2014年の粟津潔の展覧会『粟津潔、マクリヒロゲル1 「美術が野を走る:粟津潔とパフォーマンス」』(2014)と『粟津潔、マクリヒロゲル2 「グラフィックからヴィジュアルへ:粟津潔の視覚伝達論」』(2015-2016)の展覧会図録資料とドキュメンタリーDVDが、オンラインで公開されたそうです。
金沢21世紀美術館の北出さんから教えてもらいました。北出さんは70年代末から80年代半ばの日本における「パフォーマンス」周辺の動向を調査していて、色々と勉強させてもらうことが多いです。
学芸員がきっちりと一次資料を調査するとはこういうことか!
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本・日本語:
http://kanazawa21.jp/data_list.php?g=52&d=10
本・英語:
http://kanazawa21.jp/data_list.php?g=52&d=10&lng=e
DVD1:ドキュメンタリー「美術が野を走る:粟津潔とパフォーマンス」(日本語字幕)
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=73&d=98
DVD1: Documentary “Art Running Wild: Awazu Kiyoshi and Performance”(英語字幕)
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=26&d=23&lng=e
DVD2:「美術が野を走る:粟津潔とパフォーマンス」パフォーマンス記録(日本語)
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=73&d=99
DVD2: “Art Running Wild: Awazu Kiyoshi and Performance” Performance Documents (英語)
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=26&d=24&lng=e
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2017-04-30
2017-04-19
[報告]調査報告を書きました。
京都国立近代美術館研究論集『Cross Sections』vol.8に調査報告を掲載しました。
中川克志+金子智太郎 2017 「[調査報告] 「日本におけるサウンド・アートの展開――〈1980年代日本における音具〉をめぐるいくつかの文脈――」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』8:36-44。
2015年の夏に関根秀樹さんと直川礼緒さんにお話をうかがってまとめたものです。
実はこれをまとめたのは2016年の1, 2, 3月頃です。2016年7月の国際美学会発表と12月のCrossroadでの発表と、『國學院大學紀要』に掲載した論文(1980年代後半の日本におけるサウンド・アートの文脈に関する試論——〈民族音楽学〉と〈サウンドスケープの思想と音楽教育学〉という文脈の提案」)は、この調査報告で得たものから発展させたものです。
あと、韓国での調査をまとめた金子くんとの研究ノートも3月に出ました。でも、それはまだリポジトリに登録されていないので、登録されたらお知らせします。
Cross Sectionsに日本におけるサウンド・アートに関する地味な調査報告を掲載させてもらってもう5回になるのだな。感慨深い。次は関西のアレコレの予定だけど、ネタはいくつかあるので、どれになるかは不明。
中川克志+金子智太郎 2017 「[調査報告] 「日本におけるサウンド・アートの展開――〈1980年代日本における音具〉をめぐるいくつかの文脈――」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』8:36-44。
2015年の夏に関根秀樹さんと直川礼緒さんにお話をうかがってまとめたものです。
実はこれをまとめたのは2016年の1, 2, 3月頃です。2016年7月の国際美学会発表と12月のCrossroadでの発表と、『國學院大學紀要』に掲載した論文(1980年代後半の日本におけるサウンド・アートの文脈に関する試論——〈民族音楽学〉と〈サウンドスケープの思想と音楽教育学〉という文脈の提案」)は、この調査報告で得たものから発展させたものです。
あと、韓国での調査をまとめた金子くんとの研究ノートも3月に出ました。でも、それはまだリポジトリに登録されていないので、登録されたらお知らせします。
Cross Sectionsに日本におけるサウンド・アートに関する地味な調査報告を掲載させてもらってもう5回になるのだな。感慨深い。次は関西のアレコレの予定だけど、ネタはいくつかあるので、どれになるかは不明。
2017-04-18
2017-04-11
メモ:椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)
”この期に及んで揚げ足取りや重箱の隅つつきをしているようでは、逆にその批評家のお里が知れるというものだ。”
暮沢剛巳「[reviews and critiques ||| レヴューand批評]美術批評のクリティカル・ポイント――椹木野衣『日本・現代・美術』」(1998年4月1日号)(文字コードがShift-JISなので注意)
「従来の歴史書とは逆に、90年代の現代から徐々に遡り、「もの派」「千円札裁判」「戦争画」などのエポックを独自に再解釈しつつ、日本の戦後美術をほぼ包括的に論じて」おり、「冒頭で言及されている彦坂尚嘉の「制作(ポイエーイス)」と「実践(プラークシス)」の転倒が、『シミュレーショニズム』以来椹木氏が絶えず推し進めてきた「アート」と「サブカルチャー」の価値転換とほぼパラレルに対応しているところに、今までの仕事との密接な関連も察せられる」。「…「日本」「現代」「美術」という三つのアスペクトの相互関係を探ることを意図した、結論及びそれに付随する整合性が必須ではない本書にとって、そのことはとりたてて強調すべき弱点でもないだろう」とのこと。
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僕の使い方としては、アクションやハプニングやパフォーマンスについて論じる時に第8章を、千円札事件を論じる時に第9章を、読売アンパンについて論じる時に第10章を、参照する、という感じ。
必要なので、日本の現代美術の歴史を色々と勉強しているのだけど、色々と探って勉強してみて分かったのだけど、日本の現代美術には「通史」や「概説書」がない。
そもそも、通史がないと「もの派」がいつごろ活動していたどういう人たちによる活動なのかさっぱり分からないのだけど、でも、ヒヒョーは、〈フツーの通史を踏まえてそこを越えて展開される鋭い考察〉がお好みで、「通史」や「概説書」にはあまり力を割かずにそういう考察を展開することにこそ欲望を触発されるようだし、それこそがヒヒョーの使命だとか思っているようだ。そういうのが「ヒヒョーの生態」なんだと思う。
でも、その前に「通史」とか「概説書」を準備しろよ、と思う。
それこそが物事を見る視点を準備し、自閉したサークルの外部の人間が歴史観を持つことを手助け、自閉したサークルの内外の人間の歴史観をぐらつかせるはずだ。そういうことをできるのは、批評ではなく人文学だ。ヒヒョーは自分のことに手一杯で、他車に語り掛ける文章だとは思えない。ヒヒョーって、だいたい独り言だし、だいたい他者の研究成果を踏まえてないし、あるいは、自分の研究成果を分かりやすく提示する努力を怠っているよな。
(なので、僕は2017年3月刊の都市イノベーション YEARBOOK 2016-2017 「批評の現在」
は…だと思う。)
*
暮沢剛巳「[reviews and critiques ||| レヴューand批評]美術批評のクリティカル・ポイント――椹木野衣『日本・現代・美術』」(1998年4月1日号)(文字コードがShift-JISなので注意)
「従来の歴史書とは逆に、90年代の現代から徐々に遡り、「もの派」「千円札裁判」「戦争画」などのエポックを独自に再解釈しつつ、日本の戦後美術をほぼ包括的に論じて」おり、「冒頭で言及されている彦坂尚嘉の「制作(ポイエーイス)」と「実践(プラークシス)」の転倒が、『シミュレーショニズム』以来椹木氏が絶えず推し進めてきた「アート」と「サブカルチャー」の価値転換とほぼパラレルに対応しているところに、今までの仕事との密接な関連も察せられる」。「…「日本」「現代」「美術」という三つのアスペクトの相互関係を探ることを意図した、結論及びそれに付随する整合性が必須ではない本書にとって、そのことはとりたてて強調すべき弱点でもないだろう」とのこと。
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僕の使い方としては、アクションやハプニングやパフォーマンスについて論じる時に第8章を、千円札事件を論じる時に第9章を、読売アンパンについて論じる時に第10章を、参照する、という感じ。
必要なので、日本の現代美術の歴史を色々と勉強しているのだけど、色々と探って勉強してみて分かったのだけど、日本の現代美術には「通史」や「概説書」がない。
そもそも、通史がないと「もの派」がいつごろ活動していたどういう人たちによる活動なのかさっぱり分からないのだけど、でも、ヒヒョーは、〈フツーの通史を踏まえてそこを越えて展開される鋭い考察〉がお好みで、「通史」や「概説書」にはあまり力を割かずにそういう考察を展開することにこそ欲望を触発されるようだし、それこそがヒヒョーの使命だとか思っているようだ。そういうのが「ヒヒョーの生態」なんだと思う。
でも、その前に「通史」とか「概説書」を準備しろよ、と思う。
それこそが物事を見る視点を準備し、自閉したサークルの外部の人間が歴史観を持つことを手助け、自閉したサークルの内外の人間の歴史観をぐらつかせるはずだ。そういうことをできるのは、批評ではなく人文学だ。ヒヒョーは自分のことに手一杯で、他車に語り掛ける文章だとは思えない。ヒヒョーって、だいたい独り言だし、だいたい他者の研究成果を踏まえてないし、あるいは、自分の研究成果を分かりやすく提示する努力を怠っているよな。
(なので、僕は2017年3月刊の都市イノベーション YEARBOOK 2016-2017 「批評の現在」
は…だと思う。)
*
本書は、端的に、海外の視点が無さ過ぎると思う。
日本国内の文脈だけに依拠して自律的に記述された日本現代美術史。色々な枠組みや前提や、日本の現代の美術の「奇妙さ」について論じているが、海外からの影響、という視点をきちんと導入するだけで、そのほとんどが解消されるのではなかろうか。
ポストコロニアルな視点、という言い方をしても良いかもしれんが。
*
もの派や読売アンパンやハプニングや千円札事件や。そこらへんのことがいつごろ発生したのか、という見取り図のないままにヒヒョーを書くよりも、「通史」を書いたら良いじゃないか、と思う。で、その後で、細部をいじくり回されて批判されても良いじゃないか、と思う。細部の批判を惹起するためにも、まずは、「通史」がなければ話にならない。
僕は今のところ、以下の様なものを使っているのだが、もう少し使いやすいものはないものだろうか。
現代美術史日本篇1945-2014: ART HISTORY: JAPAN 1945-2014 | |
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* これ、高いんだよなあ…。でも、やはり、研究室に常備すべきか…
* 日本・現代・美術 | |||||||||
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2017-04-10
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