Googleドライブへの移行中、何かネタはないかと思って、デュフレンヌ『眼と耳 見えるものと聞こえるものの現象学』をしっかり読んでみて、疲れた。
基本的には、楽譜に書かれた西洋芸術音楽だけを「音楽」ととらえる知性が、音楽と絵画との「結合」や「親近性」について考察する際にどのような思考を行うか、という事例。スターンが揶揄しつつきれいにまとめてくれた視聴覚連騰の典型的な事例のひとつ。
「レコード」とか「録音」のことをほぼ考えていない。だからこそ逆に、この議論は〈レコード音楽とは、それ以前の音楽とは異なる新しい芸術である〉という理解に基づいて「それ以前の音楽」についてだけ考察する議論だ、と見える瞬間もあるかもしれない。しかし、だとしても、そこで考察される「音楽」は「エクリチュールとしての西洋芸術音楽」でしかないので、やはりキツイ。書かれない音楽もたくさんあるのに。
この議論が、どのような理解に対して有効な知見を供するのか、分からない。なぜ、1991年に訳出されたのだろう? 1950年代とか1960年代とかなら分からなくもないのだが。
さて、どう使おう。
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