ラジオを嫌う永井荷風
「梅雨があけて暑中になると、近鄰の家の戸障子が一斉に明け放されるせいでもあるか、他の時節には聞えなかった物音が俄に耳立ってきこえて来る。物音の中で最もわたくしを苦しめるものは、板塀一枚を隔てた鄰家のラディオである。 夕方少し涼しくなるのを待ち、燈下の机に向おうとすると、丁度その頃から亀裂の入ったような鋭い物音が湧起って、九時過ぎてからでなくては歇まない。此の物音の中でも、殊に甚しくわたくしを苦しめるものは九州弁の政談、浪花節、それから学生の演劇に類似した朗読に洋楽を取り交ぜたものである。ラディオばかりでは物足らないと見えて、昼夜時間をかまわず蓄音機で流行唄を鳴し立てる家もある。ラディオの物音を避けるために、わたくしは毎年夏になると夕飯もそこそこに、或時は夕飯も外で食うように、六時を合図にして家を出ることにしている。ラディオは家を出れば聞えないというわけではない。道端の人家や商店からは一段烈しい響が放たれているのであるが、電車や自動車の響と混淆して、市街一般の騒音となって聞えるので、書斎に孤坐している時にくらべると、歩いている時の方が却て気にならず、余程楽である。 「失踪」の草稿は梅雨があけると共にラディオに妨げられ、中絶してからもう十日あまりになった。どうやら其まま感興も消え失せてしまいそうである。」(『濹東綺譚』(永井 荷風 著)より)
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永井荷風の『濹東綺譚』読了。山田風太郎の不戦日記に名前が出てきたので読んでみた。そういえば永井荷風は、初めて。永井荷風の名文とか名作とか言われているようだが、60手前のオッサンが20代半ばの女性を買って、それを〈情緒あふれる色恋沙汰もどき〉として描いている男性至上主義の気持ち悪いお話だなあ、と思った。
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