見終わった後、なぜだか物凄く感動していた。
思い出そうとすればするほど、何の話だったかはよく分からないけど。
新興宗教の教祖的な存在(フレディ)と、そこに引っかかりつつ離れていった男(サットン)との関係性―影響関係とか保護と被保護とか支配と被支配とか―をめぐる話なのだけど、まあざっくり言って、これは、俳優(フィリップ・シーモア・ホフマンとかホアキン・フェニックス)の顔の皺を見る映画だった。
ホアキン・フェニックスの顔がどんどん歪んでいくのがとても良かった。
話の内容は分からなかったけど。
あと、これは、俳優の背後に広がる地平線とか青空を見る映画だったのかもしれない。
覚えているシーンが2つある。まず、フレディがサットンを連れて、砂漠に隠しておいた「二冊目の著作」を掘り出しに行くシーン。このシーンで、フレディとサットンは、「二冊目の著作」を掘り出した後に帰る時、同じ歩調で歩いている。右足と左足のリズムが同じ。
対してもうひとつのシーン、フレディが娘夫婦とサットンを連れて「バイクに乗って目的地まで全速力で走っていくゲーム」をするシーンでは、バイクで走り去ってしまったサットンを追いかけて歩くフレディと娘の歩調は違う!
このふたつはフレディとサットンの関係性の深さとか類似性とかを感じさせるシーンで、なんか、そういう映画的表現があふれている映画だったなあ。
なので、話の内容は分からなかったけど、感動した。
ザ・マスター - Wikipedia:
初めて、ポール・トーマス・アンダーソンの映画を映画館で見た。
これは、映画館で見てよかった。
家で見たら、何が面白いのかさっぱり分からなかったのではないだろうか。
その後、ダウンビートに行くとtakatsukaがいた。
月曜日と木曜日なら横国の学生がバイトしてないらしい。
こっちのマスターは(も)、よく喋る人っぽかった。
一度、入って左側の部屋に行って、ずっと黙って難しい顔してジャズ聴いて、「ジャズ喫茶」を楽しむことにしよう。