2022-08-29

メモ:初めての実用検証記事?

ChromeOS Flexがほんとに仕事に使えるかどうかをチェックしようとした記事としては初めてかも? ハイレゾ再生できることを確認しただけだけど。
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【藤本健のDigital Audio Laboratory】動作サクサクでハイレゾ再生も!? 無料の「ChromeOS Flex」を試した-AV Watch https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1435400.html

2022-08-17

iMac (21.5-inch, Mid 2010)のChromeOS Flexのサポートは2024年まで

研究室のiMac (21.5 -inch, Mid 2010)は「機種 ID:iMac11,2」らしく、今はChromOS Flexをインストールして使っている。

iMac11,2におけるChromOS Flexの動作保証のサポート期限は2024年らしい。それ以降も使えなくなるとは書いていない。

Certified models list - ChromeOS Flex ヘルプ https://support.google.com/chromeosflex/answer/11513094#zippy=%2Capple

二年後までには、パソコン環境を良い感じに更新できていますように。

2022-08-05

メモ:Pierre Henryについて


Ubuwebにあった2007年のフランス語ドキュメンタリー(英語字幕あり)を見た。
(以下のリンク先の年代表記は間違えている:UbuWeb Film & Video: Pierre Henry - The Magic Sun (1966) https://ubu.com/film/henry_sounds.html / 「Pierre Henry - The Art of Sounds -1966 (UbuWeb) 」 / Twitter https://twitter.com/reaktorplayer/status/1547006565181374465?s=12&t=11ZEXrP2WN4Aqbqo6aqcGw)

今までPierre Henryの面白さはイマイチ分かっていなかったが、このドキュメンタリーを見てもやはりよく分からなかった。
自分が今までピエール・アンリにピンときていなかったのは、このひとの音がリズムにあっていないように聞こえるからだ、ということを再認識した。ドラムやリズムがはっきりとある音楽にミュジック・コンクレートなやり方で音を足す場合、このひとの付ける音はただのタイミング外れに聞こえるのだ。そのタイミングで音を入れる意図が僕にはよく分からないのだ。

*

で、Wikipediaを眺めていて知ったのだが、ピエール・アンリはスプーキー・トゥースというバンドと共作したことがあるらしい。で、そのアルバムはバンドにとって、なんかひどい問題だったらしい。ドキュメンタリーでは言及されてたかな? 気づかなかった。なかったかも。
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リドリーが1969年に
ハンブル・パイへ加入し、アルバム『セレモニー』(1969年12月)では代わりにアンディ・リーが加入した[2]。『セレモニー』の実験的な内容は賛否両論を受けた。このプロジェクトはゲイリー・ライトによって持ち込まれたものだったが[5]、このアルバムが彼のバンドとしてのキャリアに終止符を打ったと考えられている。このレコードは「ロック史における大失敗の1つ」であると別の人物は述べている[5]。ライトが説明しているように、「……私たちは自分たちのアルバムではなくプロジェクトを行ったんです。それはピエール・アンリという名前のフランスの電子音楽作曲家によるものでした。私たちは『これは私たちのアルバムではなく、彼のアルバムです。ミュージシャンとして演奏しているんです』としっかりレーベルに言ったのです。そしてアルバムが完成したとき、彼らは言いました。『いやいや、これは素晴らしい。君たちの次のアルバムとしてリリースするつもりだよ』。私たちは『そんなことはできません。それは『スプーキー・トゥー』の方向性とは合い入れないものですし、それは私たちのキャリアを台無しにするでしょう』と言いました。そして、まさにその通りのことが起こったのです」[6]。
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確かに、ピエール・アンリの音は不要に聞こえる…。そんなに悪いバンドじゃなさそうなのに。https://open.spotify.com/album/5NZmYochnO2fvif6LkCU10?si=eLtUESqESd-CrxhTCk1cVA

2022-08-04

メモ:林葵衣さん, Joyce Wieland, Vito Acconci

林葵衣さんに似た作家を知った。というか、林葵衣さんの元ネタ(?かもしれないもの?)を知った。
Joyce Wieland, O Canada, 1970: Art Canada Institute https://www.aci-iac.ca/art-books/joyce-wieland/key-works/o-canada/


おうちでアート#22 林葵衣による公開制作(2021年1月9日(土)開催) - YouTube


2022-07-29

メモ:佐藤秀峰『漫画貧乏』

 

ある道で生きていくために自分でやり方を模索する人、というのは偉いな、と思った。

研究と大学教員で生きているわけだが、どうやって稼ぐかとか考えないもんな。給与生活者として生きているつもりになっている。

2022-07-25

Google日本語入力の「手書き入力」「文字パレット機能」が終了していた…!

一年ほど前に、Google日本語入力の「手書き入力」「文字パレット機能」が終了していたことを知った…! 1,2年に一回くらい困る〜。

参考:Macで読みが分からない日本語を手書き入力する方法|スーログ https://blog.skeg.jp/archives/2016/11/mac-handwriting.html

2022-07-20

メモ:スプートニク1号 1957年10月5日から7日までの音


「この動画は、田崎浩氏(JA1AHP)が1957年10月にソ連が打ち上げた「人類最初の人工衛星」スプートニク1号からの信号を自作の真空管式受信機で受信し、さらにオープンリールテープに録音することに成功しました。浩氏が2019年10月に亡くなり、遺品整理の中で息子の田崎豊氏(JR1LZK)が2020年6月にこれらを発見、FMぱるるんにてオープンリールテープからの音声データのmp3化を実現し、さらに豊氏が動画にして受信音の聞き方や、同時に発見された読売新聞の地方版記事や写真などを合わせて紹介したものです。」

2022-07-12

2022年7月12日メモ:妻木良三「はじまりの風景」@和歌山県立近代美術館

https://www.momaw.jp/exhibit/2022_summer12/

画家は、ずっと、波、雲、海岸、砂漠、山岳地帯、内臓などを想起させる柔らかな視覚的イメージを鉛筆で描き続けている人。展示会場には、画家が普段自宅近くの湯浅の海や川でなどで拾った貝殻やら化石やらウニの殻やらも展示されている。他に、丸や襞など同じようなモチーフを描いた所蔵品も展示されている。朝イチで行ったので、一人きりでじっくり見ることができた。

雲や砂漠〈のように見える〉が、現実世界に存在する具体的な事物を描いている訳ではないので、この鉛筆画はあくまでも抽象画。なのだけど、ゆっくり見ていると、人間は言語的論理ではなくこういう視覚的論理に支配されている瞬間も確かにあるよなあ、と感じたりする。こんなふうに心がゾワワと蠢いたりするよね、と感じる。つまり、とても具体的な心の動きのようなものを描いているように見える瞬間もある。
ともあれ、これは何よりも、視覚的快楽を喚起する絵画の展覧会だった。

視覚的だし触覚的だけど聴覚的じゃない、と感じた、たぶんモノクロだからではないか、と思う。抽象画は(カンディンスキー、ミロ、クレー、ポロックなど)視覚と聴覚をつなぐシナステジアな感性と親和性が高いけど、ここでは、視覚は聴覚よりも触覚と一緒に作用しているように感じられる。
「粘菌っぽさ」をあまり感じなかったな。個々の細部が蠢くというより全体的なイメージの統合性の方が重要だから、かな? でも、こういう絵画は細部を見ることこそが面白い。こちらの襞とあちらの襞は盛り上がり方がどう違うか、とかを観察することこそが面白い。

ウニの殻がこんなに綺麗だとは知りませんでした。自然は存外規則正しい。
デカいのが一番気持ち良かったです。《境現の襞III》(2006)って作品。
このひとは僧侶なのだけど、どんな顔して檀家に話をしているのだろう。


2022-07-11

メモ:ネトフリで映画『砂の器』(1974)

和歌山往復の電車内で見た。

松本清張の原作は1960年に読売新聞夕刊に連載されたもの。ダラダラしたエピソードや余計な登場人物が多かったのは、新聞連載だったからだろう。とはいえ、原作は〈前衛音楽界のスターである作曲家和賀英良が最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉というお話なので、戦後日本に登場した先行世代を徹底的に批判する「ヌーヴォー・ロマン・グループ」なる新進気鋭の若き芸術家集団の描写があったり、具体音楽に関する諸井誠の解説が挟まれたり、可聴域外の音に関する音響工学的な説明が挟まれたり、登場人物の一人による前衛音楽評論などがあり、元現代音楽研究者としては興味津々。
対して、映画は1974(昭和49)年公開で、舞台は1971(昭和46)年に変更。仁義なき戦いとか犬神家の一族とかと同時代の松竹映画。原作のダラダラした枝葉の展開をスッキリ削除し、父と息子(作曲家の和賀)のお話に仕立てていた。
例えば、原作にあったいくつかの展開は一瞬で解決していた――カメダは人名か地名かとか、電車からちぎり捨てられたシャツを線路沿線を歩いて見つけ出すとか、紙吹雪の女のエッセイの書き手とか、その女性の素性とか――。主人公の刑事(丹波哲郎)の家族の描写もなかった)。
何より、「ヌーヴォー・ロマン・グループ」は登場せず、原作では犯人かもしれない人物として描写されていた評論家も登場せず。なので、(原作のネタバレになってしまうが)〈評論家の愛人を超音波で流産させて死に至らしめる完全犯罪〉といったいくつかのエピソードはバッサリ削除されていた。代わりにこの部分は、作曲家(和賀)が、大臣の娘と結婚するために自分の愛人と別れる、という描写になっていた(その後、その愛人は流産して死んでしまうのだが、殺されたという描写はなかった。なんだったんだろう、あのエピソードは…)。1970年の大阪万博が何か関係するのかもとも思ったが、とくになし。和賀の作る音楽は具体音楽でも電子音楽でもなく、ピアノとオーケストラの調性音楽。Wikipediaによると後に夭折した菅野光亮という人物の作曲作品(菅野光亮 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E5%85%89%E4%BA%AE)。
原作よりはかなりスッキリした物語になっていたが、元現代音楽研究者としてそそられるポイントは減っていたし、話の展開に無理が残っているし、モノローグの説明で物語が進むところも多く、なんか変な映画だなあ、と思って見ていた。が、この映画は名作扱いされることが多い(→これとか:砂の器 | 松竹映画100年の100選 https://movies.shochiku.co.jp/100th/sunanotsuwa/)。そんなに良い映画だとはあまり思わないが、この映画の後半の展開は確かにスゴい。こういうのは他の映画ではあまり見た記憶がない。
映画の後半のいわゆる解決編では、主人公の刑事はおっさんばかりの捜査会議で、作曲家和賀英良が犯人であることを、ハンセン病の父親と放浪してきた子供時代から説き起こして、丹波哲郎のあの顔と声でひたすらモノローグで説明する。そこで、後半の映像は、〈おっさんばかりの捜査会議で犯人の動機などを説明する映像〉と〈新作《宿命》をコンサートで初演する和賀〉と〈ハンセン病の父親と各地を放浪したり巡査に保護されたり父親と別れさせられたり出奔したりする子供時代の和賀〉とのカットバックになり、つまりその3つの映像が交互に続くのだが、それがなんと30分以上続く。すごい。
ひたすら続く説明調のモノローグや誰のものとも分からない説明的な回想シーンは、それだけ見ていると退屈な映画的語法でしかないと思う。しかしこの映画では、このカットバックはいつまで続くのだろうと思っているうちに、ふとある可能性に気づき、驚愕し始めたのだが、まさにそのように進行して、驚愕した。つまり、この長いカットバックを見ているうちに、このカットバックは和賀英良の新曲《ピアノと管弦楽のための組曲 宿命》の演奏が終わるまで続くのではないか、と気づき、そして本当に最後まで演奏し終えて、そして映画も終わるのだ。原作とは違うやり方で、この映画もまた音楽が(影の?)主人公となる驚きの音楽映画だったのだ。

*

戦後日本ではなく1970年代の日本の情景は素敵だった。蒲田あたりの路駐の多さとか、秋田に出張した際に瓜を食べながら寺の門に種を吐き出すシーンとか、良い。そういや、原作では「砂の器」って題名の説明はなかったが、映画では少しだけあった。というか、原作には題名の説明がなかったことに気づいた。なぜ息子が母親と一緒に過ごさなかったのかは、原作でも映画でも不明なまま。
主人公の刑事(丹波哲郎)の後輩の名前は「吉村弘」という。原作では「おお、〈前衛音楽界のスターが最先端の作曲技法を駆使して完全犯罪〉、のお話に、80年代日本における環境音楽からサウンド・アートへと至る重要な音楽家吉村弘が出てくるなんて」と思っていた。特に何の意味もないので、どうでもいいといえばどうでもいいけど。

2022-07-07

Finished my presentation about Brian Eno and Kankyō Ongaku at IASPM 2022: 発表終えました

 (日本語は下にあります)

I did my presentation at my home in Yokohama, Japan, during IASPM 2022 in Daegu, Korea (which will continue until the 9th Saturday). Thank you to the audience and the panelists (Kai Khiun Liew & Tzang Merwyn Tong, Dong Jin Shin, and Xiaodan Zhang). I have changed the title to "How Brian Eno's ambient music has become known in 1980s Japan?" from the submitted title "How Kankyō Ongaku has been popularized in 1980s Japan? Or was it popularized in 1980s Japan?." As you know, things change after a few years pass.
I aimed to examine the relationship between the adoption of Brian Eno and the birth of Kankyō Ongaku in the 1970s and 1980s in Japan. But what I could do eventually is to examine some examples of adoption of Eno in "Rock Magazine" curated by AGI Yuzuru and "Bijutsu Techou." Further research is needed.
I was lucky that I could know some interesting figures other panelists picked up. I have learned about stimulative musicians such as Chris Ho, Lee Hee-moon, and other Chinese musicians. Moreover, I could renew my self-awareness that I am benefitting by belonging to the marginal of this association for the Study of Popular Music. It makes little sense to be unable to be there and talk with others in person for an international conference, but this is my little takeaway.
I will continue to be involved in this conference as an opportunity to consider the composer YOSHIMURA Hiroshi and Sound Culture in 1980s Japan. To find a researcher who shares my research interest (the popularization of contemporary music) is my task for the future.
Best Regards.

This is the slide of my presentation: 2022 _IASPM_Kankyō Ongaku_slides_220705

NAKAGAWA Katsushi (Yokohama National University)

今も韓国で開催中のIASPM2022のSession 4-4 Individual Papers: Styles and Crossoverで、"How Brian Eno's ambient music has become known in 1980s Japan?"というタイトルで発表しました。聞いてくれた方、同じパネルの方、ありがとうございました。IASPM自体は土曜まで続きます。韓国の国際学会の発表に横浜の自宅から参加しているので、午前中にいくつかの発表を聞いて質問したりもして、発表前に昼ごはん食べながら家族と保険の話をした後に発表をして、次のセッションは聞けずにオンライン会議に二つ参加し、そして娘の保育園にお迎えに行く、という感じ。なんだかよく分からない。
最初に申し込んだタイトルは"How Kankyō Ongaku has been popularized in 1980s Japan? Or was it popularized in 1980s Japan? "でしたが、準備不足と焦点の変化で、ずいぶんと変更しました。〈1980年前後におけるブライアン・イーノの受容と同時代のKankyō Ongakuとの関係性を探る〉という野望を掲げて、しかし実際には、『Rock Magazine』や『美術手帖』におけるブライアン・イーノへの言及を紹介した、という発表になりました。今後の大いなる研鑽が必須。動物豆知識botさんのnoteに負けないしっかりした調査を蓄積せねば(環境音楽の再発見・目次/バレアリック、アンビエント、シティ・ポップ、細野晴臣、グライム、ニューエイジ、環境音楽|動物豆知識bot|note https://note.com/ykic/n/nd7d514f8d8d9)。
同じパネルの人が僕に負けず劣らず、なかなかにマイナーな対象を取り上げていて、逆に面白かったです。みんなそれを分かっているからか、パネリスト同士での質疑応答が活発で良かった。あと、おかげさまで、ポピュラー音楽学会で(も)marginalに所属していることによって、自分は利益を得ている、という自己認識を新たにしました。吉村弘と1980年代日本の音響文化のことを考えるための良い機会として、今後もIAPMSなどに参加していくつもりです。よろしくお願いします。僕と感心を共有するマイノリティをこの学会のなかで探すことが今後の課題です。
とりあえず打ち上げしたいとか思っているうちに、あっという間に、横浜の自宅の日常に戻ってしまった。オンライン学会って…。

2022-07-06

メモ:松本清張『砂の器』

〈戦後日本前衛作曲界のヒーローが最新の作曲技法を駆使して完全犯罪?!〉みたいな内容だと聞き、また、これまで何度も映像化されている傑作だと聞き、遅まきながら初めて読んだ。ホントにその通りの内容だったことに驚き。ただし、要所要所で驚きのご都合主義的展開で飽き飽きしたので、映画やドラマはかなり脚色されてるのではないかと想像。ネトフリにあるので近日中にチェック。
戦後すぐの文化風俗のちょっとした描写は、新鮮だった。帰りの遅い夫のために作った夕食は、冷蔵庫ではなく棚に入れておく、とか。みんなすぐにどこでもタバコを吸うとか。東京から中国地方への出張って、36時間以上かかったんだな、など。今だとブラジル行くみたいな感じ? だとすると、この時代の洋行に権威があったのも当然。

しかしまあ、けっこう、「評論家」がつまらない存在として馬鹿にされてるなあ。評論家って、こんなにしょうもないのかなあ。



2022-06-30

Chrome OS FlexでZoomを扱う場合

iMac (21.5 inch, Mid 2010)に入れたChrome OS Flexを使っている。Zoomは、アプリを使うと音声がうまく接続されなかったので、Chrome拡張機能を使っている。アプリを使うから音声が接続されなかったのではなく、そもそも音声設定でデバイスを選ぶ方法を知らなかったことに、後から気づいた。音声デバイスは右下から選ぶことができる。
また、Zoomで画面を共有しようとしたら、相手から「真っ黒です」と言われたことがあった。その後試してみて、Chrome OS FlexのZoomでは画面共有できないのではなく、画面共有しようとしたらすぐには画面が切り替わらないので真っ黒に見える、ということが分かった。CPUパワーが足りないので、すぐに画面共有してくれないっぽい。
↓
把握しておくこと
1.音声デバイスは右下から選ぶことができる
2.画面共有などなんでもできるが、CPUパワーが足りないので、うまくいかないように見える。画面もカクカクするらしい。

↓
Chrome Remote Desktopを使って自宅のMac miniに接続してWZ Editorで論文の下書き書こうとしたりもしているけど、やはり、いちいちめんどくさい。
ここはやはり、もう色々と諦めて、Macの整備品を買うべし。Chrome OS Flexも充分楽しんだし。

2022-06-29

[報告]調査報告を書きました。

京都国立近代美術館研究論集『Cross Sections』vol.10に調査報告を掲載しました。

中川克志 2022 「日本におけるサウンド・アートの系譜学――京都国際現代音楽フォーラム(1989-1996)をめぐって――」 『CROSS SECTIONS:京都国立近代美術館研究論集』10:48-58。

です。

藤島寛さんや中川真さんにお話を聞いたり資料を調べさせてもらって、1989-1996に行われていた京都国際現代音楽フォーラムについて、毎回何が行われていたかを整理しました。
こういうことをまとめていくのは大事な仕事だと思います。今後も継続していく予定。次はジーベックの活動を整理しておきたいところ。関西のことばかりだな…。
そのうちウェブサイトに本文を掲載しておきます。抜き刷りなど欲しい方いればお知らせください。PDF送ります。

2022-06-25

メモ:山本佳奈子『個人メディアを十年やってわかったこととわからなかったこと』

Offshore山本さんの新しいジン。zine。

このひとはやはりなんとも不器用なまでに真摯で誠実である。今年から始めるらしい雑誌(?書籍?)はどうなるのだろう。本を作ることに、このひとは、どのように向き合っていくのだろうか? また、そもそも、どうやって今「アジア」のことを主題にするのだろう? 僕はいつになったら台湾に行けるのだろう?





2022-06-22

Chrome OS Flexで入力切替

最近ずっとこの、昔ウィンドウズで使っていたっぽいサンワサプライのキーボードで入力していた。スペースキーの隣の「無変換」と「ひらがな」を押すと入力方法を変更できる。 が、こちら、常にCTRキー押された状態になってしまった。

ので、元通り、Mac用キーボードに戻った。 こちらは、「ctr(+shift)+スペースキー」を押さないと入力言語を替えてくれない。

2022-06-21

What Is Man And What Is Guitar? Keith Rowe (_人間とは _ギターとは_キース・ロウ) on Vimeo

What Is Man And What Is Guitar? Keith Rowe (_人間とは _ギターとは_キース・ロウ) from Bob Burnett on Vimeo.

AMMのキース・ロウが語る。字幕付き。貧乏な若い白人だった自分たちとコーネリアス・カーデューとが一緒に音楽をするようになったくだりの述懐が、淡々としていて、良い。 パーキンソン病になり、思うようにソロ公演できなくなったとのこと。晩年のデレク・ベイリーが自身の手根管症候群(Carpal Tunnel)という病気を『Carpal Tunnel』(2005)というアルバムに記録(昇華?)したように、キース・ロウもいくつかのやり方を発明しながら音楽をやり続けている。やり続けられることがあるってのは、良い。

2022-06-20

メモ:やまじえびね『女の子がいる場所は』

「やまじえびね『女の子がいる場所は』読了。素晴らしく計算された線描とコマ割りに息をのむ5編。社会にはびこる女の子を弱らせるあれやコレやに、色々なやり方で応答する物語。なぜかエンパワーメントされた40代後半男性。きっと素敵な未来になるぞ!」 / Twitter https://twitter.com/nakagawa09/status/1538889000219717632

2022-06-19

Chrome Remote Desktopで〈Chrome OS Flex内部のLinuxのChrome〉に接続した場合

Chrome OSはChrome Remote Desktopのホストになれないのなら、Chrome OS Flex内部のLinuxにChromeブラウザをインストールして、そこにChrome Remote Desktopの拡張機能を加えて、そこをホストにできないものだろうか、と思った。
ので、試してみたら、自宅から〈Chrome OS Flex内部のLinuxのChrome〉がオンラインであることは確認できた。
なので、接続しようとしてみたら、以下の1,2,3のようになった。接続しようとするとXSessionを選択するよう言われる(1)。しかし、OKを押して選択すると、すぐにリモートデスクトップセッションは終了し(2)、再接続しようとしてもできない(3)。ただし、数秒待ってから再接続すると接続できる(が1に戻るだけである)。どうやら、そもそもLinuxにおけるGUI環境であるところのX Window Sessionとやらが走っていないってことらしい。
ここで僕にはお手上げ。Chrome OSの内部のLinuxアプリが、Chrome OSのGUIのなかで動いているということはどういうことか、などさっぱり分からないし。

1.


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3.