2014-07-31

2014-07-31-「情報と物質のあいだ」という副題のついた「マテリアライジング展」に行ってきました。暑かった。

「情報と物質のあいだ」という副題のついた「マテリアライジング展」に行ってきました。暑かった。
感想をまとめようとしているうちにまとまらなくなった。
申し訳ない。
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1.
マテリアライジングってことなので、3Dプリンターやらビッグデータやら遺伝子操作やらCADやらレーザープリンターやら新しいテクノロジーを使って「情報」を「物質」に変えたもの(=materialiseしたもの)が展示されていました。
「情報」とはたとえばある日の気温と湿度と風力などのことで、そうした「情報」を巨大3Dプリンターに入力し、人が入れるくらい大きな”壺のようなもの”が出力されていました。たとえば、1975年9月2日(僕が生まれた日)の温度変化は直径を、湿度変化は横の筋の太さを、風力は直円と比較した場合の歪み(なんかそんな感じのパラメーター)を決める、等々(正確にはなんか違ったかも)。そう決めることで、「僕の誕生日」という「情報」を「物質化したもの」が出力されていたわけです。
あるいは、分化した後の植物の細胞と未分化な植物の細胞とを併置する作品では、「分化の程度」という「情報」が「物質化」されていました(のだと思うけど、実はよく分からなかった…)。金魚を何代かかけあわせることでフナに戻そうとする作品(たぶん、そういう作品)は、金魚手ぬぐい愛好者として、感心をそそられました。この場合、「金魚が潜在的には持っている遺伝子情報」が「マテリアライジング」されているってことなのだろうと思いました(でも、これも間違えて理解してるかもしれない…)(だから例えば、イノマタさんは自分の髪の毛を犬に着せる作品を展示してないわけですな。当たり前ですが)。

2.
こうした作品群は、とりあえずは、珍しくて興味深いです。
ただ、技術の目新しさだけの作品だとたぶんすぐに飽きるのだろう、とも思いました。
技術も芸術も同根のもの――artのそもそもの意味は「技術」であるという意味で――なので技術が新しくなれば生み出される芸術が新しくなるのは当たり前のことだし、その「新しさ」は「面白さ」とあまり関係ないし。「芸術」じゃなくても「面白くて新しい技術」はたくさんあるので、もしこれらが「芸術」を名乗るのだとすれば、問われるべきはコンセプトのはず(とはいえ、これらの作品(?)多くは、実は、「芸術」を名乗るつもりはないのだろうとは思うけれど)。

3.
で、「情報」を「物質」化するという構造は「内容」を「形式」化するという構造に似ていて、「情報と物質(の対立がある)」とする問題の立て方はたぶん、「形式と内容(の対立がある)」とする古くからの美(学)的問題のヴァリエーションなのだろうと思います。
とすると、「情報」が「物質」化されること自体はアタリマエのことだし、「物質」化されたものこそが「情報」として認識されることもあるのだろうし、そこで使われる「技術」を「芸術」と呼ぶのだろうし――人間の感情など「内容」を言語という「形式」に変化させる行為が、弁論術という「技術」だったり、「詩」という「芸術」だったりするように――、それゆえつまり、「情報」が「物質」化されているだけの作品は、アタリマエなので、さして面白く無いです。
なので個々の作品(?)を見る時には、「技術の新しさ」の驚き以上に何か面白い部分がどれくらいあるだろうか、ということをポイントに見ていきました。
そしたら、けっこう楽しめたけど、三分の一くらいはコンセプトがよく分かりませんでした。これは「作品の狙い」が分かりにくいという以前に、僕の理解力が追いつかなかった、という点が大きいのでしょう。あと、大変申し訳ないけれど、暑さにやられた。
暑さに負けてしまった。

4.
なので乱暴にまとめると、「マテリアライジング展」は、暑かった
あと、コンセプトが難しくてよく分からないものがあり、よく分からないものは面白くなかった。
面白くない原因のたぶん半分以上は当然のことながら僕にあるのだけど、もっときっちりコンセプトが理解できると良かったなあ、と思いました。

5.
ところで、僕は「マテリアライジング展」には、「車輪の再発明」を見にいったのでした。城くんの a record without a prior acoustic informationがどの程度進化しているのかを見にいったわけです。紙とか木にレーザープリンターで、厳密に計算した形の溝を刻み、その紙や木の円盤をレコードプレイヤーで再生すると人工音を「再生」する、あの作品(?)を。機械的な音響生成メカニズムが「電子音」を再生するアレです。
で、アレは進化していて、今までは円盤一周分の溝しか作ることができなかったはずなのに、今や円盤数周分の溝を掘れるようになっていて、メロディが「再生」されるようになっていました。
立派なもんです。これを確認するのが今回の目的でした。

これは、IAMAS内部の(?)「車輪の再発明」というプロジェクトの産物で、このプロジェクトはどうやら、メディアとして出現しなかった技術の可能性を提示することで「ありえたかもしれない現在/未来」を出現させるプロジェクトみたいなので、当然、「ポール・デマリニス」とか「メディア考古学」とかいう言葉を思い出すわけです。そういう補助線がたくさんあるということもあって、「技術/メディア」という対立軸は、「情報と物質」というあやふやな二元論よりは文化的に理解しやすい明確な対立軸であるような気がするので、まあ、面白かったです。クワクボリョウタさんの、フェルメールを三原色で再現(?)する作品もステキだった。
今後も期待。

6.
ということで、まあ、僕は、コンセプトが明確な/分かりやすい作品が好きみたいなのだけど、ただ、そういうのとは別に、やっぱ、でかい3Dプリンターが、巨大でした。
すごかった。
この展示が終わった後、どこかに行き先が見つかると良いですね!

2014-07-19

毛利嘉孝『ストリートの思想 転換期の1990年代』(NHKブックス、2009年)

サウンドデモとか素人の乱とか小川てつオとかの活動を「ストリートの思想」と呼び、旧来の左翼はもちろんいわゆるロスジェネ論壇やゼロ年代批評論壇(オタク系)とも区別し、その歴史的系譜と社会的背景を、「日本における70年代、80年代、90年代」を「政治、文化、思想という三つの軸」で記述している(ここらへんの定義とか図式は序章で簡潔にまとめられている)。

横浜から和歌山に至る8時間でざらっと読んだけど、つまりは「大学あるいは在野の知識人/批評家/大学人」と「政治」との関与の仕方が変化してきた、という話なのだろうか。ある程度主導的だったのが、ニューアカやカルスタを経ることで、主導権が「知識人/批評家/大学人」以外の手に渡って行った、という話なのだろうか。

僕自身は、事態を打開するのは常に具体的な何かではないかと思うので、ここで言及される「ストリートの思想家たち」にはさして興味関心を覚えないし希望も見出せないし、単に「小粒」なだけなのではないかと思うのだが(偉そうだけど)。

僕はこの本を、80年代セゾン文化に対する評価のひとつとして、読み始めた。
85年のプラザ合意を経て86年にバブル景気が始まるらしいが、その頃から、セゾン系列の広告会社に入社した毛利には、セゾン文化は老化し始めたように見えたらしい(45)。その時期前後で80年代の様相はかなり異なるらしい。
また、1968年的な政治文化を引き継ぎつつそれを乗り越えようとして登場した文化のトライアングル構造ーーサブカルチュア、愚鈍な左翼、ポストモダニズムーーがバブル前に存在していた、と考えるらしい。すると、そうした80年代的な構造は、バブルの喧騒下で掻き消され、90年代の文化的状況に影響を与えるべく伏流した、といった時代認識になるらしい。

ともかく、本書はそうした「ストリートの思想」を系譜づけようとした本、らしい。
こういったタイプの、「 政治」と「批評」の絡み合った「思想」はあまり読み慣れていないし、正直、よく分からない。
「だから、要するに、ストリートの思想ってなんだよ?」と思ってしまうので、この本の良さを僕はきちんと読めていないと思う。「ストリートの実践」をあまり知らないし。

2014-07-06

エマニュエル・ユインと奥野美和@横浜赤レンガ3F

ユインのダンスは素晴らしかった。

空間がまったくの暗闇になって(隣のおっさんの腕時計の文字盤の明かりーー蓄光機能のあるやつーーがもう本当に嫌目障りになるくらい)、舞台でひとが動く様子が微かに感じられる、というダンス。

真っ暗闇になった後、瞼を閉じても開いても同じものしか見えなくなった後に、光の棒みたいなものが仄かに見えた瞬間、素晴らしかった。

それが時おり人の形になって動いたりする。また、舞台上でチェロ奏者が演奏する。

日常生活でひとが瞼の裏に感じる光の残響みたいなもの(あれ、何と呼ぶのだろう)を、目を開けたまま感じさせるダンスだった。

(という点は、スタン・ブラッケージの作品に似た点もあると言える。)


ところで、これは「ダンス」なのだろうか? つまり、別にこれを「ダンス」と呼ぶ必要はないし、「ダンス」ではない他のジャンルのことも併せて考えるとすると、これはそんなに「斬新」だろうか?

いやまあ、やっぱ、斬新か。つうかどっちでも良いか。ただ、なんつうか、ハイコンテクストだ。



奥野さんのは、蝋燭が燃え始めて気化する/液体化するまでを、身体動作と音楽と映像で提示しようとしたのだと思う。そのつながりがなんだか説明っぽすぎる気がした。

ただ、ダンスする身体にびっくりした。ダンスする奥野さんの身体や表情と、アフタートークの時の奥野さんの身体や表情が、まったく違って見えて、ダンサーとはすごいものだなあ、と思った。


2014-07-03

南田勝也『オルタナティヴロックの社会学』(花伝社、2014年)

「90年代のロック」は”波の音楽から渦の音楽に変化していった”という図式はあんまり分からないのだけど、でも、90年代以降のロックにおいて「黒人音楽と白人音楽の乖離」が顕在化することで「…九十年代以降の新しいロックは、追い込まれた白人青年たちが駆け込む場所として、彼らの共同体意識を確認する場所として、比較的規模の小さな音楽ジャンルとして内側に閉ざされていくのである。言い方を換えれば、ロックは、すべての若者を包摂する音楽という幻想が打ち砕かれたことによって、コアな白人青年の聴衆を獲得する形で再生したのだ。」(75)という図式はとても納得できた。
納得できたというか、正確には、自分が「90年代以降のロック」にあまり興味が無い理由を与えられたようで、満足した。
個々の事例を考えると、ペイヴメントは違うんじゃないか?とか色々思ったりもするのだが、でも、第2章は絶好の「現状を俯瞰するシェーマ」(94)だと思う。

僕は常々「ポピュラー音楽史を完結に概観できる簡便な日本語の教科書」がないことを嘆いているのだが、この第2章は必須の副読テキストにすべきだなあ、と思った。

ひとつ疑問がある。
合衆国では、こういう「ロックの歴史」は、今、どのように語られているのだろうか?(この言及があまりなかった気がする。)
オルタナティブロックの社会学
南田 勝也
4763406981

2014-06-29

フィリップ・K. ディック『死の迷路』

土曜日の午後にするには楽しい気分転換となる良い読書体験でした。
ディックの魅力は小道具の面白さ(何でも複製する変な動物とか)と登場人物のくだらなさ(ほとんどが反省も成長もしないダメ人間)と物語の筋のB級さ(伏線がきちんとすべて回収されないなど)であることを再確認できた。

山形浩生の訳者解説が痛快痛烈。
ネオ・プラトニズムの考え方として形相と質量の区別を簡単明快に説明した後。
「で、なぜそんな考え方をするのか、という疑問は当然おありだろう。平たく言ってしまえば、こういうことを考える連中が暇だからで、さらにこういうクソの役にもたたない妄想に日々ふけっているだけで飯が喰えるという、しあわせな階級の存在を許容できるほど、当時の(そして今の)社会が豊かだったからである。現実に生きるにあたって、こんな考え方をしてみたところでいささかも役にたつわけではない。それでもなお仔細を知りたい暇な方のために説明しようかとも思ったが、あいにく紙数が尽きた。」(訳者解説:303)

死の迷路 (創元推理文庫)
フィリップ・K. ディック 山形 浩生
4488696031

DVDで『アラバマ物語』(1962)

スタジオ授業関連で、公民権運動に関連する映画として、見た。
途中から面白かった。
前半ほとんど黒人が出てこないし、黒人メイドの描き方は黒人差別的だし、あれ?間違えたかな?と思ったけど、違った。

とはいえ、1962年制作なので、公民権運動真っ只中に作られた映画だと思うと、なかなかポリティカルに先鋭的な映画だったのだろう。
あと、これ、「子供の視点から見た大人の世界に対するノスタルジックな回想」という形なのだが、この視点が面白かった。今まで何本か見た「大人の視点」の公民権運動の映画と全然違って。
どんな時代でも世界は常にシンプルで驚きに満ちているみたいだ。

ただ、トムが可哀想すぎる。

Wikipedia - アラバマ物語
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%9E%E7%89%A9%E8%AA%9E


2014-06-26

悪魔のしるし@KAAT

ホントに公開ミーティングで、ホントに試演会で、ホントに本番に向けてあまり何も決まってないっぽかった。
キグチさんは愛されキャラのようだ。
そのことだけはよく分かった。


今日うだうだしていた様子を、10月の本番時には華麗に裏切ってくれるのだろう、きっと。
たぶん。
知らないけど。










2014-05-29

Huluで『マイケルムーア in アホでマヌケな大統領選』(2005)

マイケル・ムーア in アホでマヌケな大統領選 [DVD]
B000RG15LK
ブッシュ二期目の選挙の直前にユタ州の大学がマイケルムーアに講演を依頼したら、その是非を巡って、地域を巻き込んだ大騒動になった。そのドキュメンタリー。なので、マイケルムーアが監督したものじゃない。
賛成派と反対派のディスコミュニケーションが明確に記録されていて、良いドキュメンタリーだと思った。でも、ユタ州には行きたくない、と思った。

「自分は多数派だし正しいし寛容だ」と考える人間は恐ろしい。あと、自分の知性が不足している可能性を意識しない人間にはできるだけ近づかない方が良い。
と思った。

あと、これ、時期的に、僕が日赤病院からコトノウラリハビリセンターに移った時期の出来事なんだな。
ブッシュが再選したニュースに頭がクラクラしたことを思い出した。









2014-05-28

録画しておいた『ギターを持った渡り鳥』

初めて見たのであった。なんとまあ…。なんだこりゃあ。北海道は、日本のフロンティアなのか⁈
「弱いものいじめはやらねえ」ってかっこよく言い放った主人公が、すぐさま高利貸し的なやつの手先になってた。



2014-05-21

[宣伝]5/25(日)に下北沢の440というところでライブします。

Groupy Vol.5というイベントです。
出演は
*GROUP
*Phew
*三沢洋紀と岡林ロックンロールセンター
*DJ田我流

1830オープン、1900スタート。
三沢RRCの出番は最初。
マルコスさんと山田民族さんはお休みなので、久しぶりに中川がスネアドラム叩きます。
新鮮だなあ。

よろしくお願いします。

2014-05-18

DVDで『夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』(1967)

これも学部スタジオ授業の準備/課題の一環。
なので、あらすじやら何やらは学生の課題なので、省略。
「刑事物の王道」かと思いきや、エピソードの端々に、当時まだ熱々の黒人差別な描写が入り込んでいて、面白かった。
このことを具体的なエピソードを説明せずに「スリリングだった」とか、形容詞だけですます文章はダメだと思う(と、予め釘をさしておく)。

ひとつだけ。
南部の小さな町で、北部の黒人刑事が孤軍奮闘しつつ南部の警察署長と少しずつ分かり合っていく、という物語なのだから「大」捜査線ではないよなあ、と思いました。
あと、シドニー・ポワチエを認識しました。
夜の大捜査線 [DVD]
B004X3Z366

2014-05-04

DVDで『ヘルプ〜心がつなぐストーリー』(2011)

学部スタジオ授業の準備/課題の一環として見た。
"黒人音楽”をめぐる自分の先入観を明らかにすること、が目標の授業なので、あらすじやら何やらは学生の課題としたいので、省略。
最初、つまんなそうな話だなあ、と思いながら見てたのだが、ディティルが面白くて見入ってしまった。
やはりミシシッピは危ない町のようだ。でも今度は昼が多かった。女性も多かった。
「白人男性」って憎たらしいなあ。
最後の「単なる苦いハッピーエンドではない終わり方」には、少しホロリと来た。いやあ、おっさんになると涙もろくなるなあ。

◯ディティル
メイドに通う白人家庭の黒人用トイレは、庭などに設置される、とか。
カラフルな服装とか
教会の説教がノリノリのゴスペルになる描写とか
この頃のライフマガジンの表紙とか

ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜 - Wikipedia

ヘルプ 心がつなぐストーリー(ネタバレ)|三角絞めでつかまえて
:このレビュー、かなり詳しいな。ポイントを全て良い尽くしてる気もする。

ヘルプ~心がつなぐストーリー~ [DVD]
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2014-05-02

ジャックアンドベティで『チョコレートドーナツ(Any Day Now)』(2012)

5回通ったら一回無料のやつの期限が迫っていたので、何も知らないままこれに来たら、客席が三分の二ほど埋まっていた。
ゲイのカップルが、母親がクスリで捕まって行き場をなくしたダウン症の子どもを引き取って育てようとするが1979年のアメリカ合衆国の世間の眼はゲイには厳しく、果たして…!という映画だった。

暗かったなあ…。
なんであんなに人がいっぱいだったのか?
ラストのオチと、ドラッグクイーンが中途半端に歌手として成功しつつあるという話は、不要なんじゃなかろうか。

終わってから妻がため息ばかりついている。


https://www.facebook.com/katsushi.nakagawa.9/posts/10203458223633377?stream_ref=10

2014-04-30

福田裕大 2014 『シャルル・クロ 詩人にして科学者 ――詩・蓄音機・色彩写真』 東京:水声社。

ご恵投いただきました。ありがとう。
詩と蓄音機と色彩写真を作ろうとしていたシャルル・クロを研究した博士論文が緑の本になったわけですね。素晴らしい。少しは読んだことあるはずだけど、蓄音機に関する章、勉強になりそうだ。大学の図書館にも入れておきました(そういう技を覚えた)。
19世紀における技術とメディアの想像力の混淆を研究している福田くんは、この春に西大寺に引っ越し、4月から近畿大学に就職し、色々な点で俄然やる気に満ち溢れているそうです。
そんなわけで、そんな福田くんと、京都精華大学の谷口くんと、中川の三人は今、音響メディア論の本を作っています。
こちらは夏頃に出ます。よろしくお願いします(これも5年以上とりかかってるなあ)。


シャルル・クロ 詩人にして科学者―詩・蓄音機・色彩写真
福田 裕大
4801000347
福田裕大 2014 『シャルル・クロ 詩人にして科学者 ――詩・蓄音機・色彩写真』 東京:水声社。


2014-04-29

カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』

学部スタジオ授業の準備/課題の一環ではないけれど、学生にオススメしたことだし、久しぶりに読み返した。
普段あまり意識しない自分の処世術みたいなものの多くは、やっぱり、カート・ヴォネガットを読んで学んだものが多いなあ、と思いだした。
「なに一つなおざりにはすまい」(264)のくだりとか。

さて、誰か読んでくれるかな。

チャンピオンたちの朝食
カート ヴォネガット ジュニア 浅倉 久志
B00JFOF2S2


















「 五十歳の誕生日を目前に控えて、わたしは同国人のくだすいろいろのばかげた決定に、ますます腹が立ち、不可解でならなかった。そしてある日とつぜん、わたしは彼らを哀れに思うようになった。それほど不快きわまる行動をし、それほど不快きわまる結果を招くのが、彼らにどんなに悪気のない、自然なことであるかを、理解したからである。――つまり、彼らは物語の本の中で創作された人びとのように生きようと、ベストをつくしているのだ。なぜアメリカ人があんなにしょっちゅう、おたがいを銃で撃ち殺すのか、その理由はここにある――それは、短篇でも一冊の本でも、小説を終わらせるために便利な文学的手法の一つなのだ。
 なぜこんなに大ぜいのアメリカ人が、政府からまるで使い捨てのティッシュ・ペーパーのような扱いをされているのか? それは、小説家が作り物のお話の中でいつも端役をそんなふうに扱うからである。
 その他いろいろ。
 なにがアメリカをこんなに危険で不幸な国、実生活でなにもすることのない人びとの集まった国にしているか、いったんそれを理解したとき、わたしはストリーテリングを避けようと決心した。人生について書こう。どの人物にも、ほかの人物とまったくおなじ重要性を与えよう。どの事実にもおなじ重みを持たせよう。なに一つなおざりにはすまい。ほかの作家たちには、混沌の中に秩序を持ちこませておけ。わたしは逆に、秩序の中へ混沌を持ちこもう。自分ではそうしたと思う。
 もしすべての作家がそうしたなら、文学を職業としていない市民たちも、われわれをとりまく世界に秩序などないこと、むしろわれわれは混沌の要求するところに順応していかなければならないことを、理解するようになるだろう。
 混沌に順応することはむずかしいけれども、それはできる。このわたしが生きた証拠だ――やればできる。」(264-265)

2014-04-26

DVDで『ミシシッピー・バーニング』(1988)

ミシシッピー・バーニング [DVD]
B00I8GQB0Q
学部スタジオ授業の準備/課題の一環として見た。
"黒人音楽”をめぐる自分の先入観を明らかにすること、が目標の授業なので、あらすじやら何やらは学生の課題としたいので、省略。
面白かった。あと、確かに、よく燃えてた。あと、夜のシーンが多かった。

ジーン・ハックマンとウィレム・デフォーのどちらもかっこいい、というのが、この映画が面白いポイントなのだろう。
「片方は世間ずれしたおじさんで、もう片方は官僚から横滑りしてきた青二才、という(風に見える)”対照的な二人組”」なのだけど、どちらも「南部の黒人差別」を解決したいという点では一致していて、そのやり方がそれぞれ違う。で、どちらにもきっちりと見せ場がある(ジーン・ハックマンのほうが中心だけど)。人情派のジーン・ハックマンだけがかっこいいわけでもなくて、政府の後ろ盾とか権威とか使えるものはきっちり使いこなすウィレム・デフォーもかっこいい。

あと、1988年の映画だから1975年生まれの僕にとって見やすい、ってのがあるのかもしれない。分からないけど。
1964年の頃を描いた1988年の映画ってことは、今から50年前のことを描いた今から25年以上前の映画ってことで、1988年に僕は13歳だったけど、僕はこの映画を38才になって初めて見た。
ということは、今の中学生が20年後に、バブルの頃のことを描いた今年の映画を見るような感じだったのだろうか?
ややこしいな。

公民権運動まっただ中のお話で実話を元にしているけれど、固有名詞は「ミシシッピ」しか出てこないので、「いつのなんという事件」なのかは映画だけからは分からない。
隔離政策とか「黒人大学生の事件」とか、とくに説明もなく出てくるけど、説明不要な有名な出来事、と考えるべきなんだろう。

でも今どきはWikipedia見ると、ちょっとした説明はある
史実としては、FBIは何もしなかったとのこと。
そっちが事実なのかもしれない。
分からないけど。

黒人霊歌つうかゴスペルが、けっこう効果的に使われていたなあ。

2014-04-19

DVDでCharlemagne Palestineのドキュメンタリー『THE GOLDEN SOUND』(2013)

そういや僕は、シャルルマーニュ・パレスティン(Charlemagne Palestine)のことを詳しく知らなかった。ミニマル・ミュージックの世代の作曲家で今は西海岸でOther Mindを仕切っている音楽家、と、何となく把握しているつもりだったが、Other Mindを仕切っているのはチャールズ・アマーカニアン(Charles Amirkhanian)だった。ちゃんと把握していなかった。

昔の映像とか写真とかを映し出しながら彼の作品を再生し、時おり彼の半生を語る、みたいな内容だった。NY出身で、最初はNYUとかコロンビア大にいて抽象表現主義に関心があって、その後、ミニマル・ミュージックの作曲家とかスタン・ブラッケージとかスタン・ヴァンダーヴィークとか実験映像作家と知り合ったらしい。
DVDはそんなに面白いとも思えなかったのは僕が鈍いからかもしれないが、たぶん、全体的に何のDVDなのかよく分からないからだ。パレスティンを紹介するDVDなのだろうけど、誰に向けたDVDか分からない。受容できるのは、もうすでにパレスティンの面白さを認識している層だけではなかろうか。
聴くDVDとして使うのが良いと思った。

→付記:長めのライナーノートを読むと、このDVDがなぜ作られたか――基本的には監督が興味をもったから、らしい――が分かる。Ingram Marshallの文章があるので、パレスティンの略歴も分かる。つうか、読まないとよく分からん。ドキュメンタリー作品としてはつっこみが足りないと言わざるをえないが、まあ、いいか。この走り書きのメモでけっこうポイントをつかまえているような気がする。自分を褒めておきたい。

でも面白い場面もあった。
ピアノを二台を重ねて――地面にもう一台ピアノの共鳴体部分だけ置いて――鍵盤を連打して――パレスティンは昔フラメンコギターを学んでいたらしく、その発想に基いて作品を構想することが多いらしい。なので、鍵盤の連打、などを行うことが多いらしい――部屋の音鳴りを追究する作品の映像とか。
1975年の映像――運転中の車中からの映像でそれに合わせてパレスティンがなにか歌っていた――とかは、なんなのかさっぱり分からん。

あと、シャルルマーニュ・パレスティンはヌイグルミが大好きなことがわかった。いろんなヌイグルミを仕事部屋においてあるし、外出時にはヌイグルミを赤いスーツケースに詰めて持っていくし、演奏時には必ずヌイグルミをピアノの上などに置いておくようだ。
なかなかなサイコさんみたいだな。

Charlemagne Palestine, the Golden Sound by Anne Maregiano [DVD] Re:Voir - Art into Life:
Anne Maregiano "Charlemagne Palestine, The Golden Sound" DVD - オメガポイント:
これ、ReVoirから直接買ったのだけど、日本のお店から買っても値段はほとんど変わらないな。