WWIとIIの間のヨーロッパ→アメリカへの移動の事例、1920年代の抽象映画の展開としての「音楽の視覚化」を志向する映像作家の事例、等々。
「フィルムへの手描きは写真や絵画的伝統との断絶をもたらした云々」という言い方は、「まあそうかな」とも思うが「そうか?」とも思う。
→
最初のフィルムへの手描きアニメーション作品
A Colour Box (1935)
あるいは
KALEIDOSCOPE (1935)
→
Len Lye - Wikipedia, the free encyclopedia
Len Lye : Rhythms - SHE Ye,Ye Records
The Wire: Adventures In Sound And Music: Article:なんだ、この音?
-----------------------------------
→
その後の展開
◯手描きフィルムと、現実の映像との融合
Trade Tatto (1937)
→
さらにそれ以降のもの
◯色彩やフィルムへのダイレクト・ペインティングではないもの
Rhythm (1953), 1min.
:フォード社の向上での流れ作業を、無数のジャンプカットでつないだ一分間の映像。
:なんだかPhil Niblockの映像っぽい。
◯フィルムへのダイレクト・ペインティングを洗練させたもの
FREE RADICALS (1958)
:「プリミティヴなリズム」にあわせて黒い背景に白い破線や曲線が脈動している。
:音声に応じて映像が反応するプログラムを組むとこういう映像は自動的に生成できるわけだけど、それは、何年くらいから可能になったのか? という疑問を抱かせる。実際にそういうテクノロジーが登場する以前から、人は、「音声に応じて視覚的なものがグニャグニャ動くと楽しかろう」と思っていたことの証拠である。
→
posted at 15:21:05
0 件のコメント:
コメントを投稿