2024-09-17

メモ:ポール.J・シルヴィア『できる研究者の論文作成メソッド』

 

三年前に読んで衝撃を受けたポール.J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』の続編、『できる研究者の論文作成メソッド』を読む。

ここまで論文作成の具体的プロセスが実践的に説明されると、「IF係数の高い雑誌に掲載する論文作成」が至上命題になっていない領域の研究者(≒人文学の研究者)には、参考にならないことが多い。でも、この本も勇気づけられる本だった。

共著論文というのは人文系はあまり多くないが、僕は今、編著を作成しているので、色々と学ぶアドバイスは多かった。共著作成時にはメールを使うべきではない、と断言できるのは、羨ましい。原著は2015年出版で翻訳は2016年出版だが、僕の周りではいまだにメールしか使わない人も多い。書籍の分担執筆や百科事典項目や書評は「やめておいた方がよい執筆」(227-)だというのは、分野が違うから、だろうか。「本」は研究成果発表の場所としてまだ大切な気がする。(でも、そういや、ここ数年でものすごく増えてきた無茶苦茶ページ数の多いhandbookの類は、こういう「やめておいた方がよい執筆」なのかもしれない。あるいは、若手研究者のとりあえずの発表場所、みたいな感じもするが。)

書く理由は色々ある:「学ぶために書く」、自分の考えを発見するための方策として書く、という人もいる(4)

インパクトのある論文を書くとは「その分野で交わされる会話の内容に変化をもたらそうと努力をすること」(8)

経験を積んだ研究者であれば、投稿前の段階で再投稿の計画を立てている。(29)

学習をめぐって、僕が頭の中で考えているモデルは、情報化時代の教員としては少々風変わりかもしれない。そう、本を読むべし。(31)

ライティングの本を読むことについて:年に一冊以上は読むこと(39)

共著について:書きかけの断片についてフィードバックを求めないこと、電子メールで行わないこと、一人が下書きを全て書いてみること、コメントはオプトイン制にすること(締め切りを設定して締め切りまで返信がなければ承諾したとみなすこと)

うまくいかない時は、「最初のステップは、金輪際、厄介な研究者と一緒に共著論文を書いたりしないと誓うこと」「原稿の完成に向けて粘り強い督促作業を開始」すること、「厄介な共著者に降りてもらうよう打診すること」など

「研究者たるもの、作品一本ではなく、一連の作品群の展開を目指すべきだ」(217)

「書き終えたばかりの論文がとんでもない難産で、論文など金輪際書けそうにないという気分でいるとしても、とりあえず落ち着こう。大丈夫、書ける。」(232)

「僕らは、自分の自由になる部分などほとんどないという事態を受け入れたうえで、自分の自由になる部分、つまり自分自身の行動という部分をコントロールする必要がある。執筆にあてる時間帯を選択し、その時間が来たら机に向かって執筆を開始し、その時間が終わったら執筆をやめる。執筆をスケジュールに組み込むことは、「文章をたくさん書く人が、どうやって文章をたくさん書いているか」そのものだ。」(233)

「まずは試してみよう。週4-6時間を執筆に充てるところから始めるのがよいと思う。」(233)


「推薦の言葉」より

「ものごとをロジカルに考える習慣が身についているはずの研究者なのに、彼ら彼女らの多くが「塵も積もれば山となる」をいまだに実感していないのは驚くべきことである。」(iv)


参考:

I am alive.: メモ:ポール.J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』 https://after34.blogspot.com/2021/07/j.html


2024-09-03

研究会のお知らせ: ベンジャミン・ピケット「トランスレーション:ヘンリー・カウ、ロック、インプロヴィゼーション、実験音楽、サウンドアートの発展史 」

240906付記:

(*写真は一番無難そうなのを選んだつもりですが、何か問題あればすぐ削除しますので、どうぞお知らせください。)

当日は盛況に終わりました。そういや、こういう特別講義のイベントのレポートって、どんな形で残せば良いのだろう。芸大の優秀なスタッフのおかげで映像記録はあるのだけど、テキストで残すことを考えていなかった…! でもまあ、講演用原稿とかは公開するものじゃないし、こういう講演があったことそれ自体が今後につながるのだ、と考えておけば良いのかもしれない。

Benjamin Piekutさんのお話は、前半はHenry Cowの話で、後半は最近行なっているsound art研究の話ですた。前半で、rockの実践において焦点がthe soundに変わっていったという話が印象深く、後半は、最近行なっているsound art研究におけるpractices, concepts, categoriesの話(とJing Wang, Half Sound, Half Philosophyの話)が面白かったです。来場者のほとんどはHenry Cowに関心があったのだと思うけど、僕は、sound art研究のアプローチの仕方に感心しました。あと、僕のサウンド・アート研究のアプローチをやたら褒めてくれていて、大変気分が良かったです。Benさんのsound art研究、きっちり論文化されることを期待。2,3年以内に書くみたいなことを言っていたので、期待!

特別講義の後、講義のあった階の上階で20人ほどでアフターパーティーがありました。色々なタイプの人と話して面白かったです。最後、(講演で出てきたHenry CowのDelugeではなく)Talking HeadsのPsycho Killerで、みんな踊ってた(Henry CowのTim Hodgkinsonさんも)ことをご報告しておきます。

とりあえず、作ったけど半分以上見せなかったので、せっかくなので、中川の5分トークスライド(実際は10分ほど話してしまった)を公開しておきます(これは別に秘匿しておくべきというほどのものではないので):中川_5_minutes_talk_at_Benさんイベント_ver1_240830.pdf

これだけ見てもよく分からないと思うけど、まあ、「お焚き上げ」ってやつです。)
(この文章を書いていて初めて気づいたけど、「トランスーション」となっている! 8月後半の準備中からさっきまで、全く気づいていなかった!!! せっかくなので、このままにしておこう。)


定員に達したので締め切りました(8月18日)。ご予約いただいた方、ありがとうございました。ストリーミング配信などは検討中の未定です。


研究会のお知らせです。

来月9月3日(火)に東京芸大上野キャンパスで、『ヘンリーカウ:世界とは問題である』(月曜社刊、2023年)の著者ベンジャミン・ピケット氏(コーネル大学音楽学部教授)による特別講義が行われます。1960年代以降の様々な音楽文化(ヘンリー・カウ、ロック、インプロヴィゼンーション、実験音楽、サウンドアートなど)の流動的諸関係についてお話ししていただけると思います(中川の予想です)。
逐次通訳あり。興味のある方はどなたでも参加できます。ぜひお越しください。定員40名なので事前登録が必要です。詳細はリンク先をご覧ください。

特別講義: ベンジャミン・ピケット「トランスーション:ヘンリー・カウ、ロック、インプロヴィゼンーション、実験音楽、サウンドアートの発展史 」 | 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻 http://ga.geidai.ac.jp/2024/08/13/benjamin-piekut/



ピケット氏は1960年代以降のいわば音楽文化のエコシステム全体を研究している人です。日本ではもちろん『ヘンリーカウ:世界とは問題である』の著者として知られていますが、最初の著書ではいわゆるケージ的な実験音楽周辺の諸々を扱ったり、ジョージ・E・ルイスとともに即興演奏に関する論文集を編集したり、なぜか、Henry Flyntのインタビュー動画が蓄積されているYouTubeチャンネルを持っていたりします。その関心の一環として、近年ピケット氏はsound art(というコンセプトの出現した経緯)を調査しています。その点で中川と、「概念あるいはタームとしてのサウンド・アート」に対する関心を共有しているわけです。
講義には他にも、横川理彦さん(音楽家、After Dinnerなどに参加)も登壇されます。
よろしくお願いします。

参考:Special Talk: Professor Benjamin Piekut | 東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻 http://ga.geidai.ac.jp/en/2024/08/13/benjamin-piekut/

2024-08-22

トークイベントの登壇のお知らせ:8/22 横浜サウンドスケープトークセッション 〜川崎義博・Marcos Fernandes・岩崎佐和・中川克志・中野圭とともに〜【オンライン視聴あり】

来週22日(木)の夜、トークイベント「8/22 横浜サウンドスケープトークセッション 〜川崎義博・Marcos Fernandes・岩崎佐和・中川克志・中野圭とともに〜【オンライン視聴あり】」に登壇します。あまり把握していませんが、どうやら、12月頃のYPAMに「横浜市内でサウンドスケープと身体を切り口とする公演を企画してエントリーする方向で調整中」とのこと。

中川は「サウンド・アートとかサウンドスケープに関する話し方を刷新すべし!(いつまでも1990年代とか2000年代の話し方と変わり映えしないのは良くない!)」と訴えようかな、とか思いましたが、そういう話をする機会ではないかもしれない。だとすると、今年度も後期に試してみる「サウンドウォークする授業」の話をするのかな。

オンライン視聴あり。場所は関内さくら通りのシェアスペース「泰生ポーチフロント(横浜市中区相生町2)」。です。詳細はリンク先をご参照ください。

関連イベントもいっぱいありますね。どこかでお目にかかれたら幸いです。

よろしくお願いします。

https://www.facebook.com/events/1730259184215494/?ti=ls 

2024-08-15

メモ:「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という言葉

 「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という言葉は、ウォルター・ペイター「ジョルジョーネ派」という文章に出てくる。基本的にはルネサンスの画家について論じた文章だが、この言葉はなかなか使い勝手が良いので、元の文脈から離れていろいろ便利に使われる。僕も便利に使う。

この文章は白水社Uブックスのウォルター・ペイター『ルネサンス 美術と詩の研究』に収録されている。



のだが、2024年に、たぶん個人出版で、新訳が出ていた。岡崎俊介さんとは何者なのだろう?

Amazon.co.jp: ルネサンス : 芸術と詩の考察 eBook : ペイター, 岡崎俊介: Kindleストア



また、こちらと関係あるのかどうか分からないが、ウェブ上に翻訳が公開されていた。菊坂高踏さんとは何者なのだろう?
【翻訳】ウォルター・ペイター「ジョルジョーネ派」(『ルネサンス』第7章)

2024-07-02

非公開←「吉村弘再考:環境音楽とサウンド・アートの先駆者」を公開しておきます。

2025年8月29日:今年度の日本音楽学会第76回全国大会 の共同パネルで、この内容のようなことを発表することにしたので、非公開とします。今日から準備を始めるのですが、結果的に結構違うものとなったら、再公開します。

Audible Culture - 2024年7月吉村弘再考 

2023年の吉村弘の展覧会(「吉村弘 風景の音 音の風景」、神奈川県立近代美術館鎌倉別館、2023年4月29日から9月3日まで))に合わせて企画された書籍のために書いた文章を公開しておきます。

こちら、原稿は2023年1月10日に提出したのですが、書籍の企画がなくなってしまったので、お蔵入りとなっていました。

とはいえ、僕は是非とも最後の「近年のKankyō Ongaku再評価について一言」を述べておきたいので、編集者の手の入っていない文章なので雑なところもあるのですが、公開しておきます。どうぞご笑覧ください。

2024-06-10

メモ:映画『関心領域』(2024)

 Mark Isにできた新しい映画館で『関心領域』を見た。演出における音響効果の使用が多いとのことだったので、是非とも映画館で見なければと思ってみに行った。新しい映画館は座席からも音が再生されるらしく、それが良いか悪いかは映画によると思うけど、映画の音響効果の使い方の意図は分かりやすかった気がする。

物語としてはえらく単純で地味な筋で、「何も起こらない」と言っても過言ではないが、最後の現在と交錯する映像や画面全体が赤色に染まる演出などは面白かった。アニメーション映画『戦場でワルツを』(2008)の最後のシーンを思い出すなど。

このヘス所長の邸宅が収容所の隣にあったって、実話なの???

あと、あのリンゴの少女はなんだったんだろう?(→こういう記事が出てきたけど:実話だった!『関心領域』リンゴを置く少女の演出をネタバレありで考察 | タビシネマ

音響効果は、「普通なら消される背景音」が消去されずに残っていること、が面白かった。「普通なら消される背景音」が消去されずに残っているので、視聴者は少し違和感を感じるのだけど、その背景音は物語の筋とは無関係なので、視聴者も無視しながら聞くようになる(あるいは、違和感を感じつつ「とりあえず」は無視するようになる)、という仕掛けがポイントだった。

2024-06-09

メモ:松本清張『ゼロの焦点』


僕の指導学生じゃないけど大学院生が研究で扱ってるし、寝る前に読んでいると数分後に眠くなるのでちょうど良い寝る前読書として、読んだ。

東京から金沢まで夜行列車で一泊かかるとか、ところ構わずタバコを吸うとか、人とお話をするために旅館の部屋を借りるのが当たり前とか、色々な文化風俗が違うので、そういうのに引っかかりつつ読んだ。

『砂の器』でも思ったけど、設定に無理があるけれど叙述の蓄積でなんとなく不自然さが醸し出されないように物語を展開していくのが松本清張なんだなあ、と再認識。とはいえ、結構強引なお話ではあるよな、とは思う。偽名での二重生活のディティルの説明が怪しすぎないか。基本的には、主人公のモノローグあるいは思い込みに過ぎないことも多いわけで、だからといって、私小説的な技巧が凝らされているわけでもないし。

ともあれ、ここで描かれるのは、戦後13年の段階におけるパンパンへの同情的な視線、だった。ただし、パンパン全員ではなく、両家の生まれ育ちでやむを得ない事情でパンパンになったがそこからなんとか抜け出せた人限定、だった。


これを2020年代の日本で語り直すことの意味は何だろうか。1950年代後半の日本における女性表象の一事例、程度ではないのか? という疑問をメモしておこう。

2024-06-07

『週間読書人』に『コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて』の書評を書きました

 本日(2024年6月7日)発行の『週間読書人』に、豊田泰久(語り手)、林田直樹(聞き手)、潮博恵(解説)『コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて』(アルテスパブリッシング、2024年)(https://artespublishing.com/shop/books/86559-289-4/
)の書評を寄稿しました。僕のクラシック音楽への造詣はとても浅いですが、豊田泰久さんのお話は面白いです。『鳥になった少年』や『文化系のためのヒップホップ入門』のように面白い。石合力『響きをみがく――音響設計家 豊田泰久の仕事』(朝日新聞出版、2021年)も良かった。
週刊読書人 - 6月7日号、本日刷り上がりました! 巻頭特集:対談=宮﨑裕助・土田知則 <デリダとド・マンの「読むこと」を問う>... | Facebook https://www.facebook.com/dokushojin/posts/pfbid02ULfRgXNYTXj94tPrqp3mvyXpeoVe6CnMWdtoqSRbkqbLLh4aHdNZ892LHs2onXmgl