語り口が分かりやすい。「見る」という能力が必ずしも、視覚器官によってのみ達成されるわけではなく、耳や触感によっても達成されることを、ゆっくりじっくりと説明する語り口が分かりやすい。
また、「障害者」を差別するわけでも区別するわけでも特別視するわけでも一般化するわけでもなく、「自分と異なる体を持った存在」として「実感として感じてみたい」がゆえに丁寧に記述する、というスタンスは、啓発的だし好感が持てる。
専門書ではないので参考文献リストがない――新書には参考文献リストを付けない、という出版界の方針でもあるのだろうか――のが残念だけど、こういうものの考え方を提起する新書として堪能しました。
目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書) | |
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伊藤さんの考え方とスターンが批判する「視聴覚連祷」とを比較してみる。
いずれも「視覚」や「聴覚」について思考し、視聴覚の技法の歴史的由来を尋ねることには関心がない。
しかし決定的に異なる点がある。
伊藤さんの考え方は、「視覚」や「聴覚」のあるべき姿を想定しない、というか、そのまったく逆で、「視覚」や「聴覚」や「見ること」や「聞くこと」はどのように機能しているか、を、丁寧に探ろうとしている。「視聴覚本質主義(?:視覚や聴覚の本質的なあり方を想定する立場)」みたいなものからは最も縁遠い立場だ。
ということは、音響メディア論とかサウンド・アートを研究する僕がこの本から学べることのひとつは、聴覚や聴取が実際にどのように機能しているかを探る伊藤さんのやり方だろう。
たとえば、「ソーシャル・ビュー」という美術館賞のやり方を記述する伊藤さんのアプローチをまねて、僕は、聴覚障害をもつサウンド・アーティストであるChristine Sum Kimのワークショップについて記述できるかもしれない。一昨年参加した時はなんだか楽しめなかったしなあ。
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