大江健三郎が「ダンテの生涯や思想をめぐる研究書を読むというのが日常のルーティンをなしていた」のは、そういうこともあるだろうと思うが、そのダンテの著作のみならず、研究書の主題や内容や解釈さえも、小説世界のなかに取り込むことに驚くなど。これが純文学の力か。
台湾に行けなくなったことに適応しようとしていた時期、僕はこのような「物語」を必要としていたのだと思う。ドラマティックに登場人物たちが動き回る物語ではなく、個々の登場人物の内的必然がしっかりと納得される形で少しずつ蓄積されていく過程を描写するこの小説を、毎日少しずつ、とても新鮮な気持ちで読んでいた。
「生きてゆくうえでの危機は、いったん乗り越えてしまえば痛みと同じく思い出すのさえ難しい、したがって自殺ということは決してすすめられない」(593、あとがき)
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2021年4月8日
そしてWZ Editor for MACを入手して、過去の色々なメモを見直す機会を得て、以下のメモを発見して驚いた。全く読んだ記憶がなかった…!
..20040327:大江健三郎『懐かしい年への手紙』
『万延元年のフットボール』をはじめとする自分の過去の作品とその執筆背景への言及をはじめ、「自伝的要素」が、『万延元年のフットボール』の様々なモチーフや物語進行の「変奏」やダンテの『新曲』の種々の解釈ともに、一つの物語として、クライマックスに向かっていく。時間軸をわざと交錯させつつ、重層的に物語を書き上げるその手腕だけでも十分興味深い。
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