本人のウェブサイト:David Dunn - MUSIC, LANGUAGE, AND ENVIRONMENT
こういうのがあった。ACOUSTIC ECOLOGY | David Dunn:どうやらEARTH | EARというサイト(「サウンドスケープ・アート」のレーベル?団体?)のスピン・オフらしい。
参考:武満徹(監修) アルク出版企画(編) 1993 『MUSIC TODAY 特集 サウンド・アート』 第19号(1993) 東京:リブロポート社。
→日本語で「デビッド・ダン」と検索
すると結構出てくる。けっこう来日してるし知られているのだろう。
金子智太郎くんの論文が公けになることが待たれるところだ。
金子智太郎さんの学会発表を聞いて考えたこと - 耳の枠はずし
生存のエシックスレポート: メンバーリサーチ / デヴィッド・ダン
生存のエシックスレポート: 7月11日、デビッド・ダンによるマイク制作ワークショップ
Mind in Sound 生態系を聴取する - 環境にむかうサウンド・アート《三菱地所アルティアム》
アリの巣、木の樹皮の音…天神で環境音を聞くサウンドアート展 - 天神経済新聞
ICC ONLINE | アーカイヴ | 2007年 | サイレント・ダイアローグ──見えないコミュニケーション | 関連イヴェント
01 サウンド・アート ── 変わりつつある聴覚
diskunion: DAVID DUNN / デヴィッド・ダン / AUTONOMOUS AND DYNAMICAL SYSTEMS
→ちなみに
デヴィッド・ダン 1993 「生物と対話する音 音楽のジレンマを超えて」 柿沼敏江(訳) 『MUSIC TODAY 特集 サウンド・アート』 第19号(1993) 東京:リブロポート社:68-73。
の冒頭段落の文章は、
Dunn, David. 1997. “Nature, Sound Art and the Sacred.” (firstly appeared in: 1997. TERRA NOVA, Nature & Culture. 2.3. MA: MIT Press; in: Rothenberg and Ulvaeus 2001.) Rothenberg and Ulvaeus 2001: 95-107.(Index of Writings: "Nature, Sound Art and the Sacred (1997)")
とほぼ同じ。
博士論文ではその部分を次のように訳した。
「音楽を解放するためには作曲のリソースとしてあらゆる音響を使うことが必要だ述べる時、不幸にもケージもまた、音楽と呼ばれる一連の文化的コードに規定され操作される、脱文脈化された物資(commodity)としての『音響』を探求する先例を打ち立てていた。このイデオロジカルなスタンスは、結果的に、トートロジカルなゲームを作動させることになった。つまり『音楽』の拡大は、その音楽という文化的な枠組みの中に新しい現象を徴用する(commandeer)だけの加算プロセスと同じものなのだ。このプロセスに並行して、恐らくは深遠な問いかけがなされていた。こうした音響生成活動(sound-making activities)は音楽なのか? という問いである。この表面的には些細な問いかけの下には、音楽の地位を獲得することだけが意味ある言説を形成するのだ、という気がかりな(disturbing)前提がある。」
ただし、後者の文章では
「芸術ジャンルとしての環境音楽とサウンド・アートを登場させることになった様々な活動の複合体は、その一部はこのジレンマに対する応答である。…」と続くが、この部分は前者にはない。
→
本人はハリー・パーチ・アンサンブル出身。
David Dunn (New Kithara I, Surrofate Kithara)らしい。
→
別人のサッカー選手
→
別人の歌手
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿