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参照:京都精華大学:インフォメーション:大学からのお知らせ:[教職員の方へ] 『京都精華大学紀要』第37号刊行のお知らせ
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この論文の目的は、Aesthetics(と京都市芸)の論文と同じくケージを相対的に距離を置いて理解すること、です。そのために、ケージ的な実験音楽に対する内在的批判として1970年代のサウンド・アート(ビル・フォンタナ)を取りあげて検討しました。
「実験音楽」は「音楽的素材の拡大という戦略」と「“音をあるがままにせよ”という原則」を持つジャンルで、フルクサスの音楽やミニマル・ミュージックに継承されることで「ケージ的な実験音楽」の系譜を形成した、しかし、その戦略と原則は齟齬をきたすものだったし(音楽的素材を拡大することで“意図的な音響”を楽音として利用することも必要となるが、それは“音をあるがままにせよ”という原則によって阻害されるという問題があった)、その齟齬は70年代以降のサウンド・アートによって明確化した、ということを主張しました。
僕の手柄は、実験音楽において音響が社会性を喪失しなければならなかった理由として「音楽的素材の拡大という欲望を追及する必要があったこと」を指摘したことだと言えると思います。
反省点は、これはあまりにも「自律的」なモデルだってことです。同時代のメディア状況とか社会的背景とかを考慮に入れていないし、現実の活動はそんなに自律的には進行しないだろうし、現実の様々な芸術活動の実相にはあまり迫れていないことが反省点です。
でも僕は、ケージとかゲンダイオンガクとかから距離をとるために、一度こういう自律的なモデルを構築する必要があったのだと思います。
しばらくはこの主題には、真正面からではなく斜めから取り組むことにしたいと思います。しばらくは、直接的に「実験音楽」の細かなデータを精査する、とかはせずに、実験音楽を研究することには重要性はあるのか、とか、アヴァンギャルド音楽について今言及することにはなんの意味があるのか、とか、そういうことから考え直すことにして、さしあたりは、クリスチャン・マークレイとか大正期の蓄音機受容の諸相とかを調べていこうと思います。
とはいえまたそのうち近いうちに、ゲティ・ミュージアムのアーカイヴに行って9 Eveningsの調査とかしたいです。
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この論文との付き合いも、前にAestheticsに載せた論文以上に長いです。
博士論文の一章と六章をまとめ直した論文で、一章の元になる論文を書いたのは博士後期課程1年目のことだし、六章の元になる論文を書いたのは留学中に書いた論文の元になる論文で、それは渡米前に城陽で結論が見えないまま書き始めた論文(Aestheticsにのったものと同じもの)なので、2003年度に書いていたものです。つまり、これ、ジョン・ケージの研究を始めた時からの付き合いになるわけです。10年以上。
うわぁ…。
ちょうどこの論文の発表場所を探していたところ、2010年度から京都精華大学紀要が査読付き論文を掲載することになったことを知ったので、2009年度に紀要論文を載せてもらったばかりだけど、またお世話になることにしたのです。
いや、こいつに行き先ができて良かった。
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