2017-06-03
2017-06-01
メモ_岡崎峻「二重記述へのステップ──デヴィッド・ダンの《樹の中の光の音》における科学的視座の役割」(2017)
岡崎峻 2017 「二重記述へのステップ──デヴィッド・ダンの《樹の中の光の音》における科学的視座の役割」 『表象』11:216-230。
デヴィッド・ダンについて考究する論文を読んだ(この号の『表象』の書評は豪華絢爛な執筆陣とレトリックだったので、ついつい「考究」なんて熟語を使ってしまった)。論文の本筋はあまり理解してないかもしれないけど(申し訳ない)、僕にとって、いくつかの思考の種となる良い論文でした。
1.
90年代以前と以降のデヴィッド・ダンの活動の関係が分かって、勉強になった。デヴィッド・ダンの活動の多くの点がベイトソンに導かれていたことを考えると科学的視座を導入したことは不思議ではないが、僕は、90年代以降のデヴィッド・ダンのそういう活動の意義をあまり理解していなかったので、勉強になった。
とはいえ、論文の本筋はあまり理解できていないと思う。90年代以降のデヴィッド・ダンは、ベイトソン的な「二重記述」を実践的に応用するために、「科学的視座」を導入した、ということらしい。かな? たぶん。
ということかな?
要約してみて、なんとテキトーな要約なんだろう、と反省した。誰か僕のこの要約を修正してください。
2.
論文の本筋からは離れるが、「ケージ以降の音響芸術(のひとつの発展的展開としてのデヴィッド・ダン)」という位置付けについて、さほど議論がないまま前提とされていることが、感慨深かった。このことに反対というわけではなく、デヴィッド・ダンによるケージ批判(あるいは相対化)とかダグラス・カーンによるケージ批判(あるいは相対化)が言及されている学術論文を読んだことが、僕にとって、感慨深かった。そりゃ確かに、どちらも1993年の『Music Today』18号に日本語で述べられていることなのだから、「音響芸術」という言い方の歴史性に関心を持つ僕の問題意識は古いのだろうけど。でも、言及されているのをほとんど見たことがない論点なので。
3.
これも論文の本筋からは離れるが、ダンの作品の美的面白さを記述することの難しさ、を感じた。この論文にとってデヴィッド・ダンの作品の面白さの説明は二の次だけど、デヴィッド・ダンの作品が美的に面白いからこそ、デヴィッド・ダンの作品における科学的視座の役割について論じる意義はあるのだから、デヴィッド・ダンの作品の面白さについて語る必要はあるはずだと思う。なんなら〈デヴィッド・ダンの作品の音響現象を録音したレコード音楽の面白さ〉について語ることも可能だと思うのだが、どうだろう。今度日文研の音耳班の研究会で会ったら質問してみよう。
4.
さらに、これも議論の本筋とは関係ないのだが、デヴィッド・ダンという芸術家の活動を、ケージ的な実験音楽以外の文脈、たとえばMAKEとかの文脈に関連付けると面白そうだ。このことについては、僕は今はまだとくに何のアイデアもないけど。
5.
この号の『表象』に掲載されている平倉さんの論文、あまりちゃんと読んでないけど、(僕にとって)珍しい方法論でピカソにアプローチしていて面白いなあ、と思いました。この内容で美術史学会で発表してみて欲しい(そしてどんな反応が返ってくるのかを教えて欲しい)。
あと、書評が豪華だった。で、「論述の価値がその形式に多くを負っていること」(蓮實重彦、p.271)というのはまさにその通りだと思うので、僕はやはり、レトリックに依存する文章というのは、良く言えば苦手だ。まだるっこしい。
なので、東浩紀(お会いしたこと無いので敬称略しておきます)の書評が抜きん出てスゴイなあ、と思いました。
デヴィッド・ダンについて考究する論文を読んだ(この号の『表象』の書評は豪華絢爛な執筆陣とレトリックだったので、ついつい「考究」なんて熟語を使ってしまった)。論文の本筋はあまり理解してないかもしれないけど(申し訳ない)、僕にとって、いくつかの思考の種となる良い論文でした。
1.
90年代以前と以降のデヴィッド・ダンの活動の関係が分かって、勉強になった。デヴィッド・ダンの活動の多くの点がベイトソンに導かれていたことを考えると科学的視座を導入したことは不思議ではないが、僕は、90年代以降のデヴィッド・ダンのそういう活動の意義をあまり理解していなかったので、勉強になった。
とはいえ、論文の本筋はあまり理解できていないと思う。90年代以降のデヴィッド・ダンは、ベイトソン的な「二重記述」を実践的に応用するために、「科学的視座」を導入した、ということらしい。かな? たぶん。
[超テキトーなまとめ:あんまし信用しないでください。誰か修正してください。]
(デヴィッド・ダンの作品は、ある意味、〈自然を理解する〉行為のデモンストレーションだが)自然を理解するために、知覚を通じた自然理解だけに依拠するのではなく、生物学的な自然理解だけに依拠するのでもなく、それらのいくつかの経路をともに作動させる、ということをデヴィッド・ダンは行った。その際に科学的視座は役立った。
ということかな?
要約してみて、なんとテキトーな要約なんだろう、と反省した。誰か僕のこの要約を修正してください。
2.
論文の本筋からは離れるが、「ケージ以降の音響芸術(のひとつの発展的展開としてのデヴィッド・ダン)」という位置付けについて、さほど議論がないまま前提とされていることが、感慨深かった。このことに反対というわけではなく、デヴィッド・ダンによるケージ批判(あるいは相対化)とかダグラス・カーンによるケージ批判(あるいは相対化)が言及されている学術論文を読んだことが、僕にとって、感慨深かった。そりゃ確かに、どちらも1993年の『Music Today』18号に日本語で述べられていることなのだから、「音響芸術」という言い方の歴史性に関心を持つ僕の問題意識は古いのだろうけど。でも、言及されているのをほとんど見たことがない論点なので。
3.
これも論文の本筋からは離れるが、ダンの作品の美的面白さを記述することの難しさ、を感じた。この論文にとってデヴィッド・ダンの作品の面白さの説明は二の次だけど、デヴィッド・ダンの作品が美的に面白いからこそ、デヴィッド・ダンの作品における科学的視座の役割について論じる意義はあるのだから、デヴィッド・ダンの作品の面白さについて語る必要はあるはずだと思う。なんなら〈デヴィッド・ダンの作品の音響現象を録音したレコード音楽の面白さ〉について語ることも可能だと思うのだが、どうだろう。今度日文研の音耳班の研究会で会ったら質問してみよう。
4.
さらに、これも議論の本筋とは関係ないのだが、デヴィッド・ダンという芸術家の活動を、ケージ的な実験音楽以外の文脈、たとえばMAKEとかの文脈に関連付けると面白そうだ。このことについては、僕は今はまだとくに何のアイデアもないけど。
5.
この号の『表象』に掲載されている平倉さんの論文、あまりちゃんと読んでないけど、(僕にとって)珍しい方法論でピカソにアプローチしていて面白いなあ、と思いました。この内容で美術史学会で発表してみて欲しい(そしてどんな反応が返ってくるのかを教えて欲しい)。
あと、書評が豪華だった。で、「論述の価値がその形式に多くを負っていること」(蓮實重彦、p.271)というのはまさにその通りだと思うので、僕はやはり、レトリックに依存する文章というのは、良く言えば苦手だ。まだるっこしい。
なので、東浩紀(お会いしたこと無いので敬称略しておきます)の書評が抜きん出てスゴイなあ、と思いました。
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2017-05-28
映画研究部顧問として映画を見た今年の感想(2017年度)
今年も見ました。毎年ドキドキさせやがるぜ。でも今年はこれまでより分かりやすかったな。
https://twitter.com/ynueiken
参考:I am alive.: 2016年5月:映画研究部顧問として映画を見た今年の感想
◯今年見た映画たち
鈴木瑛介『映画研究部殺人事件』
鈴木正樹『雨のち晴れ』
佐藤大悟『駅で待つ』
来年度からはデータで欲しいです。DVD-Rだとデータを読み込めないことが多いので。
◯鈴木瑛介『映画研究部殺人事件』
編集でカットがちゃんとつなげられていて、話の流れが理解できた。切り返しとかクローズアップとか中景と遠景とか。2つの場面で同時進行している事柄を同時に描写する、とか。クロスカッティングとかカットバックとかフラッシュバックってやつ。安心して物語内容に集中できたのって、実は初めてではないだろうか。
杉浦経済大学映画研究部で人が自殺していて警察も自殺と断定したけど、映画部の友だちは納得しなかったらしく、映画部の友だちが探偵部に依頼して捜査してもらったらしい。物語は仏教の貪欲がどうしたこうしたの教えをめぐる謎解きが進み、チョー意外な犯人が明らかになった。
そんで最後のセリフが「皮肉にもこのあたりには桜が咲くらしい」だった。
(隣で妻が「最後はダジャレ?」と呟いたので、僕も気づいた。)
映画研究会の部室のシーンを撮影している時、たぶん他の部屋でドラムを叩いているやつがいたのだろうけど、明らかに「効果音じゃないドラムセットの音」が入り込んでいて、なんとかならんかったんか?と思いました。
あと、探偵部の部室にあった小道具の本は、辞書とか何かの専門書のつもりなのかもしれないけど、捜査の過程でそういう専門書を机の上に広げる必然性はあまり無かったはずなので、あれはなんだったんだろうなあ、と思いました。
あと、映画部の部室には『戦場のピアニスト』のポスターが貼られていたけど、物語と何の関係があったんだ?
あと、学生映画って、俳優が難しいね。
そういうことを思いました。
◯鈴木正樹『雨のち晴れ』
完全に自己を告白することは難しい云々という芥川龍之介の言葉が冒頭に登場
男友達二人が遊んでブラブラしている時に、その男二人を撮影するのではなく、その男二人が歩いている公園あたりの植物たちを撮影するというのは、なかなか、ニュー・アメリカン・シネマ(アメリカン・ニュー・シネマじゃなくて、前衛映画のほうのアレ)のようだった。
なんでこの男二人と女一人は、こんなに簡単に旅行に出かけるのだろう?
ところで、何を一年待つんだ?
◯佐藤大悟『駅で待つ』
never young beach《駅で待つ》が好きらしく、この歌詞を映像化したかったようだ。
タバコを吸いたいので駅の待合室の外でタバコを吸うけれど、人を待っているので、寒い駅の待合室のドアを空けたままにしている若い男は、ガールフレンドが駅に着いたら、待合室のドアを閉めずに、彼女と一緒に車に乗ってごはんを食べに行き、ご飯を食べながらタバコを吸いそうになったり、ガールフレンドと手をつなぎそうになったりする。
という映像でした。
公共の場のドアはきちんと閉めろ、ってのと、飯食う場所でタバコ吸うな、ってのと、他人が作ったものに100%乗っかるな、ってのを思いました。
なんで、いつの時代も「シティポップス」ってあるんだ?
(そんで、なんで、どれも同じにしか聞こえないんだ? 僕が悪いのか?)
https://twitter.com/ynueiken
参考:I am alive.: 2016年5月:映画研究部顧問として映画を見た今年の感想
◯今年見た映画たち
鈴木瑛介『映画研究部殺人事件』
鈴木正樹『雨のち晴れ』
佐藤大悟『駅で待つ』
来年度からはデータで欲しいです。DVD-Rだとデータを読み込めないことが多いので。
◯鈴木瑛介『映画研究部殺人事件』
編集でカットがちゃんとつなげられていて、話の流れが理解できた。切り返しとかクローズアップとか中景と遠景とか。2つの場面で同時進行している事柄を同時に描写する、とか。クロスカッティングとかカットバックとかフラッシュバックってやつ。安心して物語内容に集中できたのって、実は初めてではないだろうか。
杉浦経済大学映画研究部で人が自殺していて警察も自殺と断定したけど、映画部の友だちは納得しなかったらしく、映画部の友だちが探偵部に依頼して捜査してもらったらしい。物語は仏教の貪欲がどうしたこうしたの教えをめぐる謎解きが進み、チョー意外な犯人が明らかになった。
そんで最後のセリフが「皮肉にもこのあたりには桜が咲くらしい」だった。
(隣で妻が「最後はダジャレ?」と呟いたので、僕も気づいた。)
映画研究会の部室のシーンを撮影している時、たぶん他の部屋でドラムを叩いているやつがいたのだろうけど、明らかに「効果音じゃないドラムセットの音」が入り込んでいて、なんとかならんかったんか?と思いました。
あと、探偵部の部室にあった小道具の本は、辞書とか何かの専門書のつもりなのかもしれないけど、捜査の過程でそういう専門書を机の上に広げる必然性はあまり無かったはずなので、あれはなんだったんだろうなあ、と思いました。
あと、映画部の部室には『戦場のピアニスト』のポスターが貼られていたけど、物語と何の関係があったんだ?
あと、学生映画って、俳優が難しいね。
そういうことを思いました。
◯鈴木正樹『雨のち晴れ』
完全に自己を告白することは難しい云々という芥川龍之介の言葉が冒頭に登場
男友達二人が遊んでブラブラしている時に、その男二人を撮影するのではなく、その男二人が歩いている公園あたりの植物たちを撮影するというのは、なかなか、ニュー・アメリカン・シネマ(アメリカン・ニュー・シネマじゃなくて、前衛映画のほうのアレ)のようだった。
なんでこの男二人と女一人は、こんなに簡単に旅行に出かけるのだろう?
ところで、何を一年待つんだ?
◯佐藤大悟『駅で待つ』
never young beach《駅で待つ》が好きらしく、この歌詞を映像化したかったようだ。
タバコを吸いたいので駅の待合室の外でタバコを吸うけれど、人を待っているので、寒い駅の待合室のドアを空けたままにしている若い男は、ガールフレンドが駅に着いたら、待合室のドアを閉めずに、彼女と一緒に車に乗ってごはんを食べに行き、ご飯を食べながらタバコを吸いそうになったり、ガールフレンドと手をつなぎそうになったりする。
という映像でした。
公共の場のドアはきちんと閉めろ、ってのと、飯食う場所でタバコ吸うな、ってのと、他人が作ったものに100%乗っかるな、ってのを思いました。
なんで、いつの時代も「シティポップス」ってあるんだ?
(そんで、なんで、どれも同じにしか聞こえないんだ? 僕が悪いのか?)
2017-05-03
国立国会図書館デジタルコレクションで『美術手帖』や『音楽芸術』の目次を確認する方法
葛西さんに教わった。
1946〜1998年の『音楽芸術』と1948〜2000年の『美術手帖』は、国会図書館のデジタルコレクションに入っている。
目次だけなら自宅で見られる。
詳細検索から目次検索もできる。
館内なら記事も読める。
他の雑誌調査にも活用すべし!
[例]
美術手帖の目次で「音」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「音楽」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「サウンド」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「楽器」という文字が記載されている記事の検索結果
[目次を見る方法]
国立国会図書館デジタルコレクションの検索ページから「美術手帖」と検索すると、各号へのリンクなどが出てくる。館内ならそのまま本文を読める!
↓
「美術手帖 : monthly art magazine 【全号まとめ】 国立国会図書館限定 雑誌 (美術出版社, 1948) 」
↓
各号をクリックした後、「目次・巻号」をクリックすると目次一覧が出てくる。
「書誌情報」タブをクリックし、「詳細情報を表示」すると、テキストとしてコピペできる形で目次一覧が出てくる。
[目次検索する方法]
国立国会図書館デジタルコレクションの詳細検索のページから検索する。
・「公開範囲」は「国立国会図書館内限定」のみ
・「資料群」は「雑誌」のみ
・「タイトル」に「美術手帖」あるいは「音楽芸術」と記入
・「目次」に、検索したいキーワード(音、音楽、サウンド、楽器など)を記入
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1946〜1998年の『音楽芸術』と1948〜2000年の『美術手帖』は、国会図書館のデジタルコレクションに入っている。
目次だけなら自宅で見られる。
詳細検索から目次検索もできる。
館内なら記事も読める。
他の雑誌調査にも活用すべし!
[例]
美術手帖の目次で「音」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「音楽」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「サウンド」という文字が記載されている記事の検索結果
美術手帖の目次で「楽器」という文字が記載されている記事の検索結果
[目次を見る方法]
国立国会図書館デジタルコレクションの検索ページから「美術手帖」と検索すると、各号へのリンクなどが出てくる。館内ならそのまま本文を読める!
↓
「美術手帖 : monthly art magazine 【全号まとめ】 国立国会図書館限定 雑誌 (美術出版社, 1948) 」
↓
各号をクリックした後、「目次・巻号」をクリックすると目次一覧が出てくる。
「書誌情報」タブをクリックし、「詳細情報を表示」すると、テキストとしてコピペできる形で目次一覧が出てくる。
[目次検索する方法]
国立国会図書館デジタルコレクションの詳細検索のページから検索する。
・「公開範囲」は「国立国会図書館内限定」のみ
・「資料群」は「雑誌」のみ
・「タイトル」に「美術手帖」あるいは「音楽芸術」と記入
・「目次」に、検索したいキーワード(音、音楽、サウンド、楽器など)を記入
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2017-05-02
メモ:打口时代(dakou generation)
Wang, Jing. 2012. Making and Unmaking of Freedom: Sound, Affect and Beijing. Ph.D dissertation. Ohio University. →PDF
を読んでいる。
このなかで、中国のサウンド・アートを概観するためにその源流として5つ(underground rock music culture, Yao Dajunin and the art of sound, the year 2003, live festivals and concerts after 2003, sound art in galleries and in the city)あげていて、そのうちの1つである中国のアンダーグラウンド音楽に言及するために中国のロックに言及している。
そこでdakou generation(打口时代)というものを学んだ。
*
中華人民共和国のロックの歴史を考えるなら、dakoku generation(打口时代)というものがあるらしい。
dakoku CDというのはCDに穴を開けて商品として通用しなくした廃棄品なのだが、これが80年代後半から中国で流通し始め、大きな影響を与えたらしい。
打口CDで画像検索したら、こういうのが出てきた。
Amazonのマーケットプレイスで中古で買うと、よく、プラスチックケースに一部を割ってあるものが送られてくるけど、それとは違って、CDメディアそのものに穴が開けられている。
(ってことは、〈アルバム全曲を聞く〉のではないやり方でアルバムが聞かれていたわけだ。面白えなあ。)
参考:
Kloet, Jeroen de. 2005. "Popular Music and Youth in Urban China: The Dakou Generation." The China Quarterly, 183: 609-626.
Cut-out (recording industry) - Wikipedia
中国ロック30年~若者の音楽はいま|特集ダイジェスト|NHK キャッチ!世界のトップニュース
を読んでいる。
このなかで、中国のサウンド・アートを概観するためにその源流として5つ(underground rock music culture, Yao Dajunin and the art of sound, the year 2003, live festivals and concerts after 2003, sound art in galleries and in the city)あげていて、そのうちの1つである中国のアンダーグラウンド音楽に言及するために中国のロックに言及している。
そこでdakou generation(打口时代)というものを学んだ。
*
中華人民共和国のロックの歴史を考えるなら、dakoku generation(打口时代)というものがあるらしい。
dakoku CDというのはCDに穴を開けて商品として通用しなくした廃棄品なのだが、これが80年代後半から中国で流通し始め、大きな影響を与えたらしい。
打口CDで画像検索したら、こういうのが出てきた。
Amazonのマーケットプレイスで中古で買うと、よく、プラスチックケースに一部を割ってあるものが送られてくるけど、それとは違って、CDメディアそのものに穴が開けられている。
(ってことは、〈アルバム全曲を聞く〉のではないやり方でアルバムが聞かれていたわけだ。面白えなあ。)
参考:
Kloet, Jeroen de. 2005. "Popular Music and Youth in Urban China: The Dakou Generation." The China Quarterly, 183: 609-626.
Cut-out (recording industry) - Wikipedia
中国ロック30年~若者の音楽はいま|特集ダイジェスト|NHK キャッチ!世界のトップニュース
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