金子くんと畠中さんによる、日本美術における音を使う作品を発掘するプロジェクト。作家や関係者へのインタビュー、アーカイヴ調査、文献調査などを通じて、作品の再制作あるいは再演、展覧会を企画することで、日本美術における音の意義を検討する基盤を準備しようとする地道なプロジェクト。芸術における音の歴史を考えるうえで大変有益な仕事だ。こういう地道な基礎的な作業を蓄積することで、初めて、音を使う作品が、同時代の美術や音楽あるいは視覚文化や音響文化のなかでどのような位置を占めていたのか、ということを考えることができるのだから。
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ということで、三鷹のscoolに行きました。
http://scool.jp/event/20180107/
年配のひとが多かった。たぶん作家の知り合いが多かったのだと思う。進行は次の通りだった。
畠中実さんのお話
堀浩哉《Reading-Affair》(1977)
堀浩哉の新作《わたしは、だれ?ーー Reading-Affair 2018》(2018)
金子智太郎、畠中実、堀浩哉によるトーク
1998年におよそ20年ぶりに、堀さんは、「ユニット00」というグループ名でパフォーマンスを再開したらしいけど、そのメンバーは奥さんと畠中さんとの三人だったらしい。畠中さんの話に絡む彦坂尚嘉さんとのやり取りが面白かった。存命の作家に関する「歴史」の記述というのは全く大変だ。
旧作の再演のパフォーマーが一昨年刀根康尚について修士論文を書いて横国の修士を修了した馬場省吾(新方法の一員なので)で、久しぶりに会ったがあんまし変わりはなくて何よりだった。
パフォーマンスでは、聞いているだけではよく分からなかったのだけど、顔を白塗りにした男女のパフォーマーが、新聞の平仮名部分だけを(???)ゆっくりと読み上げているかのようだった。で、パフォーマーの前にはオープンリールテープレコーダーがあり、パフォーマーの声はそれに録音されてしばらくするとそこから再生されていた。つまり、テープディレイ効果が生じていて、もちろん、テープレコーダーから再生された音はまた録音される、というフィードバック構造が形成されていた。結果的に、声と部屋の共鳴音は繰り返し繰り返し録音再生され、特定の周波数が強調されつつ、沈殿していく。
新作も朗読とテープフィードバック構造があるというシステムは同じだけど、対照的な目的を持つさくひんだった。新作は311の震災で亡くなった人の名前を、被災地の海岸の波の映像をバックにふたりで読み上げる作品だった。つまり、こちらは、固有名詞を蓄積していくわけだ。10分ほど聞いているうちになんとも切迫するものを感じる作品だった。
堀さんはこうした作品を、現代音楽とかそういうことはまったく考えずに発案したらしい。直接的あるいは間接的に影響があったかなかったか実際のところは不明だが、作家本人によれば、音楽がどうこうということよりも、「言葉の分解」というテーマが先行して発案されたものとのことだ。ただし、テープレコーダーは当時からごくごく普通に周囲にあったし、自身も演劇かパフォーマンスの演出で使っていたので馴染みがあったらしい。
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ということで、以下のことにもっとも興味をひかれました。
1
1970年代に、ビデオやテープレコーダーを使うけれども、それは、音や音楽のためのメディアではなく、「手仕事ではない(とされていた)メディア」であるがゆえに意義あるタイプの作品があったこと
:つまり、それらを軽々に「サウンド・アート」呼んでもあまり意味のない「音を使う美術」があった、ということ
2
それらは、70年の万博以後にテクノロジーアートが失速した後、もの派の台頭とパラレルな現象として、「つくること」の問い直しが行われたから、登場した問題意識だったこと
:「もの派」は1970年代日本に特有の文脈としてデカイのだあ
3
そのような作品は、しかし、僕には、極めて「音楽的」に聞こえたこと
:典型的な70年代前半のミニマル・ミュージックに聞こえた。オープンリールテープレコーダーを用いたテープディレイあるいはフィードバックシステムは、アルヴィン・ルシエやブライアン・イーノやテリー・ライリーのシステムに似ている。音楽として面白いものは目指していなかったとは思うが、そのパフォーマンスが面白いものとなることは目指していただろうし、その際に参照枠となった聴覚的感性に、ミニマル・ミュージックを良しとする感性もあったのだろうなあ、と漠然と想像した。
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