暮沢剛巳「[reviews and critiques ||| レヴューand批評]美術批評のクリティカル・ポイント――椹木野衣『日本・現代・美術』」(1998年4月1日号)(文字コードがShift-JISなので注意)
「従来の歴史書とは逆に、90年代の現代から徐々に遡り、「もの派」「千円札裁判」「戦争画」などのエポックを独自に再解釈しつつ、日本の戦後美術をほぼ包括的に論じて」おり、「冒頭で言及されている彦坂尚嘉の「制作(ポイエーイス)」と「実践(プラークシス)」の転倒が、『シミュレーショニズム』以来椹木氏が絶えず推し進めてきた「アート」と「サブカルチャー」の価値転換とほぼパラレルに対応しているところに、今までの仕事との密接な関連も察せられる」。「…「日本」「現代」「美術」という三つのアスペクトの相互関係を探ることを意図した、結論及びそれに付随する整合性が必須ではない本書にとって、そのことはとりたてて強調すべき弱点でもないだろう」とのこと。
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僕の使い方としては、アクションやハプニングやパフォーマンスについて論じる時に第8章を、千円札事件を論じる時に第9章を、読売アンパンについて論じる時に第10章を、参照する、という感じ。
必要なので、日本の現代美術の歴史を色々と勉強しているのだけど、色々と探って勉強してみて分かったのだけど、日本の現代美術には「通史」や「概説書」がない。
そもそも、通史がないと「もの派」がいつごろ活動していたどういう人たちによる活動なのかさっぱり分からないのだけど、でも、ヒヒョーは、〈フツーの通史を踏まえてそこを越えて展開される鋭い考察〉がお好みで、「通史」や「概説書」にはあまり力を割かずにそういう考察を展開することにこそ欲望を触発されるようだし、それこそがヒヒョーの使命だとか思っているようだ。そういうのが「ヒヒョーの生態」なんだと思う。
でも、その前に「通史」とか「概説書」を準備しろよ、と思う。
それこそが物事を見る視点を準備し、自閉したサークルの外部の人間が歴史観を持つことを手助け、自閉したサークルの内外の人間の歴史観をぐらつかせるはずだ。そういうことをできるのは、批評ではなく人文学だ。ヒヒョーは自分のことに手一杯で、他車に語り掛ける文章だとは思えない。ヒヒョーって、だいたい独り言だし、だいたい他者の研究成果を踏まえてないし、あるいは、自分の研究成果を分かりやすく提示する努力を怠っているよな。
(なので、僕は2017年3月刊の都市イノベーション YEARBOOK 2016-2017 「批評の現在」
は…だと思う。)
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本書は、端的に、海外の視点が無さ過ぎると思う。
日本国内の文脈だけに依拠して自律的に記述された日本現代美術史。色々な枠組みや前提や、日本の現代の美術の「奇妙さ」について論じているが、海外からの影響、という視点をきちんと導入するだけで、そのほとんどが解消されるのではなかろうか。
ポストコロニアルな視点、という言い方をしても良いかもしれんが。
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もの派や読売アンパンやハプニングや千円札事件や。そこらへんのことがいつごろ発生したのか、という見取り図のないままにヒヒョーを書くよりも、「通史」を書いたら良いじゃないか、と思う。で、その後で、細部をいじくり回されて批判されても良いじゃないか、と思う。細部の批判を惹起するためにも、まずは、「通史」がなければ話にならない。
僕は今のところ、以下の様なものを使っているのだが、もう少し使いやすいものはないものだろうか。
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* これ、高いんだよなあ…。でも、やはり、研究室に常備すべきか…
* 日本・現代・美術 | |||||||||
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