覚経験を楽しめること、それから、現実のサウンドスケープの「モデル」あるいは「サンプル」として経験できること、という2点だ。
(ジャネット・カーディフの《40声のモテット》も、立ち位置によって聴覚経験が異なるという快感を追及した作品としては同系列の作品といえる。でもあれは、現実のサウンドスケープのサンプルではない。)
現実のサウンドスケープの「サンプル」の経験というのは、例えば、盆踊りとか宴会場とかの雑踏や賑わいがもたらす賑わいのことを思い浮かべてもらうと分かりやすいかもしれない。つまりは、そういう現実世界の雑踏の経験に(象徴的に)似ている、と僕は思うのだ。そうした音は騒音なので嫌う人も多いだろう。しかし、これらの多音源サウンド・インスタレーション作品は、そうした雑踏の音をある程度コントロールして「世界のサンプル」を提示することで、世界の疑似体験を理知的に抑制しているといえるのではないか、というのが僕の仮説だ。僕はこの手の多音源サウンド・インスタレーションを経験するたびに、世界のカオスを理性的に制御して経験することがもたらす快楽を感じてしまうのである。
4.多音源サウンド・インスタレーションの条件
こうした作品が制作可能になった背景には、ケージのVariations series(あるいはもちろんミュージサーカス)やデヴィッド・チュードアの《Rainforest》のような作品の存在を指摘できるだろう。つまり、世界の各地から採集してきた様々な音源を提示するサウンド・インスタレーションだ。これらの作品はケージたちにとっては、(乱暴に単純化するが)音源を遠隔地から持ってくるそのやり方において、音響通信技術の発展を取り込もうとする意図のもとで作られた作品でもあった。
あるいは、ビル・フォンタナやクリス・ワトソンのように、実際に録音技師がフィールド・レコーディングで活用する聴覚的な感受性がある程度一般化した、という事態も想定できるかもしれない。つまり、世界の音に耳を澄ませるという感受性が単なる観念的な物言いではなく技術的なレベルで再現可能なものと感じられてきたのだ、と言えるかもしれない。
あるいは、小さな音デバイスを大量に容易に作ることが出来るようになったという技術的制約(の緩和)という事態も念頭におくべきだろう。
いずれにせよ、こうした多音源サウンド・インスタレーションの背景に、技術的な条件の緩和という事態を指摘しておきたい。そのことは、こうした多音源サウンド・インスタレーション作品とその経験に歴史性が関与していることを示すことだろうから。
*
この作品と一緒に展示されていたもうひとつの作品も面白かったです。名前は不明で、天井から薄い鉄板がぶら下げられていて、その鉄板が天井のモーターの回転に従って揺れる作品(360°ではなく120°くらいだけモーターは回転するので、鉄板は揺れる)でした。揺れるときに鉄板は、とても小さな音量で、軋む音を立てる。また、鉄板はちょうど人の耳の高さくらいのところで揺れるように吊り下げられている。なので、僕らは鉄板に耳を近づけることができる。耳を近づけると、そのほんの些細な鉄板の軋み音が、まるで雷や台風のような轟音に聞こえる(微細なディティルがある)ことに気付く。そういう作品でした。
また、難波に行く前に見た八木良太さん(http://lyt.jp)の鉄の円盤をコロコロ転がす作品も、最先端のテクノロジーを使う技術誇示型の作品ではなく、平易な技術を使って事物の面白い振る舞いを引き出し、良い作品経験を実現する面白い作品でした。
(→当日のメモ)
2018-01-12
[寄稿]聴くことと演奏すること――Asian Meeting FestivalがArt Camp Tangoに遊びに来た記録
September 2017. My recording of OTODATE tour by SUZUKI Akio-san with the musicians of AMF 2017. What great fun it was. This may be translated into English, possibly someday.
Asian Meeting Festivalが丹後のArt Camp Tangに遊びに来た記録を寄稿しました。
楽しかったなあ。
|
聴くことと演奏すること――Asian Meeting FestivalがArt Camp Tangoに遊びに来た記録 中川克志 | ASIAN MUSIC NETWORK
Asian Meeting Festivalが丹後のArt Camp Tangに遊びに来た記録を寄稿しました。
楽しかったなあ。
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聴くことと演奏すること――Asian Meeting FestivalがArt Camp Tangoに遊びに来た記録 中川克志 | ASIAN MUSIC NETWORK
2018-01-07
メモ:2018年1月7日-日本美術サウンドアーカイヴ|堀浩哉《Reading-Affair》(1977)@scool(三鷹)
金子くんと畠中さんによる、日本美術における音を使う作品を発掘するプロジェクト。作家や関係者へのインタビュー、アーカイヴ調査、文献調査などを通じて、作品の再制作あるいは再演、展覧会を企画することで、日本美術における音の意義を検討する基盤を準備しようとする地道なプロジェクト。芸術における音の歴史を考えるうえで大変有益な仕事だ。こういう地道な基礎的な作業を蓄積することで、初めて、音を使う作品が、同時代の美術や音楽あるいは視覚文化や音響文化のなかでどのような位置を占めていたのか、ということを考えることができるのだから。
*
ということで、三鷹のscoolに行きました。
http://scool.jp/event/20180107/
年配のひとが多かった。たぶん作家の知り合いが多かったのだと思う。進行は次の通りだった。
畠中実さんのお話
堀浩哉《Reading-Affair》(1977)
堀浩哉の新作《わたしは、だれ?ーー Reading-Affair 2018》(2018)
金子智太郎、畠中実、堀浩哉によるトーク
1998年におよそ20年ぶりに、堀さんは、「ユニット00」というグループ名でパフォーマンスを再開したらしいけど、そのメンバーは奥さんと畠中さんとの三人だったらしい。畠中さんの話に絡む彦坂尚嘉さんとのやり取りが面白かった。存命の作家に関する「歴史」の記述というのは全く大変だ。
旧作の再演のパフォーマーが一昨年刀根康尚について修士論文を書いて横国の修士を修了した馬場省吾(新方法の一員なので)で、久しぶりに会ったがあんまし変わりはなくて何よりだった。
パフォーマンスでは、聞いているだけではよく分からなかったのだけど、顔を白塗りにした男女のパフォーマーが、新聞の平仮名部分だけを(???)ゆっくりと読み上げているかのようだった。で、パフォーマーの前にはオープンリールテープレコーダーがあり、パフォーマーの声はそれに録音されてしばらくするとそこから再生されていた。つまり、テープディレイ効果が生じていて、もちろん、テープレコーダーから再生された音はまた録音される、というフィードバック構造が形成されていた。結果的に、声と部屋の共鳴音は繰り返し繰り返し録音再生され、特定の周波数が強調されつつ、沈殿していく。
新作も朗読とテープフィードバック構造があるというシステムは同じだけど、対照的な目的を持つさくひんだった。新作は311の震災で亡くなった人の名前を、被災地の海岸の波の映像をバックにふたりで読み上げる作品だった。つまり、こちらは、固有名詞を蓄積していくわけだ。10分ほど聞いているうちになんとも切迫するものを感じる作品だった。
堀さんはこうした作品を、現代音楽とかそういうことはまったく考えずに発案したらしい。直接的あるいは間接的に影響があったかなかったか実際のところは不明だが、作家本人によれば、音楽がどうこうということよりも、「言葉の分解」というテーマが先行して発案されたものとのことだ。ただし、テープレコーダーは当時からごくごく普通に周囲にあったし、自身も演劇かパフォーマンスの演出で使っていたので馴染みがあったらしい。
*
ということで、以下のことにもっとも興味をひかれました。
1
1970年代に、ビデオやテープレコーダーを使うけれども、それは、音や音楽のためのメディアではなく、「手仕事ではない(とされていた)メディア」であるがゆえに意義あるタイプの作品があったこと
:つまり、それらを軽々に「サウンド・アート」呼んでもあまり意味のない「音を使う美術」があった、ということ
2
それらは、70年の万博以後にテクノロジーアートが失速した後、もの派の台頭とパラレルな現象として、「つくること」の問い直しが行われたから、登場した問題意識だったこと
:「もの派」は1970年代日本に特有の文脈としてデカイのだあ
3
そのような作品は、しかし、僕には、極めて「音楽的」に聞こえたこと
:典型的な70年代前半のミニマル・ミュージックに聞こえた。オープンリールテープレコーダーを用いたテープディレイあるいはフィードバックシステムは、アルヴィン・ルシエやブライアン・イーノやテリー・ライリーのシステムに似ている。音楽として面白いものは目指していなかったとは思うが、そのパフォーマンスが面白いものとなることは目指していただろうし、その際に参照枠となった聴覚的感性に、ミニマル・ミュージックを良しとする感性もあったのだろうなあ、と漠然と想像した。
*
ということで、三鷹のscoolに行きました。
http://scool.jp/event/20180107/
年配のひとが多かった。たぶん作家の知り合いが多かったのだと思う。進行は次の通りだった。
畠中実さんのお話
堀浩哉《Reading-Affair》(1977)
堀浩哉の新作《わたしは、だれ?ーー Reading-Affair 2018》(2018)
金子智太郎、畠中実、堀浩哉によるトーク
1998年におよそ20年ぶりに、堀さんは、「ユニット00」というグループ名でパフォーマンスを再開したらしいけど、そのメンバーは奥さんと畠中さんとの三人だったらしい。畠中さんの話に絡む彦坂尚嘉さんとのやり取りが面白かった。存命の作家に関する「歴史」の記述というのは全く大変だ。
旧作の再演のパフォーマーが一昨年刀根康尚について修士論文を書いて横国の修士を修了した馬場省吾(新方法の一員なので)で、久しぶりに会ったがあんまし変わりはなくて何よりだった。
パフォーマンスでは、聞いているだけではよく分からなかったのだけど、顔を白塗りにした男女のパフォーマーが、新聞の平仮名部分だけを(???)ゆっくりと読み上げているかのようだった。で、パフォーマーの前にはオープンリールテープレコーダーがあり、パフォーマーの声はそれに録音されてしばらくするとそこから再生されていた。つまり、テープディレイ効果が生じていて、もちろん、テープレコーダーから再生された音はまた録音される、というフィードバック構造が形成されていた。結果的に、声と部屋の共鳴音は繰り返し繰り返し録音再生され、特定の周波数が強調されつつ、沈殿していく。
新作も朗読とテープフィードバック構造があるというシステムは同じだけど、対照的な目的を持つさくひんだった。新作は311の震災で亡くなった人の名前を、被災地の海岸の波の映像をバックにふたりで読み上げる作品だった。つまり、こちらは、固有名詞を蓄積していくわけだ。10分ほど聞いているうちになんとも切迫するものを感じる作品だった。
堀さんはこうした作品を、現代音楽とかそういうことはまったく考えずに発案したらしい。直接的あるいは間接的に影響があったかなかったか実際のところは不明だが、作家本人によれば、音楽がどうこうということよりも、「言葉の分解」というテーマが先行して発案されたものとのことだ。ただし、テープレコーダーは当時からごくごく普通に周囲にあったし、自身も演劇かパフォーマンスの演出で使っていたので馴染みがあったらしい。
*
ということで、以下のことにもっとも興味をひかれました。
1
1970年代に、ビデオやテープレコーダーを使うけれども、それは、音や音楽のためのメディアではなく、「手仕事ではない(とされていた)メディア」であるがゆえに意義あるタイプの作品があったこと
:つまり、それらを軽々に「サウンド・アート」呼んでもあまり意味のない「音を使う美術」があった、ということ
2
それらは、70年の万博以後にテクノロジーアートが失速した後、もの派の台頭とパラレルな現象として、「つくること」の問い直しが行われたから、登場した問題意識だったこと
:「もの派」は1970年代日本に特有の文脈としてデカイのだあ
3
そのような作品は、しかし、僕には、極めて「音楽的」に聞こえたこと
:典型的な70年代前半のミニマル・ミュージックに聞こえた。オープンリールテープレコーダーを用いたテープディレイあるいはフィードバックシステムは、アルヴィン・ルシエやブライアン・イーノやテリー・ライリーのシステムに似ている。音楽として面白いものは目指していなかったとは思うが、そのパフォーマンスが面白いものとなることは目指していただろうし、その際に参照枠となった聴覚的感性に、ミニマル・ミュージックを良しとする感性もあったのだろうなあ、と漠然と想像した。
2018-01-02
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