2022-07-29

メモ:佐藤秀峰『漫画貧乏』

 

ある道で生きていくために自分でやり方を模索する人、というのは偉いな、と思った。

研究と大学教員で生きているわけだが、どうやって稼ぐかとか考えないもんな。給与生活者として生きているつもりになっている。

2022-07-25

Google日本語入力の「手書き入力」「文字パレット機能」が終了していた…!

一年ほど前に、Google日本語入力の「手書き入力」「文字パレット機能」が終了していたことを知った…! 1,2年に一回くらい困る〜。

参考:Macで読みが分からない日本語を手書き入力する方法|スーログ https://blog.skeg.jp/archives/2016/11/mac-handwriting.html

2022-07-20

メモ:スプートニク1号 1957年10月5日から7日までの音


「この動画は、田崎浩氏(JA1AHP)が1957年10月にソ連が打ち上げた「人類最初の人工衛星」スプートニク1号からの信号を自作の真空管式受信機で受信し、さらにオープンリールテープに録音することに成功しました。浩氏が2019年10月に亡くなり、遺品整理の中で息子の田崎豊氏(JR1LZK)が2020年6月にこれらを発見、FMぱるるんにてオープンリールテープからの音声データのmp3化を実現し、さらに豊氏が動画にして受信音の聞き方や、同時に発見された読売新聞の地方版記事や写真などを合わせて紹介したものです。」

2022-07-12

2022年7月12日メモ:妻木良三「はじまりの風景」@和歌山県立近代美術館

https://www.momaw.jp/exhibit/2022_summer12/

画家は、ずっと、波、雲、海岸、砂漠、山岳地帯、内臓などを想起させる柔らかな視覚的イメージを鉛筆で描き続けている人。展示会場には、画家が普段自宅近くの湯浅の海や川でなどで拾った貝殻やら化石やらウニの殻やらも展示されている。他に、丸や襞など同じようなモチーフを描いた所蔵品も展示されている。朝イチで行ったので、一人きりでじっくり見ることができた。

雲や砂漠〈のように見える〉が、現実世界に存在する具体的な事物を描いている訳ではないので、この鉛筆画はあくまでも抽象画。なのだけど、ゆっくり見ていると、人間は言語的論理ではなくこういう視覚的論理に支配されている瞬間も確かにあるよなあ、と感じたりする。こんなふうに心がゾワワと蠢いたりするよね、と感じる。つまり、とても具体的な心の動きのようなものを描いているように見える瞬間もある。
ともあれ、これは何よりも、視覚的快楽を喚起する絵画の展覧会だった。

視覚的だし触覚的だけど聴覚的じゃない、と感じた、たぶんモノクロだからではないか、と思う。抽象画は(カンディンスキー、ミロ、クレー、ポロックなど)視覚と聴覚をつなぐシナステジアな感性と親和性が高いけど、ここでは、視覚は聴覚よりも触覚と一緒に作用しているように感じられる。
「粘菌っぽさ」をあまり感じなかったな。個々の細部が蠢くというより全体的なイメージの統合性の方が重要だから、かな? でも、こういう絵画は細部を見ることこそが面白い。こちらの襞とあちらの襞は盛り上がり方がどう違うか、とかを観察することこそが面白い。

ウニの殻がこんなに綺麗だとは知りませんでした。自然は存外規則正しい。
デカいのが一番気持ち良かったです。《境現の襞III》(2006)って作品。
このひとは僧侶なのだけど、どんな顔して檀家に話をしているのだろう。


2022-07-11

メモ:ネトフリで映画『砂の器』(1974)

和歌山往復の電車内で見た。

松本清張の原作は1960年に読売新聞夕刊に連載されたもの。ダラダラしたエピソードや余計な登場人物が多かったのは、新聞連載だったからだろう。とはいえ、原作は〈前衛音楽界のスターである作曲家和賀英良が最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉というお話なので、戦後日本に登場した先行世代を徹底的に批判する「ヌーヴォー・ロマン・グループ」なる新進気鋭の若き芸術家集団の描写があったり、具体音楽に関する諸井誠の解説が挟まれたり、可聴域外の音に関する音響工学的な説明が挟まれたり、登場人物の一人による前衛音楽評論などがあり、元現代音楽研究者としては興味津々。
対して、映画は1974(昭和49)年公開で、舞台は1971(昭和46)年に変更。仁義なき戦いとか犬神家の一族とかと同時代の松竹映画。原作のダラダラした枝葉の展開をスッキリ削除し、父と息子(作曲家の和賀)のお話に仕立てていた。
例えば、原作にあったいくつかの展開は一瞬で解決していた――カメダは人名か地名かとか、電車からちぎり捨てられたシャツを線路沿線を歩いて見つけ出すとか、紙吹雪の女のエッセイの書き手とか、その女性の素性とか――。主人公の刑事(丹波哲郎)の家族の描写もなかった)。
何より、「ヌーヴォー・ロマン・グループ」は登場せず、原作では犯人かもしれない人物として描写されていた評論家も登場せず。なので、(原作のネタバレになってしまうが)〈評論家の愛人を超音波で流産させて死に至らしめる完全犯罪〉といったいくつかのエピソードはバッサリ削除されていた。代わりにこの部分は、作曲家(和賀)が、大臣の娘と結婚するために自分の愛人と別れる、という描写になっていた(その後、その愛人は流産して死んでしまうのだが、殺されたという描写はなかった。なんだったんだろう、あのエピソードは…)。1970年の大阪万博が何か関係するのかもとも思ったが、とくになし。和賀の作る音楽は具体音楽でも電子音楽でもなく、ピアノとオーケストラの調性音楽。Wikipediaによると後に夭折した菅野光亮という人物の作曲作品(菅野光亮 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%85%89%E4%BA%AE)。
原作よりはかなりスッキリした物語になっていたが、元現代音楽研究者としてそそられるポイントは減っていたし、話の展開に無理が残っているし、モノローグの説明で物語が進むところも多く、なんか変な映画だなあ、と思って見ていた。が、この映画は名作扱いされることが多い(→これとか:砂の器 | 松竹映画100年の100選 https://movies.shochiku.co.jp/100th/sunanotsuwa/)。そんなに良い映画だとはあまり思わないが、この映画の後半の展開は確かにスゴい。こういうのは他の映画ではあまり見た記憶がない。
映画の後半のいわゆる解決編では、主人公の刑事はおっさんばかりの捜査会議で、作曲家和賀英良が犯人であることを、ハンセン病の父親と放浪してきた子供時代から説き起こして、丹波哲郎のあの顔と声でひたすらモノローグで説明する。そこで、後半の映像は、〈おっさんばかりの捜査会議で犯人の動機などを説明する映像〉と〈新作《宿命》をコンサートで初演する和賀〉と〈ハンセン病の父親と各地を放浪したり巡査に保護されたり父親と別れさせられたり出奔したりする子供時代の和賀〉とのカットバックになり、つまりその3つの映像が交互に続くのだが、それがなんと30分以上続く。すごい。
ひたすら続く説明調のモノローグや誰のものとも分からない説明的な回想シーンは、それだけ見ていると退屈な映画的語法でしかないと思う。しかしこの映画では、このカットバックはいつまで続くのだろうと思っているうちに、ふとある可能性に気づき、驚愕し始めたのだが、まさにそのように進行して、驚愕した。つまり、この長いカットバックを見ているうちに、このカットバックは和賀英良の新曲《ピアノと管弦楽のための組曲 宿命》の演奏が終わるまで続くのではないか、と気づき、そして本当に最後まで演奏し終えて、そして映画も終わるのだ。原作とは違うやり方で、この映画もまた音楽が(影の?)主人公となる驚きの音楽映画だったのだ。


戦後日本ではなく1970年代の日本の情景は素敵だった。蒲田あたりの路駐の多さとか、秋田に出張した際に瓜を食べながら寺の門に種を吐き出すシーンとか、良い。そういや、原作では「砂の器」って題名の説明はなかったが、映画では少しだけあった。というか、原作には題名の説明がなかったことに気づいた。なぜ息子が母親と一緒に過ごさなかったのかは、原作でも映画でも不明なまま。
主人公の刑事(丹波哲郎)の後輩の名前は「吉村弘」という。原作では「おお、〈前衛音楽界のスターが最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉、のお話に、80年代日本における環境音楽からサウンド・アートへと至る重要な音楽家吉村弘が出てくるなんて」と思っていた。特に何の意味もないので、どうでもいいといえばどうでもいいけど。

2022-07-07

Finished my presentation about Brian Eno and Kankyō Ongaku at IASPM 2022: 発表終えました

 (日本語は下にあります)

I did my presentation at my home in Yokohama, Japan, during IASPM 2022 in Daegu, Korea (which will continue until the 9th Saturday). Thank you to the audience and the panelists (Kai Khiun Liew & Tzang Merwyn Tong, Dong Jin Shin, and Xiaodan Zhang). I have changed the title to "How Brian Eno's ambient music has become known in 1980s Japan?" from the submitted title "How Kankyō Ongaku has been popularized in 1980s Japan? Or was it popularized in 1980s Japan?." As you know, things change after a few years pass.
I aimed to examine the relationship between the adoption of Brian Eno and the birth of Kankyō Ongaku in the 1970s and 1980s in Japan. But what I could do eventually is to examine some examples of adoption of Eno in "Rock Magazine" curated by AGI Yuzuru and "Bijutsu Techou." Further research is needed.
I was lucky that I could know some interesting figures other panelists picked up. I have learned about stimulative musicians such as Chris Ho, Lee Hee-moon, and other Chinese musicians. Moreover, I could renew my self-awareness that I am benefitting by belonging to the marginal of this association for the Study of Popular Music. It makes little sense to be unable to be there and talk with others in person for an international conference, but this is my little takeaway.
I will continue to be involved in this conference as an opportunity to consider the composer YOSHIMURA Hiroshi and Sound Culture in 1980s Japan. To find a researcher who shares my research interest (the popularization of contemporary music) is my task for the future.
Best Regards.

This is the slide of my presentation: 2022 _IASPM_Kankyō Ongaku_slides_220705

NAKAGAWA Katsushi (Yokohama National University)

今も韓国で開催中のIASPM2022のSession 4-4 Individual Papers: Styles and Crossoverで、"How Brian Eno's ambient music has become known in 1980s Japan?"というタイトルで発表しました。聞いてくれた方、同じパネルの方、ありがとうございました。IASPM自体は土曜まで続きます。韓国の国際学会の発表に横浜の自宅から参加しているので、午前中にいくつかの発表を聞いて質問したりもして、発表前に昼ごはん食べながら家族と保険の話をした後に発表をして、次のセッションは聞けずにオンライン会議に二つ参加し、そして娘の保育園にお迎えに行く、という感じ。なんだかよく分からない。
最初に申し込んだタイトルは"How Kankyō Ongaku has been popularized in 1980s Japan? Or was it popularized in 1980s Japan? "でしたが、準備不足と焦点の変化で、ずいぶんと変更しました。〈1980年前後におけるブライアン・イーノの受容と同時代のKankyō Ongakuとの関係性を探る〉という野望を掲げて、しかし実際には、『Rock Magazine』や『美術手帖』におけるブライアン・イーノへの言及を紹介した、という発表になりました。今後の大いなる研鑽が必須。動物豆知識botさんのnoteに負けないしっかりした調査を蓄積せねば(環境音楽の再発見・目次/バレアリック、アンビエント、シティ・ポップ、細野晴臣、グライム、ニューエイジ、環境音楽|動物豆知識bot|note https://note.com/ykic/n/nd7d514f8d8d9)。
同じパネルの人が僕に負けず劣らず、なかなかにマイナーな対象を取り上げていて、逆に面白かったです。みんなそれを分かっているからか、パネリスト同士での質疑応答が活発で良かった。あと、おかげさまで、ポピュラー音楽学会で(も)marginalに所属していることによって、自分は利益を得ている、という自己認識を新たにしました。吉村弘と1980年代日本の音響文化のことを考えるための良い機会として、今後もIAPMSなどに参加していくつもりです。よろしくお願いします。僕と感心を共有するマイノリティをこの学会のなかで探すことが今後の課題です。
とりあえず打ち上げしたいとか思っているうちに、あっという間に、横浜の自宅の日常に戻ってしまった。オンライン学会って…。

2022-07-06

メモ:松本清張『砂の器』

〈戦後日本前衛作曲界のヒーローが最新の作曲技法を駆使して完全犯罪?!〉みたいな内容だと聞き、また、これまで何度も映像化されている傑作だと聞き、遅まきながら初めて読んだ。ホントにその通りの内容だったことに驚き。ただし、要所要所で驚きのご都合主義的展開で飽き飽きしたので、映画やドラマはかなり脚色されてるのではないかと想像。ネトフリにあるので近日中にチェック。
戦後すぐの文化風俗のちょっとした描写は、新鮮だった。帰りの遅い夫のために作った夕食は、冷蔵庫ではなく棚に入れておく、とか。みんなすぐにどこでもタバコを吸うとか。東京から中国地方への出張って、36時間以上かかったんだな、など。今だとブラジル行くみたいな感じ? だとすると、この時代の洋行に権威があったのも当然。

しかしまあ、けっこう、「評論家」がつまらない存在として馬鹿にされてるなあ。評論家って、こんなにしょうもないのかなあ。